ノート:神田辰之助

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

神田辰之助の師匠について[編集]

 師匠を木見金治郎と書いていますが、原田泰夫編著『名棋士81傑 ちょっといい話』(講談社+α文庫、1998年発行)によると、はじめは坂田三吉に師事して、いったん将棋界から離れたのちに木見に師事し、また坂田のもとに戻ったというふうに書かれています。神田の師匠は誰かはっきり言えないのではないでしょうか? --Komitomo9654 2008年8月19日 (火) 15:33 (UTC)[返信]

私は初稿執筆者ではありませんが神田九段の記事に加筆した者として一言言わせてもらいます。私が持っている天狗太郎著『勝負師の門 新・名棋士名勝負』(光風社書店、1973年7月15日発行)に松浦卓造八段(神田辰之助門下)が取り上げられていますが、松浦八段の文章の所に「目指す木見門の中井捨吉八段(引用者注:中井八段は木見門下)を訪ねると留守。そこで同門の神田に入門した」(以上引用)という記述があります。恐らくそこを出典としているのではないでしょうか。
最も、朝日新聞社編集『現代日本 朝日人物事典』(朝日新聞社、1990年11月発行)の神田辰之助の項目によると神田九段は坂田三吉の所に出入りしていたので、『現代日本 朝日人物事典』のみを読めば「神田辰之助は坂田三吉門下だ」と思われるかもしれません。ただ当時の関西将棋界関東と異なり師弟関係がはっきりしていなかったようです。正式には木見門下となっている中井八段も、昔読んだ大山康晴十五世名人(木見金治郎の内弟子を経て将棋棋士となる。勿論木見門下)の著書(タイトルは忘れたが、PHP研究所が発行した本だということだけは覚えています)によれば坂田三吉に師事していたように書かれています。
それよりも、木見金治郎が関根金次郎十三世名人門下だということの方が私にとって初耳です。今まで読んだ将棋雑誌や将棋関係の書籍のどこにも「木見は関根門下だ」とは書かれていないからです(正直、要出典のテンプレを貼りたいくらいです)。木見金治郎が関根金次郎門下だという記述に関してKomitomo9654さんはどのようにお考えか教えていただけたら幸いです。--125.2.28.216 2008年9月1日 (月) 13:43 (UTC)[返信]

 回答ありがとうございます。正直言うと先に紹介した本でしか昔の棋士のことを知らなかったので、大変参考になりました。いずれにしても、当時は師弟関係がはっきりしてなかったのですね。もうすこし他の意見を聞いたうえで修正するか検討します。

 125.2.28.216さんが気にされている木見金治郎についてですが、先の本では「家業の傍ら将棋に励み、大正3年関根金次郎八段に師事した。」と書いています。門下とまではいかなくても、それに近い関係だったようです。 --Komitomo9654 2008年9月2日 (火) 12:26 (UTC)[返信]

上の議論にあるように、坂田門下とも木見門下とも言いがたいことと、公式の棋士系統図において神田の師匠は明記されていないことを重視し、木見門下と明記した部分を削りました。--倫敦橋 (Londonbashi)会話2013年10月27日 (日) 21:09 (UTC)[返信]