ノート:長野県

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長野県市町村境界図について[編集]

    • 東信地区には区域の細長い市町村がたくさんあります。小さいサイズの地図で見ると細い部分がうまく表示できず別々の市町村のように見えてしまうために間違いが発生したのだと思います。MapionやMapFanWebの市区町村図で正しい市町村境を確認できます。211.1.193.110 2005年7月18日 (月) 08:28 (UTC)[返信]

長野市の一極集中と言う記述について[編集]

  • 南信に住む人間として、本県の実情からみて、政治はともかくとしても、他の面まですべてが長野市に一極集中とは、たとえば宮城県における、圧倒的な大都市である仙台市や、県域が狭く他に比べられる規模の都市が存在しない、山梨県の甲府市のような都市ならばともかく、客観的に考えてどうしても納得できません。何を根拠にしておられるのでしょうか。信頼できる具体的な数値での説明を希望します。正直言って、長野県民ではありますが私にとって長野市は実に縁の遠い存在です。また、長野市が現在の範囲での長野県の県庁所在地となったのは、筑摩県併合の明治9年であり、一般的な解釈による明治維新の年ではないと思います。旧筑摩県を含めた現在の長野県を説明する上では、誤解を生じる恐れがあると思います。訂正を求めます。--Vic 2006年3月8日 (水) 18:18 (UTC)[返信]
  • 上の意見に賛成です。たとえば松本市には日銀支店があり、他にも民放会社の本社、FM放送の本社、信州大学本部など、県の中枢機能を担うものがいくつかあります。長野市には国立大学の本部はありませんし、日銀支店もありません。これを考えてみても、人口、商業販売額、工業出荷額等を見ても、長野市が特別に突出している事実はなく、「長野市に一極集中」という表現は客観的事実に反し、公正さを欠くと思います。本県の現実を見据えた公正な記述を期待します。--210.139.204.207 2006年3月9日 (木) 07:58 (UTC)[返信]
    • 議論をなさることは非常によいことだと思うのですけれども、ノートページでは是非署名をしてください。発言者が明確になることによって、議論が円滑に行えるようになります。署名方法は、半角チルダ4つ~~~~を入力するか、編集テキストボックスの上の右から2番目のアイコンを押すだけです。これによって自動的に日付と署名が記載されますので。
    • 尚、WikipediaはWikiを利用したプロジェクトですので、ご自分で編集ができます。今回の点は特に議論の末に合意が形成されてできた部分では無いようですので、訂正すべき箇所があったらご自分で訂正されて構いません。それによってもし議論が起こったら是非真摯に対応してください。そういうプロジェクトですから、ウィキペディアは。--tgmsito //talk// 2006年3月9日 (木) 14:58 (UTC)[返信]

地域間交流について[編集]

  • 「地域間交流」の項ができた当初は、県内の地域間の交通や県庁所在地が北に偏りすぎていて生じる問題点などの内容だったと思うのですが、今では単に、中南信側の県庁北偏批判みたいな感じになってしまいましたね。私は東信の人間なので、東信から見ると南信なんかはほとんど行かないので同じ県とは思えない…とまではいきませんが、そういう思いはどの地域の人でも、自分のあまり行かない地域には持ってるんじゃないでしょうかね?ですので、東北信対中南信からもう少し視野を広げた方がよいと思います。マルケ 2006年6月5日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

平成18年豪雪は、特記する必要はない。[編集]

ということで、平成18年豪雪に関する記述が削除されましたが、特記する必要は本当にないのでしょうか。--ぽえこ 2006年11月14日 (火) 14:40 (UTC)[返信]

長野県が北陸地方であるという記述について[編集]

北陸地方について、調べています。長野県のページ等で、長野県が北陸地方であると言う記述が多く見られることについて、疑問を感じるので、気になった点を並べてみます。 長野県ページに関わる方の、記述に関する吟味をお願いしたいと思います。参考:ノート:新潟県#210.252.230.156氏による記述について

長野県#地理

  • 内陸側なので、学校教育や一般的分類では、中央高地として区分される事が多い。しかし、北陸地方に編入されたり、関東地方に編入されたり、東海地方と組み合わせされたりする事もある。
編入という考え方が、長野県を尊重しているように見えないことと、つまりは北信越、関東甲信越のことを言っているので、「北信越」「甲信越」に変えました。「東海地方に編入」と言うのはわかりませんでした。要出典をつけようかとも思ったのですが。--Orcano 2007年2月15日 (木) 07:15 (UTC)[返信]
長野県を東海地方(地区)に入れるという考え方は、吹奏楽コンクールの地区分けにそういうものがあります。それを書かれた方がそういうつもりで書いたのかどうかはわかりませんが、そうだとしても、吹奏楽関係者だけの世界になりがちだと思うので、ちょっと一般的な区分けとは言えないかもしれませんね。 61.25.254.98 2007年4月18日 (水) 07:09 (UTC)[返信]

