ノート:細流抄

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源氏聞書との関連[編集]

以前の版では、こうありました。

これは本書が三条西実隆の講義を受けた三条西公条の講義ノートともいうべき『源氏聞書』があり、1510年(永正7年)8月17日にそれを整理した二次本ともいうべきものが現存する『細流抄』であるためだと考えられてきた。

しかし、源氏聞書は肖柏の著書です(とされているようです)。また、明星抄にも同様の誤りがあります。 私は国文学関係の事は全く分かりませんので、どなたか訂正をお願い致します。--Ahora 2011年12月20日 (火) 07:37 (UTC)[返信]

IPは変わっていますが本項目の初版執筆者です。「源氏聞書は肖柏の著書です(とされているようです)。」とのことですが、「源氏聞書」(写本によっては「源氏物語聞書」、「源氏物語御聞書」などとなっているものもある)は肖柏の著書だけが唯一の存在ではありません。肖柏の源氏聞書とは別に細流抄のもとになったと考えられる三条西公条の源氏聞書が存在します。もともと本項目において出典として挙げていた文献、例えば伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』などを見ていただければこの点は明らかだと思うのですがどのような資料を確認した上で誤りと判断されたのでしょうか。--219.115.141.134 2011年12月20日 (火) 12:14 (UTC)[返信]

219.115.141.134さん、ありがとうございます。完全に私のミスです。失礼しました。お手数かけてすみません。単純な誤記かと思い込んでのことです。

というのは、私は全くの素人でして、今日のように、題から書物が(大体)特定できるという思考回路の下、聞書=肖柏かと思ってしまいました。考えてみれば、聞書とはメモのような意味であり、また出版される訳でもなく、評判になって繰り返し写される事で「書物/著書」ができる訳ですね。

とはいえ、ウィキペディアは誰もが見るもので、また私と同じ誤りを繰り返す可能性がありますので、やや冗長ながらその点を記した原稿案を以下に示します。(削除。この版を見よ。 -Ahora 2012年1月3日 (火) 08:08 (UTC)) もしもよろしければ御検討をお願いします。特に、[返信]

  • 「肖柏の同名の著書とは別物」と書きましたが、他にも同名の書があるならば、更にこちらで訂正致します。
  • 吉森氏の文献を引用されたようですが、誤記があり、何だったのか分からなくなっています。もし可能でしたら訂正をお願いします。すぐには分からないようでしたら、今のところは削除しておきます。
  • 「8月17日に整理」とありましたが、少しこの表現はどうかと思い、日付を括弧に入れてみました。(もし奥付か日記の日付だということが判明しましたら、その旨明記する方が良いでしょうが、それを今する必要はありません。)

色々とすみません。--Ahora 2011年12月21日 (水) 09:25 (UTC)[返信]

「源氏聞書」について、「宗祇のものとは別」といった記述を付記することについて、絶対に反対とまでは言いませんが、最初から「三条西公条の」と特定できる形で記してある以上それに加えてさらに「○○とは別」といった記述までする必要性を感じません。ウイキペディアにおける曖昧さ回避の記述方法でも単に「○○」とだけなっているのなら「××の○○については~を参照」などとしますが最初から○○(△△)などとなっているものにはわざわざ重ねて「××ではない」などとは書かないでしょう。吉森氏の文献に関する記述について「誤記があり、何だったのか分からなくなっています」とされている件については、何を根拠にどのような誤記があると考えておられるのか不明なので現時点では言及を差し控えます。出されている案のその他の部分についてもどこをどのように改善するための変更なのか私には分からないので意見は差し控えさせて頂きます。(現時点では賛成でも反対でもありません。)「私の記述が完全なものなので一切修正する必要はない」などと主張するつもりは毛頭ありませんが、今回の件についてはAhora氏が「完全に私のミスです。失礼しました。お手数かけてすみません。単純な誤記かと思い込んでのことです。」と認めておられますので、修正するにしてもまずはその編集を差し戻した上でそこから議論を始めるべきかと思います。当初私が出典としてあげておいた『源氏物語 注釈書・享受史事典』といったいくつかの文献(これらの本はある程度以上大きな図書館に行けば置いてあると思います)をご自身で読んで頂ければ、お持ちの疑問(ないし誤解)はかなりのところ解消するのではないかと思うのですが、ご自身で確認して頂くことは出来ないのでしょうか。--219.115.141.134 2011年12月24日 (土) 16:36 (UTC)[返信]

