ノート:棲雲寺

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「十字架捧持マニ像」について[編集]

「十字架捧持マニ像」の加筆、ありがとうございます。美術史文献はなかなか閲覧しにくい書誌にあったりするので、たいへん有難いです。ところで本図は「有馬晴信の肖像ではないかと郷土史家の間で言われた」とありますが、この「郷土史家」とは具体的に誰なのか、いつごろの説なのかと詳しいことが書ければ良いなと思います。書誌情報さえわかれば私が探して来ることができるかもしれませんので、ご存知であれば情報をお寄せいただけると有難いです。--でここ会話2015年6月3日 (水) 05:12 (UTC)[返信]

「郷土史研究家の間では晴信の自画像ではないかともささやかれた」というのは、泉武夫「栖雲寺画像をめぐって」『中国江南マニ教絵画研究』 で軽く紹介されているだけで、それ以上の細かい言及は無く、他の本でもありません。ただ泉武夫 「景教聖像の可能性 ─栖雲寺藏傳虚空藏畫像について」(『国華』第1330号)の注3に、大和村教育委員会編『大和村の文化財』(大和村役場、2003年)という本が紹介されており、もしかしたらこの中により細かい解説があるかもしれません。もっとも、この本は役場が発行した本のため、山梨県立図書館と甲州市の図書館にしか所蔵していないですが…。--Foldingfan会話2015年6月3日 (水) 14:56 (UTC)[返信]
ありがとうございます。閲覧可能でしたら、後日確認します。--でここ会話2015年6月4日 (木) 05:08 (UTC)[返信]
もうご自分で調べられた後かも知れませんが、念のため報告しておきます。所用で山梨に行く機会がありましたので、『大和村の文化財』の記述を確認いたしました。予想通りpp.26-27に「虚空蔵菩薩画像」の名で記載があり(筆者名なし)、晴信肖像画説をほぼ支持しそれに則って解説しております。しかし、制作時期を「室町期までさかのぼるころか」など現在の研究からすると誤認している箇所も散見し、あくまで地元での噂の域に留まっていると言えそうです。ウィキペディアに書べきかは微妙な気もしますが、一応脚注を付けておきます。--Foldingfan会話2015年9月18日 (金) 10:12 (UTC)[返信]