ノート:近代以前の日本の人口統計

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新項目作成[編集]

明治以降の詳しい人口変遷は、後で追加します。Orichalcum 2008年8月23日 (土) 09:39 (UTC)[返信]

明治18年以降の人口変遷の追加はしばらく時間がかかります。Orichalcum 2008年8月24日 (日) 09:27 (UTC)[返信]

江戸時代の全国国別人口表[編集]

速水融氏が作成した表、関山直太郎氏が作成した表、高橋梵仙氏が作成した表などに一部異なる数字が見受けられます。特に寛延三年の数字の不一致が著しいようです。修正するためにはもはや元文献にあたるより他ありませんが、例えば寛延三年の国別人口を載せている『官中秘策』の原文コピーが『内閣文庫所藏史籍』シリーズの6巻に収録されていますが、確認したところ草書体に近い行書体で書かれており、自分には読めませんでした。よって寛延三年の数字は速水氏(関山氏)の数字をそのまま載せました。 宝暦六年は高橋氏の数字だと端数が合うので採用しました。 文政六年も、高橋氏の数字の方が細かい検討がなされているので採用しました。 弘化三年に関しては男女合計の数字だと端数が合うので採用しました。 脚注に不一致の数字をまとめておきましたが、極力元文献に当たることを薦めます。Orichalcum 2008年9月1日 (月) 17:18 (UTC)[返信]

明治13年の身分別人口[編集]

本文の表では都合上華士族の割合しか示さなかったが、以下に元データである明治13年の身分別人口(皇族37人は総人口から除外)を示す。琉球藩(310,545人)、釧路国(2,571人)、根室国(825人)、千島国(497人)、北見国の内斜里・網走・紋別・常呂四郡(860人)、伊豆国七島の内三宅島(2,889人)に関しては身分の内訳が示されていないので、華族、士族、平民の総計は総人口よりも318,187人少ない。全般に旧天領(飛騨国など)は士族の割合が少なく、外様の城下町を含む旧国は士族の割合が高い。特に薩摩・大隈両国だけで全士族の1割以上に相当する20万人の士族がおり、旧薩摩藩の武力が伺える。

