ノート:正岡子規

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219.198.48.107さんの編輯に関して。確かに「野球」と云ふ言葉を始めて使つたのは子規のやうですが、それはあくまでも子規のペンネーム(の一つ)であつてbaseballの訳語として使つたものではないやうです。野球#語源を参照下さい。nnh 2004年7月13日 (火) 17:32 (UTC)[返信]

「客観写生」の評価はほとんど誤りに近い。「客観写生」の用語は虚子の創作。子規は「写生」とはいっても「客観写生」とはいっていない。若干の加筆をしたが、それでは修正できないので、抜本的に書き直すべきであろう。--時の旅彦 2006年9月2日 (土) 02:40 (UTC)[返信]


文章主体の「経歴」部分が、「年譜」というかたちで解体されてしまいました。普通、人物評伝などは文章主体の伝記部分があって、評価などの各論があって、末に年譜が有る場合が多いと思うのですけど、文学者の場合はその限りではないのでしょうか?--でここ 2007年3月1日 (木) 08:41 (UTC)[返信]

年譜はそのままでいいとは思いますけど、伝記部分を復帰すべきでは?--211.4.36.137 2007年3月2日 (金) 05:58 (UTC)[返信]

もちろん、文章主体の詳しい評伝と、略歴を把握できる簡略年譜は双方必要だと思いますが、作製するのなら別節を設けてゼロから作るべきで、伝記部分を解体して作製するのはどうかなと思います。そういえば、秋山真之でも過去に同じような編集をされたことを思い出しました。復帰は、ちょっと脱力してしまったので自分では控えます。--でここ 2007年3月2日 (金) 12:11 (UTC)[返信]

(帰り去くに如かず。=帰ることが出来ない) ???[編集]

帰り去くに如かず。=帰ることが出来ない、と脚注にありますけど、「不如帰去」は「帰ったほうがマシだ」といった意味では? 「帰れない」の意で使う用例は見つけられませんでしたが。--Kihkyef会話2022年7月14日 (木) 06:15 (UTC)[返信]