長野県#全域を一括する場合

  • 中央省庁では長野県を北陸地方に編入する機関があり、これに倣って長野県を北陸地方に編入する企業も存在する。
本文で、北信越のことを北陸と呼んでいることがわかり、修正しました。--Orcano
  • 「北信越」((1)北信地方+越国:長野県北部+北陸4県という意味と、(2)北陸3県(親不知以西の3県)+信濃国+越後国の、2通りの意味を持つ)
(1)について、長野県の北部だけ分割して、他の地域を除いて北信越と呼ぶことは考えにくいので、(2)のみにしました。確かな機関等から出された出典がない限りは、北陸信越の定義で良いのではないかと思います。--Orcano 2007年2月15日 (木) 07:15 (UTC)[返信]

長野県#地域間関係

  • 「伊那は北陸ではないし、関東のおまけでもない」「(道州制で)北信が北陸に入るなら、北信とは縁を切っても中部に入る」という姿勢が窺える。
  • 「長野や白馬と一緒にされなければ、北陸扱いされないのに」と念願する住民が、中信と南信に多い。
  • このため、道州制で長野県全域が北陸州に入れられると、南信と中信は、地理的齟齬と距離の遠さで除け者扱いされると危惧する者が存在する。

新潟県#概要

  • 長野県が北陸地方と中央高地に分けられる事と似た現象である。

北信地方

  • 画面右上のデータ内、地方項目、「中部地方、北陸地方」
  • 日本屈指の豪雪地帯として有名であり、気候や風土は完全に日本海側に当たるため、北陸地方として扱われる事が多い。

中部地方#地域「糸静線から東側」

  • 北陸地方:新潟県、長野県水内地方、佐久地方に当たる。

甲信地方#地域

  • 「信越地方」として、北陸地方(東半分)の一角として扱われる事も多い

--Orcano 2007年2月13日 (火) 09:26 (UTC)[返信]

長野県庁の回答(電話)、地域4区分は慣習であるとのこと。[編集]

※長野県庁の地域行政区分は、あくまで10区分が正式です。(4区分はありません。)

慣習というあやふやな表現で、県内を行政区分されては困りますね。

異論を唱えた方は、よく調べてから、モノを言いましょう。--以上の署名のないコメントは、124.18.107.37会話/Whois)さんが 2007年7月12日 (木) 06:13 に投稿したものです(利用者:221.118.120.201による付記)。

異論を唱えた者ですが。自分の考えについては、利用者‐会話:124.18.107.37をご覧ください。とりあえず、「慣習」でも記載可能であろう「地域的特徴」に関しては復活させておきます。しかし、あなたがどうしてそこまで「公式」のものに一辺倒なのか理解できません。「公式」=「正式」ということは決してありません。もちろん、「公式」は尊重すべきですが、それが一般的な考え方から乖離したものならば、両論併記でいいはずです。あなたは安城市の記事でも「公式」である都心について編集合戦をして、記事を保護するにまで至らせましたよね?今回は意固地にならずに、柔軟な対応を望みます。 221.118.120.201 2007年7月12日 (木) 18:42 (UTC)[返信]

※そもそも信濃国→長野県であって、古代から長野県が政府によって、分割支配されていた時代は、存在しないのですよ。 静岡県、愛知県(尾張・三河)、岐阜県(美濃・飛騨)とは違います。

武田信玄の信濃国でも、善光寺平、佐久、諏訪、伊那、木曾。信濃豪族的には5区分くらいですね。ただし、分国していたわけではなく、中小の乱立です。行政区分としては、1つです。

面積が広いといっても、北海道・東北に比べれば知れてます。可住地面積的には狭く、盆地の寄せ集めです。盆地単位に、分県的行政区分しても意味はないですが。

長野県南部のうち、木曾は岐阜県の時代あり、根羽村は愛知県西三河加茂郡の時代あり。 よって、長野県南部が、静岡県・東三河と一体化しているは、間違い。

豊川は、天龍川水系ではありません。段戸山が水源です。矢作川、木曽川の水源は、長野県南部です。下條村には、刈谷市の保養所があります。

16世紀までは、長野県境は、すべて愛知県西三河加茂郡であり、東三河ではない。

※事実を歪曲するのはやめましょう。三遠南信の方。。--以上の署名のないコメントは、124.18.107.37会話/Whois)さんが 2007年7月13日 (金) 02:15 に投稿したものです(利用者:221.118.120.201による付記)。

