ノート:美作菅氏

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IP163.51.30.243から書き込んでいるuserの方へ[編集]

報告 見出しのレベルを上げました。--エンタシス会話2021年9月24日 (金) 10:45 (UTC)[返信]

Wikipediaは独自研究を載せる場所ではありません。

あなたが行っている、"各史書は伝承を載せたに過ぎない"とことさらに強調し、"だから美作菅氏の出自も自称に過ぎない"といった方針の編集は、あなた以外のその説を唱える研究者による典拠となるに相応しいものを以て根拠として示さない限り、あなたの独自研究であり、Wikipediaでは禁止されています。

また、そのような説があるとしても有力な説を先に載せ、その後に別説があるとするか、よくて両説併記になります。それらは合意形成を経て行うことです。

以下引用しますのでよく読んでください。

ウィキペディアは独自研究を発表する場ではありません。情報源を明記することと独自研究を避けることは、密接に関わり合っています。独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。

Wikipedia:独自研究は載せない Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか

あなたは有用な編集も行っていますが、以上のような問題を含む禁止されている行為を何の合意形成もなさないままに行っています。 記述が改められないようであれば、残念ながらすべて差し戻すことになります。また、同様の行為を続けられるようだと荒しと見なし、半保護以来に出さざるを得なくなります。

--射丸蔵 2011年7月28日 (木) 14:00 (UTC)[返信]

19世紀に個人が地元伝承や家伝を収集して纏めた郷土史レベルの『東作誌』や同じく19世紀に美作菅氏の関係者が自画自賛のために編纂した書物に記載された根拠、典拠のない1000年前の伝承を羅列してもっともらしく「歴史的事実」と表現する方が独自の研究です。「歴史的事実」として認められる範囲は、「美作国に『菅家党』と称する一定の勢力をもつ武士が平安時代末期から戦国時代にかけて存在し、その子孫が今も地域の有力者として残存している」ということであって、系譜すら定かでない「菅原道真の子孫」という記載は「独自の研究」でしかありません。歴史的事実は、「菅家党」の末裔たちが19世紀までに「菅家党」は菅原道真の子孫と伝承を作り上げ、その成果を書籍にしたということでしかありません。それは「歴史的事実」ですから記載する価値がありますが、「菅家党」が「菅原道真の子孫」であるかどうかは今となっては検証不可能です。19世紀に作成された書籍群の内容が検証できる古代の文書のオリジナルでも見つかれば別ですが。とくに『東作誌』は宮本武蔵の出生地論争でも採用されることの多い地誌ですが、その内容は既に否定されています。まさかとは思いますが、射丸蔵氏は宮本武蔵が『東作誌』に記載されているように平田武仁の子だと思われているのでしょうか。地域伝承や家伝などというものは歴史学では参考にはなっても検証に耐えられる傍証や他の記録との整合性がない限り史料として認められません。まして、射丸蔵氏があげている書籍類は後世の作で、論拠を示さず伝承を記載しているだけですので、一次資料でもなければ、二次資料ですらありません。伝承が歴史的事実であると主張されるのであれば、一次史料や有力な傍証のある二次資料、もしくは史料批判に耐える史料に基づいて記述し、伝承ではなく歴史的事実であると根拠を明示すべきです。

>その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。

と記載されていますが、あなたが示しているのは19世紀にそのような史料が編纂されたと事を明示しているだけです。ゆえに、歴史的事実は「19世紀の書籍にそのように記載されている」ことであって、その内容が歴史的事実かどうかとは別問題です。あなたが記載されている地誌の内容はすべて伝承です。それを記載しなければ、伝承が事実になってしまいます。少なくともあなたが記述した内容では「伝承」が「事実」に置き換えられています。美作菅氏に関する文献は19世紀以来、何度となく世に出ています。「嘘も百回言えば真実」という言葉がありますが、まさに、これがそれに当てはまるのだと私は考えます。「美作菅家党は菅原道真の子孫」というプロパガンダを流すためにWikipediaを使用することが正しいことではないと考えます。

--163.51.30.243 2011年7月29日 (金) 01:22 (UTC)[返信]

基本的にあなた独自の考え(説)を押し付けているだけで通らない話です。 Wikipediaは真実を追究したり検証する場所ではないし、それぞれの典拠に関するあなたの考えも独自研究の類です。 より信頼性の高い史料か、その様な見解の研究がある場合のみそれを元に編集して下さい。 --射丸蔵 2011年7月31日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