なお身分別人口のデータは明治5年より存在するが、地域別の身分別人口のデータは明治13年の『日本全国人口表』が最初と思われる。

旧国名 全身分 華族 士族 平民 華士族率 (%)
山城国 458,851 491 13,947 444,413 3.15
大和国 461,787 7 23,092 438,688 5.00
河内国 266,627 0 347 266,280 0.13
和泉国 228,993 0 2,934 226,059 1.28
摂津国 803,774 6 10,618 793,150 1.32
伊賀国 100,718 0 2,477 98,241 2.46
伊勢国 625,454 5 19,222 606,227 3.07
志摩国 51,987 0 1,371 50,616 2.64
尾張国 784,491 5 38,626 745,860 4.92
三河国 519,321 0 11,903 507,418 2.29
遠江国 422,261 0 14,696 407,565 3.48
駿河国 404,899 0 24,799 380,100 6.12
甲斐国 395,447 0 1,365 394,082 0.35
伊豆国 163,537 0 202 160,446 0.13
相模国 394,397 0 6,088 388,309 1.54
武蔵国 2,220,594 2,484 99,934 2,118,176 4.61
安房国 158,779 0 2,988 155,791 1.88
上総国 446,367 0 8,593 437,774 1.93
下総国 700,817 0 12,556 688,261 1.79
常陸国 704,577 0 28,035 676,542 3.98
近江国 620,834 3 17,398 603,433 2.80
美濃国 733,067 0 14,866 718,201 2.03
飛騨国 106,546 0 157 106,389 0.15
信濃国 1,000,414 0 32,851 967,563 3.28
上野国 581,556 0 19,393 562,163 3.33
下野国 581,358 0 12,573 568,785 2.16
磐城国 395,343 0 26,745 368,598 6.77
岩代国 476,395 0 12,652 463,743 2.66
陸前国 585,415 0 36,142 549,273 6.17
陸中国 542,517 0 12,229 530,288 2.25
陸奥国 507,155 0 32,249 474,906 6.36
羽前国 604,846 9 52,866 551,971 8.74
羽後国 669,756 0 39,172 630,584 5.85
若狭国 88,772 0 5,400 83,372 6.08
越前国 481,382 0 21,766 459,616 4.52
加賀国 435,429 0 53,434 381,995 12.27
能登国 280,858 0 450 280,408 0.16
越中国 664,714 0 14,557 650,157 2.19
越後国 1,456,528 0 35,762 1,420,766 2.46
佐渡国 105,496 0 2 105,494 0.00
丹波国 310,026 0 9,480 300,546 3.06
丹後国 168,087 0 5,870 162,217 3.49
但馬国 198,141 0 3,840 194,301 1.94
因幡国 169,722 0 21,206 148,516 12.49
伯耆国 203,407 0 3,785 199,622 1.86
出雲国 350,814 25 17,438 333,351 4.98
石見国 282,570 7 5,354 277,209 1.90
隠岐国 30,747 0 27 30,720 0.09
播磨国 680,462 0 23,007 657,455 3.38
美作国 228,868 0 8,591 220,277 3.75
備前国 345,491 0 21,893 323,598 6.34
備中国 426,211 0 7,528 418,683 1.77
備後国 493,216 0 11,254 481,962 2.28
安芸国 719,936 0 24,492 695,444 3.40
周防国 530,498 0 32,880 497,618 6.20
長門国 347,116 2 39,520 307,594 11.39
紀伊国 665,190 7 34,084 631,099 5.13
淡路国 177,353 0 5,622 171,731 3.17
阿波国 635,012 1 35,359 599,652 5.57
讃岐国 601,782 0 23,761 578,021 3.95
伊予国 837,113 0 38,465 798,648 4.59
土佐国 544,235 0 43,199 501,036 7.94
筑前国 477,150 0 34,944 442,206 7.32
筑後国 417,091 0 30,502 386,589 7.31
豊前国 332,037 13 20,524 311,500 6.19
豊後国 602,901 0 29,533 573,368 4.90
肥前国 1,126,660 0 138,501 988,159 12.29
肥後国 986,695 8 90,057 896,630 9.13
日向国 397,341 0 72,419 324,922 18.23
大隈国 357,275 0 72,703 284,572 20.35
薩摩国 515,847 0 138,937 376,910 26.93
壹岐国 33,488 0 8,242 25,246 24.61
対馬国 30,187 0 13,415 16,772 44.44
琉球藩 310,545 0 0 0 0.00
石狩国 12,474 0 1,148 11,326 9.20
後志国 26,090 0 228 25,862 0.87
胆振国 8,336 0 187 8,149 2.24
渡島国 98,890 0 5,405 93,485 5.47
日高国 8,460 0 602 7,858 7.12
十勝国 1,599 0 0 1,599 0.00
釧路国 2,571 0 0 0 0.00
根室国 825 0 0 0 0.00
千島国 497 0 0 0 0.00
北見国 1,514 0 0 654 0.00
天塩国 2,099 0 21 2,078 1.00
小笠原島 156 0 6 150 3.85
全国 35,928,784 3,073 1,838,486 33,769,038 5.17

Orichalcum 2008年9月30日 (火) 16:16 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

記事内容については、大変、敬服いたしますが、記事全体としてみますと、非常に閲覧しにくくなっています。可読性の観点から、分割提案します。

  • 1)まず、江戸時代以降とそれ以前を分割。この場合、記事名は「近代」の解釈によって議論の争点になることもあるかもしれませんが、私は現在の名称のままで、本文で説明すれば大丈夫かと思います。
  • 2)江戸時代以降のものが分割された場合、この江戸時代以降の情報も相当量がありますので、可能であれば、「藩別人口調査表」「府藩県別身分人員表 」ごとに新規記事をたてるといいかと思われます。

また、これは上の分割案件とは関係ない意見ですが、府藩県別身分人員表は明治政府のものであるようですが、これを「近代以前」として本項目に収めるのはいかがでしょうか?通常、日本史の一般区分においては「近代」は「明治以降」として区分されていると思いますが。(なお私自身は、織豊政権をもって「近代」とみなしております。)--西方 2011年5月30日 (月) 16:55 (UTC)[返信]

