ノート:翠星のガルガンティア

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クーゲルの記述について[編集]

翠星のガルガンティアのページですが、クーゲル及びストライカーの記述について異論があります。 クーゲルの記述:『実はレド同様ストライカーと共に地球(レドの漂着場所から見て裏側)に漂着しており、打倒ヒディアーズのため地球人類を人類銀河同盟のイデオロギーの下に征服・統合しようと考え、クーゲル船団を結成。しかし途中で風土病に冒され、滅菌状態となっているストライカーのコクピット内生活を余儀なくされた末、志半ばで病死。以後はストライカーが単独で彼の意思を遂行していた。』 ストライカーの記述:『チェインバー同様地球に漂着し、風土病に冒されたクーゲルを滅菌状態のコクピットで保護しながら、クーゲル船団の象徴的存在「雷の巨人」として機能する。クーゲルの病死後は立体映像により彼の生存を偽装しながら、単独で人類銀河同盟のイデオロギーに従って船団を支配する。』 以上の記述がありますが... クーゲルの場合:既に死亡していたのは第十二話で明らかにされていますが。「打倒ヒディアーズのため地球人類を人類銀河同盟のイデオロギーの下に征服・統合しようと考え、クーゲル船団を結成。しかし途中で風土病に冒され、滅菌状態となっているストライカーのコクピット内生活を余儀なくされた末、志半ばで病死。以後はストライカーが単独で彼の意思を遂行していた。」というのは確定情報なのでしょうか? 「クーゲル船団を結成」という記述は確かなものなのでしょうか?既に存在した宗教船団に都合よく取り込まれたという仮説も現段階(2013年6月26日に記載、最新回は第十二話)では成立するのではないですか? ストライカーの場合:「風土病に冒されたクーゲルを滅菌状態のコクピットで保護しながら、クーゲル船団の象徴的存在「雷の巨人」として機能する。クーゲルの病死後は立体映像により彼の生存を偽装しながら、単独で人類銀河同盟のイデオロギーに従って船団を支配する。」とありますが、「クーゲルは風土病により病死した」というのは確定情報なのでしょうか? 地球に漂着した段階でストライカーの生命維持装置の不具合、もしくは他の要因によりクーゲルは既に絶命していたという仮説も現段階(2013年6月26日に記載、最新回は第十二話)では成立するのではないですか? --蒼空 欠片会話2013年6月25日 (火) 17:53 (UTC)[返信]

同感です。確定していない状況で、憶測で書いた文章です。最終話で明らかになるのか、公式ガイドブック等で説明されるのかはわかりませんが、少なくとも今は削除したほうが良いでしょう。--風の旅人会話2013年6月26日 (水) 03:29 (UTC)[返信]

謹啓 風の旅人様。貴方に謝意を表します。 貴官の同意を待たずに一部語句を訂正させていただきました。 既に最終話が放映された現時点では私の異議は意味をなさない事となってしまいました。しかしながらそれでも尚、業界関係者(確定ではなく予想であるが、それの個人もしくは法人格)がこのアフィリエイトを廃したウィキペディアにコメントするのは一体どういった事なのでしょうか?業界関係者ではなく、むしろウィキの運営側に返答を乞いたいものです。 妄想です。以下は所詮自分の考察ですが... ストライカーは第一話Aパートでレドを逃がすために、最終話のレドに指示を受けたチェインバー同様に『マキシマイズ、ニューロプラスパワード開始』のクーゲルの命令を受諾していたのではないでしょうか。しかもその後の『最終意志確認、レド少尉は自らの死を要望するか?』と同様にクーゲル中佐にもストライカーAIは問い詰めたと思う。しかしながら空母ラボラックに帰島するには既に遅し。かといってクーゲルを射出しても生存出来ない状況であったと考察されるあの状況で、ストライカーはどう判断すれば良かったのだろう?単純にAI的な考察ならコクピットにクーゲル中佐の遺体を保持する必要があったのだろうか?マシンキャリバーの機動的にも排除したほうが理にかなっていると思う。 はっきり言及しよう、ストライカーは悪の根源ではないと。最後まで搭乗員であるクーゲルに拘った結果ではないのかと。 逆にチェインバーは同じ状況に置かれた(レド少尉を喪った)ならどう判断したのだろうか? 私はストライカーAIに対して同情の念を禁じ得ない。敬具

削除された語句について。[編集]

私が追加した「無理なく」という語句がなぜ日本語としておかしいのか分かりませんが、当該ページの目的とする所から見て、あえて削除する程の不自然な用法とは思えません。 最終回EDにおいて歌にかぶさる形で、ベローズとの会話中での「彼らを警戒させないコツを見つけた」「…刺激しないように行動できる」「いずれ、コミュニケーションが可能になるかもしれない」というレドの台詞は、人類とクジライカとの関係を示唆するものとして作品のエンディングに配置されているならば、記述しておくのが適当と考えます。 また、シリーズ中盤でのクジライカの巣に侵入したピニオンとの区別としても必要な場面なだけに、(単に『遺産を回収する探検家』だけでは区分が不明瞭なので)短い語句ですが、残す意味はあるのではないでしょうか? --Toron会話2013年7月18日 (木) 07:20 (UTC)[返信]

前後の文に説明がないので、どのようなことに「無理なく」なのか不明です。伝えたいことは理解できるのですが、別に無理して書かなくても良いのでは。
どうしても書きたいのであれば、登場人物の説明に「クジライカと共存する道を選び、彼らを刺激することなく遺産を回収する探検家として活躍している」といった文を加えてはどうでしょうか。--風の旅人会話2013年7月18日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
「ストーリー」の項を読んでいくと15行目に「クジライカの巣である旧文明時代の遺跡へと向かったレドとチェインバーは襲いかかるクジライカの群れを殲滅。巣の中に大昔の記録媒体を発見する。」という記述があり(他にも関連する記述有り)、閲覧者が通して読んだならば、当該語句の前後は分かるのではないでしょうか。
短い語句でもあり、それほど無理な追加とも思えないのですが。私の編集から風の旅人さんまでの間の編集でもスルーされていた様ですし。(その前の『共存的に』についても)
登場人物の項に記述するのも一案ではありますが、この作品では全体のドラマの中での主人公の在りようが、作品の性質を表す点からストーリーの結末として必要と考えました。--Toron会話2013年7月18日 (木) 16:09 (UTC)[返信]

カテゴリのロボットを題材としたアニメ作品について[編集]

巨大ロボットを題材としたアニメ作品のほうが適切なのではないでしょうか?--まとのれい会話2016年6月24日 (金) 12:57 (UTC)[返信]