ノート:金子みすゞ

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多くの情報の出典が記されておらず、数字が曖昧であったり、金子みすゞの再評価のきっかけについては、東京大学の入試問題に使われたこと、小学校の国語教科書に採用されることの多さへの言及のあとに「このこと」とあるのが、何を指すのか、また本当にそれがきっかけなのかの検証がないこと、さらに「瞬く間に」など主観的な記述が見られたため、[要出典][要検証]を付記しました。 今後、ひとつひとつ、このノートでの議論からより明確な内容になれば、と望んでいます--Tooks会話2021年1月29日 (金) 00:22 (UTC)[返信]

2006年 - 2008年[編集]

>なお、作品の著作権は死後50年を過ぎているので消滅しているが、「金子みすゞ著作保存会」なる団体が、ネットへの掲載などへの許可を求めている。そのため、青空文庫にも収録されていない。

は、政治的なことだから、削除しました。具体的に金子の作品の掲載について争いが起き、裁判などで判決が出ているのなら別ですが。

>JULA出版局内にある「金子みすゞ著作保存会」がネットへの掲載などへの許可を求めている。

という説明では、「金子みすゞ著作保存会」が「自由にネットに掲載できるように求めている」と読めてしまいます。

>「金子みすゞ著作保存会」はネットへの掲載などに対し、同保存会に許可を取るよう求めている。

という説明ではどうでしょうか?以上の署名の無いコメントは、220.110.156.134会話/whois)氏が[2006年9月25日 (月) 01:42 (UTC)]に投稿したものです(Bsxによる付記)。[返信]


長周新聞側の矢崎氏への批判部分には公平性・客観性を欠く箇所があると考えましたので、一部加筆を行いました。より詳しい方がおられましたら補足・加筆をお願いいたします。以上の署名の無いコメントは、218.45.36.24会話/whois)氏が[2007年1月1日 (火) 20:04 (UTC)]に投稿したものです(Bsxによる付記)。[返信]

長州新聞のサイトに掲載されている2001年4月12日付の記事:金子みすゞ 『話の関門』を探し出そうの中で言及されている、『話の関門』がどこかの公立図書館に残っているか否か、山口県立図書館の“山口県内図書館横断検索”を用いて検索してみました。言及されている1937年(昭和12年)の号は見つかりませんでしたが、その翌年の1938年(昭和13年)の3月号と9月号であれば、下関市立図書館に各1冊現存しているようです。話の関門社・編、話の関門社(下関)・出版。貸し出し不可の扱いなので、下関市近郊の方が館内で閲覧するか、交通費等全てを自己負担で小旅行するしかなさそうです。(私の場合は県の端から端へと旅行しなければならなくなるので、閲覧旅行はかなり困難です。新幹線で往復するのでなければ、開館時間内での閲覧時間が実用にならなくなってしまいますので・・・)
長周新聞を含む大正時代辺り~1950年代辺りの岩国近郊で発行・頒布されていた新聞なら、地元の公立図書館に、紙orマイクロフィッシュで保管されていますが・・・矢崎氏への批判や、みすゞさん自身に関わりそうな記事が載っているかな?--Westwind 2008年6月19日 (木) 08:12 (UTC)[返信]
長周新聞は単純な地方紙と色合いが異なりますんで、他の新聞には掲載されていない内容の方が多いかな、と。私も下関市立図書館に出向く機会はなさそうですからねぇ…--Bsx 2008年6月19日 (木) 12:53 (UTC)[返信]
確かに、一般に認知されている#一般紙とは異なってますね、長周新聞は聖教新聞などもたぶん...)。ときおり通っている公立図書館に常時寄贈されていますので読んでみたのですが、事実報道を軸にした論評というより主義思想・自己意見の伝達文書という色合いの方が強いように思えました(個人的意見です)。ただ、廃刊状態となってしまった防長新聞が、全国紙やブロック紙では載せないか小さなベタ記事にしかならないような地元限定情報でも、略さずに掲載していたように、独自の視点から情報を拾い上げて掲載している事もあるようです。主義思想・自己意見の部分を読み砕き補正をかける事ができるのであれば、面白い情報が拾えるかもしれません(ただし、百科事典への掲載にふさわしい内容かどうかは再評価する必要があります)。
(ここからは少々赤提灯混じり)わたしの通っている公立図書館には、個人発行の新聞など、歴史資料として興味深い資料も保管されています。金子みすゞに関する資料を集めたコーナーもありますので、ここを漁ると、何か得るものがあるかもしれません。(山口県出身者、および、岩国市出身者の何人かについて同様のコーナーがあります。例:宇野千代藤岡市助--Westwind 2008年6月19日 (木) 17:25 (UTC)[返信]

「忘却と再発見」節の記述内容について[編集]

少々独自研究色が強くなりすぎています。脚注の新聞の論調は個人的見解であり、また「矢崎氏の功績であることは疑いの余地は少ない」などは筆者の私見に過ぎません。矢崎氏の関与自体はこの節の第一段落で事実が述べられており、第三段落自体が新聞記事への反論目的で過剰に持ち上げる内容になっているように見えます。新聞記事の批判に対して公式に矢崎氏サイドが反論しているのであれば、それを掲載するのが妥当であり、矢崎氏に共感する立場(または新聞側への反感)から独自の擁護論を展開するのはここでは適切ではないため、独自研究テンプレートと、問題箇所への要出典テンプレートを入れました。

この「忘却と再発見」節に関しては、第一段落の矢崎氏の功績はこの節の主題に合致するものであるためそのままとし、第二段落で新聞社側の批判があった事実は、著作権に関する問題に移して、そこで触れるのみのほうがよいのではないかと考えます。問題の第三段落自体は削除が妥当でしょう。しばらく様子を見て、特に改善がなさそうであれば、そのように編集します。 --59.156.207.233 2009年10月7日 (水) 15:01 (UTC)[返信]

上記に基づいて編集をしました。ただ、長周新聞以外に矢崎氏の姿勢を強く批判する意見を持つ著名人や組織の具体例はなく、「矢崎の姿勢に疑念を示す者もいる」はマクロ的なものでしかない(そういう意見はあるだろうが、具体的な「どこの誰が」「どのような媒体で」を示せない)ため、『著作権に関する問題』への移動に併せて要出典テンプレートを入れておきます。補完可能な方がおられたらお願いします。その部分はばっさり除いてもいいかもしれませんね。--59.156.207.202 2009年10月15日 (木) 14:58 (UTC)[返信]