ノート:清水潔

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『桶川ストーカー殺人事件』の著者とは別人[編集]

有名な『桶川ストーカー殺人事件』の著者とは別人。 しかし、内輪でない世間で知られた著書が1冊もあるわけではないし、著名活動がある人物と言えるかなあ? 私には判断できないので、むしろ、この人物を知らない方が客観的に見てください。—以上の署名の無いコメントは、Isejin okegawa会話履歴)さんが[2006年10月16日 (月) 02:22 (UTC)]に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。[返信]

「『國史学の骨髄』」[編集]

書評・紹介:「『國史学の骨髄』」(田中卓編『平泉澄博士全著作紹介』所収 勉誠出版 平成16年(2004年))について 

私が立てた項目に沢山のご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。特に、著述目録は可成り充実して参りました。他の歴史学者の項目に較べても、著述目録についてこれ程充実したところはございません。  処で、表題の件、実は初出がございまして、もともとは雑誌「日本」に掲載されたものです。私にとりまして「日本」は閲覧しがたい雑誌でございますので、どなたかご存知の方がおいででしたら、何卒お書き加え下さるようお願い申し上げます。--蘇民将来 2006年11月6日 (月) 11:42 (UTC)[返信]

著述目録について[編集]

論文の類まで掲載することについて。そのようなものまで採っていたら切りがないし、そうでない場合は事典として取り上げる意味もない。さらに、繁多となって極めて見づらい。加えて、いかにも業績が乏しいことを露呈しているようで、みっともない。著書のみとして論文は削除しても良いのではないでしょうか? --Mattamatta 2006年11月14日 (火) 12:01 (UTC)[返信]

そうとは思いません[編集]

既に著述目録が披見できる学者ならともかく、そうでない学者については著述目録を付した方がかえっていいと思います。なぜなら、著述目録はその学者を語らしむ格好の材料だからです。下手な解説よりも、著述目録のほうがその学者の人となりがわかるからです。それと、「いかにも業績が乏しいことを露呈しているようで、みっともない」というのは、その学者に対して大変失礼な物言いであると思います。著作が多い学者が優れた学者とは一概にはいえませんし、なかには、著書を出されなくとも優れた研究をされた学者もいるわけですから。例えば東大史料編纂所教授であった太田晶二郎(故人)は、大変緻密な研究をし、学界に於いてもかなり評価の高い学者でありましたが、生前は論文のみで著書は一冊もありませんでした(尤も、歿後著作集は刊行されましたが)。逆に、世の流行に任せて、愚にも付かない著作を粗製濫造している学者が多い昨今、太田晶二郎のごとき学者は大変貴重な存在であったと思います。--山冪寒雲 2006年11月30日 (木) 13:47 (UTC)[返信]