「府藩県別身分人員表」に関しては下で説明したように独立した項目にする予定です。ただ他の項目については余りバラバラにすることには賛成しません。「藩別人口調査表」のうち、『竹橋余筆別集』については江戸時代前期の人口増加を説明するのに必要な情報で、全国の領民人口集計の始まった江戸時代中期を補強するものです。またここで取り上げた藩の人口情報は、基本的には武家人口などの情報を含んだものに限っていて、一応全国調査に水増しするべき計外人口の考察のためにも必要です。
それでも分割した方がいいというのなら、例えば近代以前の日本の人口統計を残して、江戸時代の日本の人口統計部分を別項目にするのがいいでしょう。藩の統計を別にすることには賛成しません。また中世以前の日本の人口統計に関しては、結局のところ宗門人別改制度以降の江戸時代の人口統計からの逆算だったり、あるいは生産高や遺跡数からの大雑把な推計によるものだったりするので、独立の項目名とするには弱いと思います。Orichalcum 2011年5月31日 (火) 17:28 (UTC)[返信]
ご返答、ありがとうございます。すみません、分割タグには記していましたが、こちらで説明が不足しておりました。私の提案は、節「江戸時代」以降の記事を、新規項目「江戸時代の日本の人口統計」として分割するというものでした。その場合、むろん、節「江戸時代」以前の記事は、現在の近代以前の日本の人口統計を残す格好になります。
したがって、Orichalcum さんにはこの点、合意いただけたものと思います。もし他に異論等ないようでしたら、分割の作業に入りますね。
私の2)の提案については、あくまで案として提起させてもらったもので、これはまた、「江戸時代の日本の人口統計」のノートなどで、必要に応じて議論すればよいことですね。Orichalcumさんのの編集方針は最大限尊重したく思います。また、中世以前の統計の逆算その他の件についても、了解いたしました。--西方 2011年6月5日 (日) 06:16 (UTC)[返信]


府藩県別身分人員表について[編集]

本表に関しては、かねてより府藩県三治制下の日本の人口統計という項目を作って移動することを考えておりますが、現在『藩制一覧』の数字のまとめに難航しているところです。本項目に関し、その後色々調べたところ、少なくとも府藩県三治制時代の統計として以下の4つあることがわかりました。

  • A: 『藩制一覧』
調査年月:「明治2、3年に渡り各藩より上申せしもの」
調査対象:280藩
身分別人口の情報がある。使府県については人口情報がない。一部の藩の人口情報が脱落。
  • B: 『府藩県石高人口表』
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/26989/1/i14_a4361.pdf
調査年月:「明治2乙巳年調」(但し実際には明治3年頃のものがメインと見られる)
調査対象:3府266藩40県
総人口のみ。一部の使藩県の人口情報が脱落。
  • C: 『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)
調査年月:「明治3年庚午年の調査によると雖も、間には明治2年巳年の調査を以て之を補うものあり」
調査対象:1使3府265藩41県
身分別人口の情報がある。本表でメインに採用したものだが、一部の使藩県の人口情報が脱落。
  • D: 『明治史要』「使府県戸口概表」
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773542/102
調査年月:「明治4年7月14日」(但し実際には明治3年頃のものがメインと見られる)
調査対象:1使3府302県
総人口のみ。但し4資料の中で人口に関しては一番完璧(箱館開拓使の人口のみ欠落)。

これら4つの資料はすべて微妙に異なる人口を掲げており、現在これらの資料に載っている総人口、石高をまとめた表と、身分別人口表を作成中です。このうち、B: 『府藩県石高人口表』,C: 『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁),D: 『明治史要』「使府県戸口概表」に関してはすでに表が完成しております。しかしながらA: 『藩制一覧』の方は、記載方法に統一がなく、それを読み解くのに時間がかかっております。