尊卑分脈 第十一冊 菅原氏

・知頼は子孫住美作国と書かれており、菅家党諸氏の家系図や伝承と相互に一致します。

・江戸時代に菅家党の子孫を代表して神目の菅氏が上京し、公家菅原氏の子孫と系図を確認しています。

・美作菅原氏と派生諸氏は戦国時代にどこからともなくやってきて立身したものではなく、平安時代末期には活動が(軍記とはいえ)確認されています。まがりなりにも王朝権力体制が継続している中で出もわからない存在がそのような武士団を構成する有力な存在となることは考え辛いです。

・知頼が平安時代中期に受領として美作に赴任し、そのまま土着して有力豪族となっていったというのは当時よくあったことで伝承内容に無理はなく自然です。

・実兼古墳群のような考古学的側面から実証しうる遺跡がある。

これを覆して自称とする場合、それを唱える側に一次史料級の証拠が必要になります。

また良正は上記系図では知頼の先祖ではないですが、当時の養子関係や家の継承はわからないので何とも言えません。 ~後裔と確定するのは難しく、強いて挙げれば良正、高規(-薫宣-持賢-永頼-知頼)、庶幾、美作菅原氏に関わる三人の共通の親である高視になります。

この記事は自称説によって編集される前の段階に戻し、知頼を家祖として注として尊卑分脈を上げ、編集の中で有用であった部分は後から加えるといった形にしたいと思います。 --射丸蔵 2011年8月5日 (金) 05:40 (UTC)[返信]

お二人の議論に参加するつもりはありませんが、「知頼」は尊卑以外では確認できない人物で、その尊卑でも「修理進、内匠允、従五下」しか記載されていません。また、「薫宣」も尊卑以外で実在が確認できません。尊卑では「文章生、従五位上紀伊守」と記載されていますが、国司補任では「紀伊守」に記載がなく、尊卑のみの記述と思われます。
また、美作菅家党の各種系図は混乱が多く、「知頼」の先祖に関して尊卑は「道真-高視-雅規-董宣-持賢-永頼-知頼」という系譜を載せますが、菅家党の系譜では「道真-高視-雅規-資忠-良正-(数代不明)-知頼」となっています。尊卑では「資忠」に「良正」という子は記載されておらず、知頼の数代前の先祖とされる「良正」ですが、さがすと尊卑では「道真-淳茂-在躬-輔正-為紀-良正」となっており、系譜も異なりますし、「知頼」の数代前の先祖とされる「良正」は「知頼」と同時代人程度の人物となります。この辺りの混乱を解決できないと、美作菅家党の諸系図の記述に基づく記載は控えるべきではないかと思います。
できれば、子孫や地誌のレベルではなく、学会などで発表されている学術論文か、それ同等の著述を参考文献として掲示されることをお願いします。ただ、こちらで調べたところ、それらに該当する研究はなされておらず、研究成果としては鎌倉期から南北朝、室町時代に美作国に『菅家党』と称する菅原道真の子孫と称する武士団が存在していたとしか確認できません。できれば、近年の学術論文でこの辺りのことに関して触れており、菅原道真から知頼にいたる系譜が明らかに明示されいてる論文があるといいのですが。--葉月 2011年8月5日 (金) 11:48 (UTC)[返信]

何を持って"尊卑"と言っておられるのかわかりませんが、リンク先を見ればわかるように知頼子孫が美作に土着したと書いてあります。::また伝承に基づいて通説を記すのを控えるべきとはまったく思いません。系譜に諸伝や混乱があるならそれを注で示したり、別伝として併記すればよいだけのことです。少なくとも尊卑の記載を元に書いてはならないとなったら日本史の多くが書けなくなってしまいます。源平盛衰記も史料批判をしながら用いる必要があるとは言え、研究で根拠となる史料の一つとして用いられるものです。

それと系図は必ずしも上下関係が血縁の親子をそのまま示すものではありません。養子など単純な親子関係ではないさまざまな継承が入り、それはそのような記述が系譜自体か他の記録で記されていないとわからないというだけのことです。私も初期の美作菅原氏の土着に関する仔細な研究を見たことはないですし、恐らくないでしょう。では、何も記してはならないとなったらそれは極論としかいいようがありません。最初から言っているように IP163.51.30.243のuserが加えたような、大枠として菅原氏が美作に土着し、それが菅家党など諸氏を生み出す元となったことを否定する材料は研究でも伝承にも見当たらず、そのような説を唱えるなら唱える側が根拠を示さねばならないというのが私の立場ですし、それが当たり前のことと思います。葉月さんもそれに値する根拠を示されているようには見えません。とりあえずこの記事は元に戻しますので、何かそのような説を唱える根拠となる研究なり何なりが見つかったら、それを元に編集してください。--射丸蔵 2011年8月18日 (木) 20:37 (UTC)[返信]

タイトル[編集]

