ノート:王権神授説

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2012年4月7日(土)03:54版[編集]

TAさんにより「日本の場合」項目の加筆がありましたが独自研究になっており、百科事典の項目として問題があります。百科事典は、編集者の独自の哲学や理解を開陳する場所ではなく、読者の「調査の足がかり」となるコア(事実)を蒐集する場所であるという点を注意し加筆して頂くようよろしくお願いします。参考(Wikipedia:独自研究は載せない)--大和屋敷会話) 2012年4月7日 (土) 05:19 (UTC)もしかして小室直樹からの引用でしょうか?この書籍は手元にありませんのでにわかには判断できませんが。もしそうでしたら引用方法や執筆方法に問題があるかもしれません。書籍の該当箇所をそのまま引用してしまうと著作権上で問題になります。Wikipedia:引用のガイドラインWikipedia:著作権もご紹介しておきます。--大和屋敷会話2012年4月7日 (土) 05:28 (UTC)[返信]

どうもTAです。この内容は高名な社会学の博士であられる小室直樹先生の著作であり、私個人の独自研究ではありません。さらに書籍の箇所をそのまま引用したものでもなく(引用には引用タグを用いる方法は存じております)、内容を要約しあたらな表現も加わっております。なぜ反射的にリバートなさったのか存じませんが、一度原本を読まれてこの2点ご確認ください。--TA会話2012年4月7日 (土) 17:33 (UTC)[返信]