例えば、佐賀藩を例に取りますと、C:『統計集誌』では集計がされてないためゼロとなっております。一方A:『藩制一覧』の方を見ると、人員35万4450人、士族人員2万3823人、卒人員4万3488人、社人人員850人、僧4412人とあります。普通に読み解くと、佐賀藩の総人口が35万4450人で、そこから士族、卒、社人、僧を除いた28万1877人が残りの平民人口ということになります。実際本表の脚注でもそう書いてしまいましたし、近代以前の日本の都市人口統計の方で引用しました、佐賀藩の人口統計に関する専門家の論文((a) 城島正祥, 「佐賀藩の人口統計(一)」, 『史学雑誌』, 82巻 (9号), pp. 1293–1320 (1973). (b) 城島正祥, 「佐賀藩の人口統計(二)」, 『史学雑誌』, 82巻 (10号), pp. 1450–1467 (1973).)の方でもそのように解釈されていました。ところが、B: 『府藩県石高人口表』とD: 『明治史要』の方では、佐賀藩の総人口が42万5762人となっております。 つまり、『藩制一覧』記載の「人員」35万4450人というのは、そもそも平民人口のことで、『藩制一覧』における佐賀藩の総人口は、人員+士族人員+卒人員+社人人員+僧=42万7023人が正しかったことになります。

こう書くと単なる辻褄あわせのように見えますが、『藩制一覧』記載の人口を片っ端から表にまとめていったところ、ほとんどの藩で「人員」やら「総人口」と書かれていたものが、実際には平民人口でなければ説明がつかないことが判りました。現在慎重に『藩制一覧』の数字をまとめているところで、作業が終わり次第、本表は府藩県三治時代の、宗門人別改制度から壬申戸籍成立までの過渡期の人口情報として独立させる予定です。2011年5月31日 (火) 17:28 (UTC)

わざわざ丁寧なご説明ありがとうございます。日本の人口変遷の歴史に興味を持つものとして、本当に、有益な情報、大変、ありがとうございます。鬼頭氏の本などを読んでおったのですが、世界人口との比較などないものか、と探したら、すぐにこれらの記事がありました。実をいえば、感動さえしておりました。私も今後、なにか加筆するようなことがあれば、編集に参加したいと思っております。--西方 2011年6月5日 (日) 06:22 (UTC)[返信]

日本の歴史的人口統計についての上位記事について[編集]

あと、近代以前の日本の都市人口統計国勢調査以前の日本の人口統計をいまみてましたが(ほかに府藩県三治制下の日本の人口統計をつくられる予定のようですね?)、近代以前の日本の人口統計も含めた、上位記事が必要かなとも思います。名称については、議論したいところですが、たとえば、歴史上の日本の人口統計、また「日本の歴史的人口統計」「日本の人口の歴史」でしょうか?「日本の歴史人口学」だと、個別学問の名称ではありますが、これでもいいような気もします。--西方 2011年5月30日 (月) 17:25 (UTC)[返信]

「各種人口順位表、統計」からのリンクがあるので、私はそこまで必要とは考えていませんが、上位記事を作るとしたら「日本の歴史的人口統計」あたりでしょう。Orichalcum 2011年5月31日 (火) 17:35 (UTC)[返信]
ご意見、ありがとうございます。たしかにボックスがありますが、項目としてある方が検索や、リンクをたどるにも、便利かと思います。こちらも、折りをみて、作成します。--西方 2011年6月5日 (日) 06:25 (UTC)[返信]
記事日本の人口統計のなかに「日本の歴史的人口統計」節(日本の人口統計#日本の歴史的人口統計)を作成しました。これによって、上位記事の代替となるかと思います。--西方 2011年6月9日 (木) 05:43 (UTC)[返信]

数字の表記について[編集]

流筏さんが挿入された3桁区切りの表記を戻しました。なぜならこれらはすべて「万」を桁とする日本語の文脈内だからです。

私はアラビア数字を列挙する場合は3桁区切りに統一するのが筋だと思いますし、実際私が作成した数字の多くは、「128,056,026」のように3桁区切りにしていますが、説明文の場合は、「1億2805万6026人」のように、日本語として読みやすいスタイルに統一しています。また、流筏さんが修正された内容は、例えば「1000万人」→「1,000万人」と、4桁区切りと混同された表記になっています。3桁区切りを堅持するのであれば、「1000万人」は「10,000千人」または「10,000,000人」と修正するべきですが、日本語としてますます読みにくいものになるので反対です。Orichalcum会話2014年4月20日 (日) 15:31 (UTC)[返信]