ノート:獨協大学/過去ログ1

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3つの特色について[編集]

3つの特色を書いて頂きましたが、以下の点が気になりましたのでコメントアウトとしました。

  • 「語学の獨協」という言葉は自称であると理解しているのですがどこか公的機関がそのように読んでいるのでしょうか。ただ「言葉から判る」ということにしてしまうと関係者以外にはそうした公的機関の呼称であるかどうかが判りませんので補筆をお願いします。
  • 西洋文化を取り入れることと語学教育を重視することの関連性が明確ではなく、文章としても関係者以外に判りませんのでもう少しご説明願います。
  • 「出るに難い大学」を謳っているとのことですが、どちらに書いてありますでしょうか。ソースの提示をお願い致します。
  • 卒業が難しい大学が西洋式であり、かつ日本では珍しい根拠が不明です。公的機関のソースをご提示下さい。
  • 3つの特色が獨協大学の「国際的で学際的」な校風を醸し出す根拠が不明です。関係者以外にも判るように執筆をお願い致します。

以上、ご確認のほどよろしくお願い致します。--秋の虹 2006年4月29日 (土) 13:30 (UTC)

特にご返答いただけなかったので削除で合意といたします。--Akinoniji 2006年5月31日 (水) 02:29 (UTC)
一応、「語学の獨協」というのは、学校法人獨協学園のHPには触れられています。あと、「卒業が難しい」というのは私が在学していた時代にも「法学部4年生1割留年説」とか(実際に卒業した時の同期で留年した友人が何人もいましたが)ありましたし、天野先生の著書にもそのような方針が書かれていたような気もしますが、現状としてどうなのかというのを公的なソースとして求めるのはちょっと厳しいと思います。--水野白楓 2006年6月7日 (水) 03:18 (UTC)
「語学の獨協」は自称ということがわかれば問題ないと考えます。現在掲載されている文章は自称とわかりますので問題ないと考えますがいかがでしょう。また、出るに難しいというのは近年多くの大学で謳っており、実際に明治大学などでは大量の留年者を出すなどの状況になっています。方針として何か明記されているものがあれば、あるいはどこか公的機関がまとめたデータがあれば掲載できるのですが、現状は見つかっていません。何かありましたらぜひともご教授ください。
なお、よろしければ下の節に関しても情報をご提供いただければ幸いです。よろしくお願い致します。--Akinoniji 2006年6月7日 (水) 03:57 (UTC)

外国研究について[編集]

明治時代に設立された教育機関は多かれ少なかれどの教育機関も外国研究を実施していたと思います。また、江戸時代の蘭学塾などは外国研究の先駆といえます。このように考えるとこの表現は何か公的な機関がそのように認定していない限りは使用するのが難しいと思います。もし、公的機関がそのように認定したとのことでしたら出来ましたらソースをご呈示頂けますと助かります。 --秋の虹 2006年4月29日 (土) 13:40 (UTC)

特にご返答いただけなかったので削除で合意といたします。--Akinoniji 2006年5月31日 (水) 02:29 (UTC)

編集内容に関して[編集]

2006年6月7日 (水) 03:09 (UTC)までに行われた編集内容に関して疑問がありますのでこちらに挙げておきます。

獨協の由来ですが、[1]を見ると
獨協の「獨」は独立の「独」でもあり、「協」は協調の「協」でもあります。
とあります。「でもあり」ということは本当は違うのだけれどそうもとれます、という意味になってしまうと思います。獨逸学協会の略称から取ったのではないということでしたらソースのご呈示をお願い致します。
「学際的な校風」が丸々消去されました。以前のノートの合意事項から外れることになりますが、問題はないのでしょうか。
以上です。ご意見などお願い致します。--Akinoniji 2006年6月7日 (水) 03:11 (UTC)

以前から編集の内容が意図はされなくとも若干の悪意の含まれた感のある表現であったとおもいます。 1)「語学の獨協を自称しており」の自称とは「実態は伴っていないが自分で、そう主張している」という感が漂い「卒業生はこの語学教育が学際的な校風を保っていると思っている」でも 同じような感が漂うことになります。それに卒業生がそう思っているということのソースはあるのでしょうか? 2)獨協大学は確かにドイツにルーツを持ちますが、今はドイツ関係の教育や研究を看板にしているのではなく、英語等も含めた広い語学教育や国際教育を看板にしています。現在に書き方では獨協は既に、既に時代遅れのドイツ研究を中心とした存在意義の無い大学としての意味を読んだ人に与える事になります。

公の場に名を出し、紹介するならば、そのような表現法についても気をつけていただきたいとおもいます。名の由来については以前、私が何かで見たことなのですがソースがハッキリしないので、一旦同意いたします。