お返事が無いようなのですが、一部追記しておきます。「源氏聞書」ないし「源氏物語聞書」とされる書物については、ここまでの議論で問題とされている「三条西実隆の講釈を三条西公条が書き残したもの」や「一条兼良や宗祇の講釈を肖柏が書き残したもの」のほかに、講者や筆者が分かっているものだけでも徳大寺公維の講釈を記したもの、新納忠元のもの、里村紹巴などの講釈を中院通勝が記したもの、細川幽斉のもの、後陽成天皇のもの、春光軒瑞俊のもの、松永貞徳のもの、本居宣長のもの(異なる弟子(服部中庸と殿村安守)により別々に成立したものが複数あります)などがあり、四辻善成の講釈の記録として聞書形態の最も古い注釈書である千鳥抄にも松平文庫本のように「源氏物語聞書」と題された写本があり、覚勝院抄にも「源氏物語聞書」題された写本があります。さらにこれらの他にもいつの誰の講釈を記録したものか分からない「源氏物語聞書」の伝本が(写本の現物には内題も外題もなく、研究者たちによって単に「通称」としてそう呼ばれているだけものも含めて)いくつかあります。これらの中には似たような内容を持ったものもいくつかあるのですが、もともと内容的に近い立場を取っている別の人の講釈を記録した最初から別々の「源氏物語聞書」であったのか、それとも一つの「源氏物語聞書」が書写されていく中で発生した異本なのか判断できないケースもあります。私は個々の「源氏物語聞書」について触れている文献はいくつか見たことはありますが、別々に成立した「源氏物語聞書」全般について論じた文献を見たことは無いので、全部でいくつの「源氏物語聞書」が存在する・したのかは不明と申し上げるしかありません。なお、以上の記述は手元にある資料でごく簡単に調べただけなので、もし「源氏物語聞書」を正式に立項するとなったら調査可能な一通りの文献をきちんと調べることになりますから結論が代わってくる可能性もあることを申し添えておきます。--219.115.141.134 2011年12月31日 (土) 07:40 (UTC)[返信]

お待たせしました。
まず、文献を先に読め、との御指摘は全く正しいですが、私は近い内には文献にアクセスできません(世の中には色々な人が色々に暮らしています)。ウィキペディア(など)は、各人ができる事をする、そういうものです。もし私が219.115.141.134さんに、無理にお願いをしているように聞こえたならば失礼しましたが、そういうつもりがある訳ではありません。よろしければ、です。
吉森氏文献について。記事の脚注1が伊井氏文献ですが、脚注2は、吉森佳奈子「...」となっていて、括弧内が(ほぼ)まるまる脚注1になっており、誤りに思うのは自然です。"伊井春樹著「細流抄から明星抄へ」"という題の可能性も考えましたが、普通はありえない題であり、先に「誤記」と申し上げました。お返事から推測すると、そのような題なのかとも思えますが、もしそうならば、改善が望まれます。外側を鉤括弧から何か(たとえば"")に変える、題をイタリックなどにする、「(という題である。誤記ではない)」などと付記する、(もしくは「ママ」)、これらの幾つかを行わない事には、かなり不親切です。あるいは本文に「伊井<ref>..</ref>、吉森<ref.../>が指摘」など記し、書籍の名前のみ脚注に入れて題は省く方法もあります。
聞書の御調査につきましては、大変ありがとうございます。私と致しましては219.115.141.134さんにお任せするしかありません。ただ、全ての「聞書」の存在が判明するという事はあり得ませんので、今分かる範囲内の記事を先に立てる事は全くおかしくないと思います。「少くとも以下が知られる」など書けば良い訳ですし。
なお、本記事で「公条の聞書」と明記するかどうかは、暫く後で良いでしょう。これは私がやれば済む事で、219.115.141.134さんの手を煩わせるものではありません。
差し戻された記事自体、改善すべき点がいくつかありますが、これは別に節を立てておきます。この節は私の誤った編集についてであり、それはほぼ済んだと思いますので。ありがとうございました。--Ahora 2012年1月3日 (火) 08:08 (UTC)[返信]