  • ありがとうございます。では記述上の体裁の問題ということで宜しいでしょうか。「伊藤博文曰く~」で起筆するのではなく「小室直樹によれば~」で加筆する方向で検討してみます。--大和屋敷会話) 2012年4月7日 (土) 22:10 (UTC)修正しました。伊藤博文の紹介については百科事典的価値が高いとおもいますが、小室の論調はなにかおかしくないですか?(「民主主義には一神教が必要」と伊藤が言っていたが一神教がなければ民主主義は定着しない。戦後日本がアノミーになっているのは一神教が無いからだ云々)。当方が修正した時点でまちがってしまった可能性がありますので、もし誤筆がありましたら修正のほどお願いします。--大和屋敷会話) 2012年4月7日 (土) 22:30 (UTC)ちょっと修正してみましたが、小室の独自の哲学があいかわらず吐露されてるだけで百科事典としてあいかわらず奇妙な記述という印象がぬぐえません。これは中立性の観点による疑義です。他の文献による記述も広く募集したいところです。--大和屋敷会話2012年4月7日 (土) 22:43 (UTC)[返信]
    • このような歴史研究は常に進歩しております。例えば今までだれも民主主義には一神教が必要だったとは考えもおよばなかった事が、社会学の研究の成果の一つとして新たに明らかになったわけです。中立的な観点ということでありますが、この担保は両論併記によって実現されます。例えば今回加筆する前にすでに書かれていた文章「日本において見られた、このようなバランス勢力や抑止作用を欠いた危険な構造が第二次世界大戦での日本の暴走と悲惨な結果を生んだ、と指摘されることもある」などを削除した上で今回の加筆をしていれば読者にとって中立的ではないでしょうが、今回この説はそのまま残してあり、読者はどちらの立場に立ってもよいという選択が与えられ、ここに中立性は担保されております。また、小室の独自の哲学が吐露されているだけとの事でありますが、では「日本にバランス勢力や抑止作用を欠いた危険な構造が日本の暴走と悲惨な結果を生んだ」という主張は一体どのような根拠に基づき「独自の哲学ではない」のでしょうか。また、伊藤博文が皇室をキリスト教の代用品にしようとした事と、なぜそうしたかという動機(民主主義憲法を制定するには一神教が必要)は伊藤博文が世界中の憲法を調査して行き着いた結論であり、切り離せないものであります。動機はおかしいので記載すべきではないが、一方でその動機に基づいて結論づけられた伊藤博文の発言は重要というお考えは矛盾があると存じますがいかがでしょうか。さらに申し上げると、小室直樹の論調がおかしいとのことでありますが、「小室直樹の論調はおかしい」という大和屋敷さんの個人的主張をウィキペディアに反映させるべきだとお考えなのでしょうか。小室直樹の論調がおかしいかどうかは読者が判断することであり、その判断が可能なように書籍の出典を明記して検証可能性を担保しているのではないのですか。例えばウィキペディアでは、もし個人的主張に基づいて記載したいあるいは削除したい主張があるなら自費出版でもよいから本を出版し、それに基づいて検証可能性を担保した上で編集することを推奨しております。--TA会話2012年4月8日 (日) 01:49 (UTC)[返信]
  • 加筆した箇所の記述の問題だと思うのです(小室の問題ではなく)が、ちょっとおさまりが悪い感じがしているのです。おそらく書き方の問題でしょうね。--大和屋敷会話) 2012年4月8日 (日) 02:07 (UTC)つまり「日本における王権神授説と天皇」について解説する項目であるのに、いつのまにか話題が戦後日本の民主主義批判にすりかわってしまっているから奇妙な読後感になるのではなかろうか。--大和屋敷会話2012年4月8日 (日) 02:13 (UTC)[返信]
    • 社会学は科学でありまして、「感覚」で語られますとこれは科学ではなくなくなってしまいます。ここが具体的にこのように悪いから、次のように改善すべきだ、という議論こそあるべきであります。小室直樹の主張部分と伊藤博文の引用部分はカギ括弧閉じで明確に区別されております。この加筆全体が誰の主張かわかりにくいということでしたら、私が投稿した内容の先頭に「小室直樹の説によると」という一文を付加すれば十分でありましょう(この場合は、一つ目の説は誰の主張なのかも同様にわからない状態になりますが)。また、王権神授説の範囲を逸脱した記述があるとの論点でありますが、他国においては一神教と国民が切り離された歴史はありません。もし一神教国で、神はただの人間だ、キリストはただの人間だ、アッラーはただの人間だなどと言えば追放されるでしょう。しかし日本では軍事占領下において唯一これが国家プロジェクトとして実行されたのであります。この社会的国民的影響は日本特有のものであり、「日本の場合」だからこそ必要な記述であると存じますがいかがでしょうか。--TA会話2012年4月8日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
  • うーん論点がかみ合わないですね。①百科事典の記事として違和感を感じた②投稿者の独自研究の吐露ではないかと考えた③ところが小室「日本人に告ぐ」からの引用であることが判明した④ではこの百科事典の記事としての違和感はなにか⑤小室の哲学の吐露になっているからか?⑥いやどうもそういうわけではなさそうだ。記事の主題であるところの【日本における王権神授説】を解説する記事であるのに、途中から【戦後民主主義に対する分析】に話題が変わっており、それゆえ読んだ後に何を読んだか理解できないようになってしまっている(話題がいつのまにかずれている)⑦伊藤が民主主義には一神教が必要だと論じている箇所は帝国憲法創設者による解説であり、まさに【日本における王権神授説】を解説するテーマを論じている⑧しかし後半、小室による戦後民主主義は神権性をうしなったので漂流している、との解説は、もっとコンパクトにまとめないと底本(「日本人に告ぐ」)の主題にひっぱられてしまい、百科事典側の主題とズレてしまうのではないか。⑨いずれにせよ小室本のwikipediaでの紹介は当然あってよい・あってしかるべきであるが、体裁でちょっと困っている。こんな感じです。--大和屋敷会話) 2012年4月8日 (日) 08:00 (UTC)脚注機能をつかって編集してみました。--大和屋敷会話2012年4月8日 (日) 08:32 (UTC)[返信]
    • これまでご呈示の1~9の論点の全てについて逐一お答えしてまいったと存じます。論点がかみ合っていないとは考えられませんけれども、どこがかみ合っていないのでしょうか。長文であるので底本の主題に引っ張られるとのことですが、そのような中立性の議論はすでに行いましたよね。指摘Aと指摘Bとが両論併記されており、中立性は担保されております(従って引っ張られる、ということはない)。指摘Aの文章量が少なくて指摘Bの文章量が多いということでしたら、指摘Aの文章量を増やすことこそが編集する側としての使命でありましょう。また、失礼ですが大和屋敷さんはどうも個人的主張に基づいて、ご自身の気に入らない箇所を現時点ですでにあちらこちら削除なさっていますね。体裁でお困りとのことですが、かかる理由から、体裁でお困りになられる理由などどこにもないと存じますがいかがですか。--TA会話2012年4月8日 (日) 12:00 (UTC)[返信]
  • 論点(観点)のずれについては従前にご説明申し上げておりますがご理解いただけていないようなのは些か残念であります。当方の編集は一旦完了しましたので、あとは宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話2012年4月8日 (日) 13:02 (UTC)[返信]
    • 大和屋敷さんの編集内容を尊重し大和屋敷さんの編集なさった全文を残します。また、指摘Aについて誰のどの出典にもとづく指摘かがあいかわらず不明なままですので(どの出典にも基づいていない可能性さえある)、こちらの調査と、文章を加筆してより詳述なさるよう、後日こちらの部分を加筆修正なさるウィキペディアンのみなさんにお願い申し上げます。--TA会話2012年4月8日 (日) 15:34 (UTC)[返信]


  • 今回はルビというか、かっこくくりでの読み仮名付与に留めるけれど、瘰癧なんて、一般的でもなく、常用・当用でもJIS1でもなく、かつ医学用語的にも一般的でない漢字をそのまま記述する神経に疑問を呈させて頂く。

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中国の王権神授説[編集]

「韓非子」第八、四に「主上不神、不将有因」とあり、「君主が神のようでなければ、将官たちは従わない」とあり、中国の王権神授説です。紀元前280年~紀元前230年の間に成立したといわれており、このとおり、韓非子を採用した秦王えい趙が紀元前221年に始皇帝(秦始皇帝)に即位しました。これ以後、中国の皇帝は神のごとくあったので王権神授説といえるでしょう。--バンパー会話2018年4月14日 (土) 01:00 (UTC)[返信]

文の構造[編集]

"また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない"と書いてありますが、最初に「王権は」と「人民は」があるのは正しいですか? この文の構造が理解できません。私には「王権は」が「拘束されることがなく」と呼応しているように見えて、「人民は」はそのあとに繋がる述語を持っていないように見えますが。 Sin Jeong-hun会話2021年6月21日 (月) 04:47 (UTC)[返信]