「自称している」というのは自ら名乗るという意味しか内包しておらず、そのような意味を持たない言葉です。ただ、この修正に関しては私は異議を唱えておりませんので悪しからずご容赦ください。また、学際的な校風の部分は掲載にこだわる方がいらっしゃいましたので妥協案として提示したに過ぎません。関係者が「いらない」というのでしたら私としてはむしろ削除を推奨していましたので全く問題ありません。
さらに獨協学協会の略称であるということとドイツ研究というのはちょっと悲観的に見すぎではないでしょうか。
なお、獨協の略称の件ですが、この間に調査をしてみました。戦前の新聞や獨協中・高同窓会獨協百年・年表などを見ると「獨協学校」などという表現が見えますので元々はその略称であったと考えられます。しかし、この同窓会のページに
「財団法人獨逸学協会」の名称を「財団法人獨協学園」に変更申請
した際の逸話として
「獨逸学協会」の獨協から、「獨立協和」の獨協へ転身
とあります。つまり大学設立以前に変えていたことになります。獨協中・高同窓会獨協百年・年表は大変に興味深く、特に再建に至る過程がダイナミックに書かれておりました。この資料は同窓会が公表している内容であるため、正確性にも富むと考え、まとめ直してみました。
また、まとめなおしたところ、この年表部分は学校法人獨協学園への分割した方がよいと考えるに至りましたので分割を提案します。内容や沿革を確認すると大学よりも獨協学園自体に関する内容が多く、本記事の沿革欄は大学設立まではきわめて簡便に記すにとどめ、基本的には設立以後の話にとどめた方がよいような気がしてきました。こちらもご意見をお願い致します。--Akinoniji 2006年6月7日 (水) 06:12 (UTC)

調べなおしの上にまとめ直して頂き有難うございました。なお年表を学校法人獨協学園へ と分割した方が宜しいとのことですが、率直に申し上げて、その必要は無いと思います。 というよりも、学校法人獨協学園のページを別個に設ける必要が無く、獨協大学の ページへ統合しても良いかと思います。なぜなら、まず獨協学園は獨協中学・高校から端をなしますが現在では大学がその中核であり、学園本部も大学と同じ埼玉県草加市におかれています。学校法人獨協学園のページも他と重複している部分が多い上に編集も進んでいなく、 更に、学習院などでも学園全体の沿革を大学のページで説明していることから、学校法人獨協学園のページは削除しても構わないと思います。

あと本稿とは直接関係無いのですが獨協医科大学姫路獨協大学のページでは獨協大学のページの内容と混同されていて、例えば医科大学のページでは「法学部や経済学部でも~」などという言及がされています。編集のし直しが必要かと思われます。

大変申し訳ないのですが、百科事典であるため、大学という教育機関の説明と学校法人という法人組織に関しては別の記事になります。この部分を混同されている方が多くいるためまだうまく分離できていないのですが、本来は大学という教育機関に関してはその教育機関が出てきからの歴史や沿革データをまとめるのが本来の姿です。
現在の獨協学園の歴史を考えますと大学の項目に書くべきは大学が出来てからであり、それ以前の歴史や法人として何をしたという内容は学校法人の記事に書くことになります。
今回例に挙がった学習院などはそこの区分けが不完全であり、今後編集し直さなければならない(むしろそちらの方が多い)状況になっています。
一学校法人一教育機関の場合はどうするかなど、まだまだWikipediaの教育分野は決めなければならないことが多いのですが、なにぶん教育分野全体に興味のある方が少ないため、放置状態となっているのが現状です。
以上、苦しい状況などを愚痴のように書く状態で申し訳ないのですが、よろしければ獨協学園とその設置教育機関の再編成にご協力いただけませんでしょうか。他の教育機関がまだうまく執筆できていないので、ここで獨協学園がうまく記述の使い分けをすると今後模範例として様々なところでお知らせすることも出来るのです。お手数ですが、ご協力のほどよろしくお願い致します。--Akinoniji 2006年6月7日 (水) 10:57 (UTC)
現在の大学の記事のあり方からすれば、それがベストなのかも知れませんね(ただの愚痴として聞き流して戴ければ幸いですが、獨協関係者の中には明治初期の九大法律学校の一つにも関らず、その中で大学設立が唯一戦後になってしまったために、戦後の新設大学と一緒くたにされるのを嫌う古い方もいらっしゃる(先年亡くなられた某教授氏の言に「百科事典が中立性を謳うならば、早稲田が“東京専門学校”から書かれるのであれば、獨協も“獨逸学協会学校”書かれなければ公正・中立とは言えない」というのもありました)のも事実なのですが…)。Akinonijiさんにその辺のご判断はお任せします。--水野白楓 2006年6月7日 (水) 13:16 (UTC)
そこは私も気になっているところなのです。本来の意味で言えば、例えば早稲田ならば旧制大学として認可される以前に関しては別の記事にするべきではないかとも思っています。その上でそれぞれの学校の通史に関しては学校法人の記事で書くべきではないかと。あるいは東京大学であれば一番最初に出来た東京大学以前の江戸幕府の学問所などに関しては別途記事を起こし、そこからの通史は国立大学法人の記事で書くべきではないかなと。この辺は一回きちんと整理して提案しておきたいところです。--秋の虹 2006年6月10日 (土) 12:05 (UTC)
どこまで獨協関係者の思いに答えられるかわかりませんが、中立性・客観性を保ちながら源流は獨逸学協会学校であるという記述を沿革に入れてみました。大学がそう広報しているという資料は大学案内や公式サイト[2]などに多数出ているのでこのように書いても問題ないと考えました。皆様のご意見をお願い致します。--秋の虹 2006年6月20日 (火) 02:05 (UTC)
拝見させていただきましたが、中立的かつ客観的さを維持しつつも、きちんと獨逸学協会学校との関係に触れられていて、文章としても秀逸な名文だと思いました。--水野白楓 2006年6月20日 (火) 02:48 (UTC)

