ノート:藤原綏子

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>>「その第は元来は兼家の嫡妻である藤原時姫の第(或いはその父中正の第)であり、時姫腹の東三条院と道長姉弟もそこで生誕した可能性と、道長は源倫子と婚姻するまで綏子と同居していた可能性を指摘して、」
『蜻蛉日記』中巻で元禄元年(970年)の冒頭部に兼家が自分で建てた東三条殿に引っ越したという記事があります。兼家が対御方(日記中では「近江」です)と結婚したのは翌年の971年、綏子が産まれたのは974年なので、綏子母子も時姫が所有する邸宅で生活をする可能性はないと思われます。なので論文のこの部分は間違いかと思います...--山桃の森会話2023年12月5日 (火) 16:21 (UTC)[返信]