ノート:織田信秀 (侍従)

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記述について[編集]

難儀なことになりましたが…

  • 生母興雲院説に触れるのであれば、根拠となる記述が必要。信高との幼名の関連性について触れないのは理解できない。
  • 同時に侍従に任官した者の中には同族である稲葉貞通を含めるべきである。稲葉一鉄の口添えで仕官、正室が稲葉氏ということが記述されている以上、貞通を記述しないのは解せない。
  • 侍従任官の礼物として白銀十枚を朝廷に献上した件は『歴史読本 豊臣秀吉百人の家臣・織田信秀』(1990年、筆者は岡田正人)にて確認可能である。記述の発展につながると思われるので要出典つきで残してよいと思われる。
  • 以上二点及び信秀生母が近臣パウロの処罰を求めた件、信秀との会話の詳細は『歴史読本 特集 信長と26人の子供たち』にて確認が可能である。ルイス・フロイス「日本史」に記述があることも同書に記載されている。関連項目としてルイス・フロイス及び日本史は記述してよいと思われる。
  • 洗礼名ペトロに要出典をつけていないのは理解できない。イエズス会の記録のいずれに記載があるのか、確認を要する事項である。

まあ、このくらいは書いといてもらわんと。--氏名不詳者 2008年2月12日 (火) 15:40 (UTC)[返信]