大学と学校法人という形で別記事にした結果、獨逸学協会学校の歴史等詳細について調べにくくなった部分があると思います。(九大法律学校の記事中の「獨逸学協会学校」は「獨協大学」にリンクされています)また「自ら~謳う」の件ですが、「沿革」のほうも単に「語学の獨協を謳い」で良いのではないでしょうか。

最初の件ですが、最近読んだ本(新宮譲治『獨逸学協会学校の研究』(校倉書房 2007年 ISBN 4751738405))によると、昭和22年に日本の民主化にそぐわないことを理由に「獨逸学協会」の「獨協」から「独立協和」の「独協」に改称したものの、OB達の猛反発にあって6年後に元に戻したそうです(なお、既に獨協の校長となっていた天野貞祐はこの再改称に反対であったものの少数で押し切られたそうで、天野だけは亡くなるまであえて「獨協」という文字を使わずに「独協」表記を続けていたという話があるそうです)。--水野白楓 2007年11月25日 (日) 08:04 (UTC)

表現などを修正しました[編集]

合意されている事項などを参考に表現を修正しました。Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学には様々な合意事項が定められていますので参照して下さい。--秋の虹 2007年5月4日 (金) 16:52 (UTC)

編集内容について(2)[編集]

  • 大学全体の項目について
    • 研究および研究に関する記述内容を、簡素化を図るために適当項目へ移動しました。
  • 建学の理念の項目について
    • 哲学科目の必修と出欠調査が建学理念に基づく結果として実施された経緯から、要因・原因を記述することが客観性を損なわないと判断し、「建学理念に則って」と記述を加筆しました。
    • 建学理念についての論説を朝日新聞に発表したという事実は、朝日新聞の詳細(何本社版か)の確認ができなかったので削除しました。なお、獨協大学の公式サイトにて新聞記事(切り抜き記事)の写真が掲載されており、将来的に該当ページのリンクを貼ることで対応すべきか検討の余地がありましょう。
  • 教育および研究の項目について
    • 過去の特色(語学教育と少数ゼミ)を機軸とした取り組み(学部間での専門科目の履修など)を現在の特色と判断し加筆しました。
  • 学風および特色の項目について
    • 「徹底した」という表現ついて、客観的評価が難しいので、学則に記載されているという事実の指摘に留めた記述内容に変更しました。
  • 略歴の項目について
    • 「発祥の起源」は「始まりの始まり」の意になってしまうので、二重表現を避けるため修正しました。
    • 獨逸学協会学校時代のに関する特色・内容は、獨協学園・獨協中学のページに詳しく記録されており、また「略歴」という意味で記述の簡素化を図る上から詳細の一部を割愛しました。
    • 2006年時点での記事内容でしたので、2007年5月現在にあわせて訂正しました。
  • 大学院の項目について
    • 法学研究科(法科大学院とは別)が二つ記載されていたので削除し、あわせて法科大学院の専攻を加筆しました。
  • 教育の項目について
    • 一部修正
  • 学生生活の項目について
    • 花火に関する内容について、「親しまれている」という表現が受動態であっても、とくに事実を歪曲する表現でもなく、また客観性に特段に欠けるものではないと考えます。秋の風物詩との記述は、主観的な表現であると判断し削除しました。
  • 大学関係者組織
    • 客観的表現に留意し、一部表現を修正しました。
  • キャンパスの項目について
    • 単一キャンパスでの教育研究という記述は、教育および研究の項目が妥当と判断し、削除し移動しました。あわせて該当項目で加筆修正をしています。
  • 学生食堂の項目について
    • 「座席数2000席となっている」における「なっている」という表現が、何かに起因した結果・成果であるとの意に近く、日本語としての混乱を避けるために「有する」という表現に修正しました。

査読を致しました。過去のこのページでの合意事項や獨協百年・年表などを参考にして査読しています。なお、誤解があるようですが、獨逸学協会学校は中等教育機関です。旧制の高等教育旧制高等学校大学予科旧制大学および旧制専門学校などのみで一時期存在していた専修科は高等教育機関に該当しますが、それが廃されたあとは中等教育機関のみの存在となります。その辺に関してはこのノートでも議論があり、調整された結果、表現がなされています。ノートの合意事項などを今一度ご確認下さい。--秋の虹 2007年5月6日 (日) 15:37 (UTC)