山冪寒雲様の御意見、一面においてはなっとく。この学者についての「著述目録」は、インターネットの論文検索にのみ頼っているわけでなさそうで、その点利用価値は存する。しかし、論文検索で出てくるもののみの中途半端な他の多くの学者項目に載せてる著述目録は、もとになったホームページ見た方が早い(ノート:荊木美行)。
それはおいといて、この学者は雑誌『日本』(日本学協会発行)にかなりたくさん書いてるはず。やや片手落ちか(上記の通り、作成者の蘇民将来様自身、見れない環境にあると断っているので仕方ないけど、、、)。著書に含まれない最近の論文を載せる(その例としては、「柴田紳一」の項目がある)だけでなく著述目録を作るんだったら、どうせなら徹底してほしい。他者が個人の著述目録をつくるのは、インターネット見れば済むってほど楽なもんじゃぁありませんぞ。この項目は、その模範となるようなものにしてくださいな。--Kokokugoji 2006年12月2日 (土) 14:04 (UTC)[返信]
Kokokugoji様、ご意見ありがとうございます。著述目録の作成の大変さは私もよく知っております。学生時代、明治・大正の学者の著述目録を作成する課題が与えられて、苦労しましたから。しかも私のときは、国会図書館の検索などのネット環境が充分ではなく、それこそ、その学者の追悼文や評伝から目星をつけ、図書館で学術雑誌や新聞の縮刷版とかを悉皆調査した思い出があります(こんなことを書くと私の年齢がばれてしまいますが)。
Kokokugoji様の仰るとおり、たしかに荊木美行の「著述目録」は他のサイトからコピペしたものに相違ないでしょう。この清水潔の項目を立てたのと同一の方が作成してますが、基礎資料を作らずに書き込みしたんでしょうね。先にも述べましたとおり、著述目録はその学者の人となりを示す鏡ですから、片手落ちの著述目録は、その学者に対してたいへん失礼です。もっと精査していただきたいのですが、同一の方が作成したこの項目については丹念に調べた形跡が窺え、大変好感が持てます。が、Kokokugoji様のご指摘のとおり、清水潔は、『日本』に多数論文を書いてますし、『国史大辞典』『平安時代史事典』にも項目執筆をしています。もし、この項目が他の規範となるべき著述目録を附したものにするなら、項目執筆の調査も必要でありましょうし、もっと言えば、学内の広報誌などにも文章を書かれている筈なので、それもおさえてほしいものです。
と、言う訳で、項目執筆の類ですが、私の気づいたものがありますので、掲載させていただきます。--山冪寒雲 2006年12月3日 (日) 01:37 (UTC)[返信]
雑誌『日本』って、、、載ってるのは学術的な「論文」なのですか?『日本』を見たこともありませんし、掲載文章を引用している論文も見たことがありません。単に思想団体の機関誌だったりするのでは!?作成者のいわゆる「著述目録」を一見するといかにも論文が多いように見えますが、よくよく精査すると実はほとんどが短文・随筆の類、なんてことはないんでしょうか?分類の仕方が曖昧です。そもそも論文まであげるのはどうか、という意見に変わり有りません。それはともかく、「著述目録はその学者を語らしむ格好の材料」「下手な解説よりも、著述目録のほうがその学者の人となりがわかる」、、、「著述目録」見ても、この人の学界での位置づけが私にはわかりません。また、太田晶二郎と同格に論じるのは失礼という気がします。--Mattamatta 2006年12月10日 (日) 02:57 (UTC)[返信]
掲載雑誌だけで論文の優劣を論ずる態度は、私には理解できません。私は清水潔の著述を何篇か読んだことがありますし、太田晶二郎のも読んだことがあります。双方とも緻密な考証によるもので大変好感が持てました。堅牢な考証という点で、両者とも大変素晴らしい学者であると思います。それを、「太田晶二郎と同格に論じるのは失礼という気がします」とするMattamatta氏の発言は逆に清水教授に失礼ではと思います。現在存命の方の評価はなかなか書き辛いですし、自叙伝や評伝がないと尚更です。ひとつの方法として、著述目録を使うのもいいのではと思います。--善導大師 2007年7月3日 (火) 02:01 (UTC)[返信]
Mattamatta殿のご発言には賛成できません。雑誌『日本』を御覧になったこともないなら批判は控えられたらどうですか?感情的に清水教授を貶めたいならここに貴殿の居場所は有りません。また、著述目録で「学者の人となりがわかる」のは事実と思いますが、Mattamatta殿は更に「学界での位置づけ」まで求めておられる。それは無理な注文でしょう。—以上の署名の無いコメントは、前図書頭会話履歴)さんが[2007年7月15日 (日) 06:14 (UTC)]に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。[返信]

私の発言がこの項目の対象者で生存人物である清水氏を貶めるように誤解されたのなら、また、雑誌『日本』を知らずに印象論を述べて関係者に不快感を与えたなら、その点はお詫びします。ただし、著書・主要論文までは理解しますが、すべての執筆文章一覧を載せるのは百科事典ではありません。--Mattamatta 2007年7月28日 (土) 03:57 (UTC)[返信]

いい加減にして貰いたい[編集]

久しぶりにウィキペディアを見たら、著述目録の書評の類が消されていた。幾ら自由な編集が認められているとは故、許せない行為です。多すぎるといわれるなら、歌手のディスコグラフィーの項目におけるアルバム収録曲部分も削除の対象になるんじゃないですか?なのに、学者の著述目録については目くじらを立てられる。ここまでくると個人的な恨みによるものとしか思えない。しかも、この著述目録はなにもわたしひとりではなく、他の方々の手も加えられている。それをある特定の偏見によって削除されるのは許せない。ですので、戻しました。--蘇民将来 2007年9月1日 (土) 10:09 (UTC)[返信]

  • 削除しました。歌集のディスコグラフィーに相当するのは「著書」です。論文をずらずら並べるのは、あたかも歌手の全テレビ出演記録を載せているに等しい。なおこの項目は典型的な「宣伝的」なものです。学長でなかったら「特筆性」に疑問がつくところです。