ノート:明倫館

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[1]の語尾を変えただけのようです。竹麦魚 2004年12月6日 (月) 05:02 (UTC)[返信]

ご指摘のHPは確かに参考にしました。しかし、他の書籍等も参考にした上で原稿を作成いたしました。皆様の御判断におまかせいたします。なお、今後は誤解の無いよう配慮いたしますが、今回の原稿については盗作の誤解を受けたことに対し、遺憾の意を表明させていただきます。(原稿作成者・猫中)

拝見させていただきましたが、記事内、「萩藩5代藩主毛利吉元が享保3(1718)年、萩城三の丸追廻し筋に創建(敷地940坪)。嘉永2(1849)年、13代藩主毛利敬親萩市大字江向へ移転(敷地15,184坪。建物総坪数11,328坪、練兵場3,020坪)。」が竹麦魚氏の示す文章と一致点が多いと思われますが、原文自体が事実の羅列であり、著作権法の適用される、思想又は感情を創作的に表現したものにはあたらないかと思います。Faso 2004年12月7日 (火) 09:03 (UTC)[返信]

1文目は最後の面積の記述が括弧書き形式になったことを除きほぼ一致。2文目もほぼなぞった感じ。しかしともに主として固有名詞と数値だけとも考えられます。3文目は[2]に似ていますが校名がひとつ違います(これは独自説でしょうか?)。他は特に類似無しで、1文目をどのくらい重く見るかによりますが、全体として参考としたサイトに似てはいるが事実の伝達の範囲ではないかという感じもします。確かに、他に書きようが無い、という程ではないでしょうが。sphl 2004年12月14日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

事実なので、止むを得なかったのではと思います。Mishika 2004年12月16日 (木) 06:16 (UTC)[返信]
了解です。語順を直していただければ本来は有難かったのでしょうが…。 竹麦魚 2004年12月16日 (木) 06:21 (UTC)[返信]