タイトルが『美作菅氏』となっていますが、一般的には『美作菅家党』ではないでしょうか。タイトルをこちらへ変更したほうがわかりやすいと思うのですが…。
「武家家伝」や「日本の名字7000傑」などでも『美作菅家党』になっています。さらに、Googleで検索する際、「みまさかか」まで入力すると「美作菅家党」が表記されます。
初稿を起こされた射丸蔵様のご意見をお聞きしたいと思います。また、IPで編集されている方のご意見もお聞きしたいと思います。--葉月 2011年7月28日 (木) 16:42 (UTC)[返信]

(どちらでも)確かにインターネット上や書籍では「菅氏」より「菅家党」の方が多いが。「菅家」だと「すがいえ」という苗字があり、「みまさかすがいえとう」と読まれたら困ると思ってこの表題したのではないか。個人的には「美作菅家党」に変更した方が良いと考えるが。--163.51.30.243 2011年7月29日 (金) 00:50 (UTC)[返信]

正確に言えば美作に土着した菅原氏とそこから派生した諸氏でどちらに比重を置くかの話と思います。 私が見た限りでは菅家とか菅党とかいった簡単な表記が多く呼称は一定していません。 現在のように両者が一体となった記事であり、菅家党の方がわかりやすく一般的であるという意見が多ければ、「美作菅家党」でいいと思います。 もう少し待って投票か意見を募ってはどうでしょうか。 --射丸蔵 2011年7月31日 (日) 14:47 (UTC)[返信]

それぞれの名称が持つ意味について考えました。

美作菅家党=最も一般的。しかし、菅家党というのは"党"という字が示す通り、ある程度異なる存在が寄り集まり同じ目的に向かって行動する集団となっていることを表します。これは狭義で中世有元氏が惣領となって活動した武士集団(有元氏・鷹取氏・原田氏・廣戸氏・植月氏・皆木氏他)にしか該当せず、江見氏・垪和氏・久米郡原田氏・菅納氏などは入らないので(例えば太平記では江見氏・垪和氏は別集団扱い)、記事内容が菅家党以外を含んでおり問題があります。

美作菅氏=一般的ではなく、ここでしか使われていない。美作に土着した菅原氏から派生した諸氏は多くの場合、菅原ではなく菅の一字で呼ばれているので実態には近い。

美作菅原氏=一般的ではないが、土着した初期の菅原氏、菅家党、以後の菅原氏を名乗る諸氏まで包括し、客観的に見てもっとも問題がない。

個人的には美作菅原氏を表題として菅家党は記事内に包括するのが良いのではないかと思います。垪和氏・久米郡原田氏・管納氏など武士団菅家党として活動した諸氏が別記事として切り離され関連記事として繋がる形態となるなら、先に行ったとおり重心の問題でどちらでもいいのではないかと思います。--射丸蔵 2011年8月5日 (金) 05:08 (UTC)[返信]

射丸蔵様、コメントありがとございます。個人的には『美作菅家党』というカテゴリーにして、個々の菅家党および菅原氏を称した諸氏をそのカテゴリーに入れるほうが纏まりがいいように思うのですが、どうでしょうか。実際、菅家党に関しては、中核部と縁辺部があるように思われます。狭義と広義をわける方法も検討できるかと思います。如何でしょうか。--葉月 2011年8月5日 (金) 09:52 (UTC)[返信]
先に述べたとおり、広義で包括するなら"美作菅原氏"でないとおかしくなります。「党」としてひとつの政治・軍事集団を為す菅家党の実態がどうであったか、それは時代により異なりますし、家系図上の婚姻関係や地誌などから断片的にこうであったのではないかという予測はできますが正確な把握は菅家党内部の皆木氏が書いた美作太平記が詳細に記す時代を除いて困難でしょう。--射丸蔵 2011年8月18日 (木) 20:07 (UTC)[返信]

関連カテゴリの改名提案[編集]

Category:菅氏Category:美作菅氏への改名を提案します。まず、菅氏は現時点で記事がありません。逆に他の収録記事から読み解くことになりますが、菅原氏からの派生氏族という以上のことはわかりません。ですが、「菅氏」には菅原氏自体の略称としての用法もあります(藤原氏を「藤氏」と呼ぶように)。そうしたことから、菅氏菅原氏へのリダイレクトにしておくのが、現時点では適切と考えます。そして、現在のカテゴリの収録対象ですが、美作菅氏菅達長菅正利Category:菅實家となっています。このうち菅達長については系統が不詳、その他は美作菅氏となります。このような状況を踏まえ、カテゴリは前述のように改名し、菅達長Category:菅原氏へ移して整理する方が良かろうと考えます。--エンタシス会話2021年9月24日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

提案の通りに実施しました。--エンタシス会話2021年10月1日 (金) 12:12 (UTC)[返信]