一応、私も西三河の人間ですが。ただ、あなたのように東三河に対して敵意は抱いていませんし、「東西の三河」という区分を特に意識はしていません。それに、別に道州制の議論に絡んで長野県の南部が西三河側なのか東三河側なのかということを論じるつもりは毛頭ありません。個人的にも、これらの3地域が一体化していないというあなたの意見には賛成です。ただ、自治体間で近年結束の動きが出ていることも事実です。このことを記載することに問題はないかと思うのですが。まず、木曽は中央アルプスの西に位置するために南信でなく中信であることを理解してください。それと、西三河と東三河を明確に区分する必要があるんでしょうか?地域圏というのは流動的なものなのだから、史実ばかりに囚われているのはどうかと思うのですが。本記事であなたが書かれているように、南信地域が豊田市などの西三河と繋がりがあるといことは否定しません。ただ、153号の道路事情は151号と同様に悪いですし、物流は専ら中央道を使うかと思うんですが。何か根拠でもあるんでしょうか?
行政区分の話ではなく、県民の間で日常的に使われている地域区分を示しているだけですよ。そして、地域間での県民の意識の違いというのもあるようですし[1]、あなたの言うとおり、長野県が盆地の寄せ集めであるという地理的条件や気候条件などから同じ行政区内でも別の地域性が育まれたんじゃないでしょうか? 221.118.120.201 2007年7月13日 (金) 20:31 (UTC)[返信]

長野県の分類[編集]

長野県#長野県の分類について、節ごとの削除提案です。一次資料を集めて、記事を作ってしまっていますが、中身を少し調べたところ、この考え方だと、北陸地方山形県福島県の一部が入ったり、富山県近畿地方に入ったりと、官庁や企業の区割りは、○○地方というものと、まったく違うものなのではないかと思います。加えて、この節が、ノート:嶺南#「嶺南」の個人ページ化についての人が作ったものであることも、付記しておきます。長野県一部が北陸地方という表現にこだわって、長野県関連の記事に書き続けていたのもこの人です。その種の書き込みを見つけたら、とりあえず削除しますが、この節に関しては、1月8日夜12:00まで、対話期間とします。--Orcano 2007年12月29日 (土) 17:20 (UTC)[返信]

個人的に、特に違和感は感じませんが。企業の区割りも、○○地方も、果ては東山道東海道も結局人間が作ったものですし。 マルケ 2008年1月7日 (月) 15:33 (UTC)[返信]

分類の方法 - 例えば、ある官庁が関東○○事務所と分類しても、それは関東地方であるという意味ではないということです。過去、その考え方で北陸地方整備局が、長野県北信地方を管轄しているから、北陸として考えられることが多い。」「「北信越」(長野県)北信地方+越国:長野県北部+北陸4県という意味」「(長野県を含め)北陸5県と呼ぶことも多い」と、各記事で書いていた人が居ますが、この節が、実際にその人が作った節で、その種の記事と同じ考え方で分類分けされているので、削除してしまったほうが良いと言うことがあります。
主観や主張で何とでも分類できてしまう - 誰が書いたかと言う問題はやはり大きく、無理やり長野県やその北部を北陸地方と言うために、その人がかなりがんばって書き換えては、他の人に直され、また書き換えるのを繰り返して、「信越」としか呼べないものが、現在も無理やり「北陸地方」の分類をされています。今の分け方が問題なのは、日本の道州制論議に絡んで、自分の世界観に基づいて分類分けをし、そこに官庁や民間企業の分類を当てはめていることです。「中部」と事務所の名前についていても、東海4県と長野県だけの場合、そこを作為的に「東海」と分類したり、「中部」と分類したりすることが出来ます。さらに中部地方には、信越や北陸も入っています。そこをこの節では、(中央高地)と書いてみたり、何がなんだか分からない書き方が入り込む余地があるので、記事としての安定を求めたいと言うのもあります。この種の記事は、意見が違う複数人が関わると、ひどいときは、毎週のように分類が違ったりするので、一時期北陸地方がそんな感じでした。
きりがないほど増やせる - 「東海」「信越」「北陸」「中央高地」「東山地方」「福井を含まない北信越地方」「甲信」「静岡・山梨・南信・中信」「北信・北陸」「北陸5県」など、今のやり方だと、事例さえあれば、意思一つで分類の種類が増えることになり、分類の意味が無くなるように感じます。--Orcano 2008年1月7日 (月) 18:47 (UTC)[返信]
下記議論の結果、とりあえず第一稿として『長野県を含む分類として、中部、甲信、信越、甲信越、関東甲信越、北信越などがある。官庁等の地域区分については、中部地方#エリア区分の例を参照』で行きます。--Orcano 2008年1月11日 (金) 15:16 (UTC)[返信]

