ノート:虞翻

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生没年について[編集]

虞翻の生没年はこちらにある様に164年-233年が定説ですが、

1.『虞翻別伝』では孫権が帝位に就いた229年の時に提出した上書で、耳順(60歳)と言っている。

2.『会稽典録』では四男・虞汜が南海(交州)で生まれ、彼が16歳の時に虞翻が亡くなっている。

この二点の記述に矛盾しています(2の場合、どんなに早く見積もっても虞翻は220年以降に交州に配流されている為、没年が235年以降で無ければ、計算が合わない)。現行の生没年の根拠が何処にあるのか、そして定説との整合性をどう考えれば宜しいのか、教えて頂ければと思っております。--118.155.152.40 2009年7月1日 (水) 11:47 (UTC)[返信]