官庁関係を並べるだけの場合[編集]

今のデータを、官庁が長野県をどの部署に管轄させているかを並べることは出来ると思います。長野県の記事として、やる意味があるか疑問なので、結論削除なのですが。一応、下に並べてみます。○○省では○○事務所の範囲、と言うのがきれいに網羅されていれば、長野県の記事として価値がある気もしますが。
↓を一覧してみてどうでしょうか。--Orcano 2008年1月7日 (月) 18:47 (UTC)[返信]

企業・官庁の区割り→○○地方ではないとは考えられますが、長野県の場合、“北信越”であったり、“中部”であったり、“関東甲信越”であったりと、区割りが多岐に亘り、他の都道府県には見られない特徴であります。独自研究に該当するような記事では問題ですが。マルケ 2008年1月9日 (水) 10:01 (UTC)[返信]
長野県には様々な分類があること、官庁内や民間会社内の区分は○○地方とは違う、と言うことを合わせて考えると、「長野県を含む分類として、中部甲信信越甲信越関東甲信越北信越などがある。」くらいでよい気がしてきましたがどうでしょう。官庁の分類例に関しては、長野県について、中部地方#エリア区分の例にすべて書いてあるので、リンクを併記すれば、充足しつつ冗長にならずに済むのではと思います。--Orcano 2008年1月9日 (水) 12:57 (UTC)[返信]
確かに中部地方と重複しているのはまずいですので、長野県での説明は簡素にしたほうがよろしいかと思います。マルケ 2008年1月11日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
第一稿として『長野県を含む分類として、中部、甲信、信越、甲信越、関東甲信越、北信越などがある。官庁等の地域区分については、中部地方#エリア区分の例を参照』で行きます。--Orcano 2008年1月11日 (金) 15:16 (UTC)[返信]

長野県の歴史について[編集]

後半は長野県の県としての歴史というよりは、「県内で起きた事件」程度のものであり別項に分離した方がいいと思います。 ----以上の署名のないコメントは、220.145.102.145会話/Whois)さんが 2009年6月19日(金)10:56 に投稿したものです。

長野県の分類(その2)[編集]

4つの区分東信地方,南信地方,中信地方,北信地方の出典はありますか?

とは分け方が異なるようです。県公式サイトにも用法例は見つかりますが定義の解説文などはなさそうでした。Template:長野県の地域や関係記事を見て回りましたが出典は見あたりませんでした。

の方のサイトによると、「4つの地域 に分けて・・・県の公式ホームページでもこの区分がずっと使われてきましたが,今年 (2002年) から,・・・細かい10地域に分ける方式がとられるようになりました」とあります。これが事実とすると、11年も前に廃れた区分が未だ存続しているかのような書きぶりのTemplate:長野県の地域や関係記事の記載は誤り・時代遅れになっているのではないかと。

のアーカイブを見ると、2001年[2]の時点で10広域に分けているようです。 もっとも、

  • PDFの3ページ目 -平成24年1月,国土交通省関東地方整備局 長野国道事務所

では4つの区分を使用しています。国関係は未だ4つ区分も多そうな印象です。--fromm会話2013年2月25日 (月) 04:55 (UTC)[返信]

「4.人口 長野県内 市別人口ランキング」の項目の写真について[編集]

4.人口 長野県内 市別人口ランキングの写真の選定基準が謎です。少なくとも「佐久市」で岩村田相生町の写真を載せるのは適切ではないかと思います。市内の代表地や市役所周辺でもなければ、目抜き通りでもありません。同様の理由で、千曲市に対して戸倉上山田温泉の遠景や、安曇野市や茅野市の写真も適切ではないでしょう。その市町村を代表する場所ないし、その都市の経済力などを象徴するような写真を使用するべきかと思います。--Shige3141 2018年3月15日 (木) 07:31 (UTC)

既存の画像か新たに撮影した画像と差し替えて反応をみられてみてはいかがでしょう? --Triglav会話2018年3月15日 (木) 08:49 (UTC)[返信]
2016年8月4日 (木) 13:28 (UTC) の版で追加されたのが始まりのようです。個人的には画像を掲載する必要性はないと思います。選定が困難と思われますので。--Qurren会話2018年3月15日 (木) 12:41 (UTC)[返信]