ノート:日本語の方言

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削除依頼提出のお知らせ[編集]

日本語の方言の一部が無期限ブロックされた利用者により無断転記されたことに関して削除依頼を提出いたしました(Wikipedia:削除依頼/上代東国方言20150620)。よろしければ審議にご参加ください。--Damena会話2015年6月20日 (土) 13:52 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

日本語の方言」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 06:34 (UTC)[返信]

べー[編集]

出典のない記述の扱いについて[編集]

音理捜査さんが、2022年1月8日にノート:日本語の方言/過去ログ1#出典のない記述の除去に投稿をされましたが、過去ログへの投稿でしたので、勝手ながら下記に転記いたします。--Henlly3839会話2022年1月11日 (火) 10:56 (UTC)[返信]

初めまして。昨日、初めてWikipediaの日本語の方言のページを目にして、Wikipediaの記事としては、他の記事に比べてWikipediaらしくない内容であることに驚きました。そこで、網羅されていない方言を追記したり、文中に例が混ざっていて読みにくいものを行を変えたり、分類が錯綜している類語を分けたり、文法的な傾向を論理的に説明するなどしました。Wikipediaでは、ユーザー間での個人的な衝突は好ましくありませんので、具体的には書きませんが、とある記事でとあるユーザーさんに記事を前の状態に戻されていました。そこで、ここの議論を知り、目を通しました。
私は現在、Wikipediaの編集をごくたまにしかしていませんが、その昔、多く編集していた時期もありました。10年以上前の一時期、Wikipediaではページや記事内を削除するユーザーさんが勢力を増しており、次々と記事が削除されていました。また、広く知れ渡っている事実がネット上に多く存在している正しい情報について、転載でなくても、Wikipedia外に同じ事実が記載されているだけで転載と判断され、削除対象となることも多かった時期があるのを記憶しています。私はその時期に、そのようなマイナス指向の激しいWikipediaに関わることが有意義でないと感じ、編集から遠ざかりました。それから暫く経って、削除や転載疑いで派手にマイナス生産の活動をされるユーザーさんに対して、削除行為さえも本来は該当情報に対するしっかりとした真偽判定の根拠が必要だという考えが広がり、削除や転載疑いの派手な行為が収まったと記憶しています。まず、最新の方針はこれと異なりますでしょうか。このページで議論されている内容は基本的に2010年ですので、10年以上昔のWikipediaで進められた議論であることから、あえて伺わせていただきます。
このページ内で、出展のない内容は削除されても構わないというのには賛同しますが、しかし、それを厳密に推進すれば、方言に関する記事の多くが削除されるべき立場になるでしょう。また、出展のない情報をノートページへと移動するという処置については、好ましい結論に至っていないと感じています。まず、記事内を削除したり、前の状態に戻すならば、それによって失われる内容を、編集者が責任持ってノートページへと移して残さなくてはならないですね。それをされていないユーザーさんがこちらにいらっしゃいます。
一番私が疑問を持つのは、特定のユーザーさんに特別の権限を持たせ、そのユーザーさんの独自の判断によって、出展や根拠なしに、既存の記事内の出展のない記述を、気まぐれに残したり削除したりする行為を、こちらのページで認定しているという奇妙な方針です。Wikipediaでは、私生活上の肩書や職業やスキルに関係なく、客観的かつ平等に編集行為が評価されるべきだと思っています。そこに必要なのは出展ですが、先述の通り、出展のない情報が間違いだと判断するのにさえ、本来は根拠(出展)が必要だという点を確認したいと思います。
例えば、とあるユーザーさんが記事に追記をしたところ、出展が記載されていなかったので、別のユーザーさんが記事を前の状態に戻したとします。しかし、戻した状態の記事でさえ、出展のない情報ばかりで構成されているのであれば、その状態に戻す意味は薄く、もっと前の状態に戻すか、出展のない情報はごっそり削除すべきであるはずです。つまり、特定のユーザーさんによる根拠の明確でない個人的な判断によって、特定の出展なし情報を残し、特定の出展なし情報を排除するという「お掃除」行為は、出展を記載しない記事を追記するユーザーさんと同じくらい信憑性がない編集行為と言えます。また、特定の時点での出展なし情報を残し、特定の時点での出展なし情報を排除する、ということを繰り返していても、信憑性のない「お掃除」ユーザーさんの縄張り記事が、その「お掃除」ユーザーさんの個人的嗜好で管理され、個人的満足の道具になり続けるだけだと思います。
例えば、編集方針として下記の2点が書かれていましたが、非常に信憑性と客観性に欠ける気まぐれな編集方針と評価できます。
  1. 「語彙などが羅列されている部分は、地元の方が確かにこういう言葉があると知って載せているので、本文に載せておこうと思います」
  2. 「『~弁の影響がある』とか『~地方の言葉は特徴的』などと言っているが、こういうものは独自研究的性格が特に強いと思うので除去」
この2つの方針はどちらも、根拠のない決めつけによる編集としか言えません。
ということで、特定のユーザーさんに不明確な編集特権を与えて、記事内の情報を出展や根拠なしに取捨選択させるという管理方針に、反対を述べます。私からの編集案として、出展のない情報が新たに追記された場合、それに異議のあるユーザーさんは、削除せず、まずはノートページか該当ユーザーさんと議論を開始すべきではないでしょうか。その際、否定するに相応しい根拠も示す必要があるでしょう。そして、一定期間を経て、記事の編集に取り掛かるのが好ましいと提案します。また、これと同様に、記事内の特定の情報が削除されたことに不服を感じるユーザーさんは、その情報の是非についても、ノートページや当該ユーザーさんと議論すべきでしょうね。但し、アカウント登録のない編集者も現れますので、せめてもの配慮として、方言の全ての記事のノートページに、方言に関する記事に関する最新の編集方針をリンクなどで共有しておいた方が良いと思います。
このように提案する理由は、多くの情報を、いとも簡単に削除してしまう「お掃除」ユーザーさんが、真の意味で100%Wikipediaに有用だとは言えないからです。出展のない情報がいくらWikipediaにあっても無意味ですが、有用かもしれない情報を根拠なく削除する行為も、実に非生産的な存在だからです。Wikipediaから信憑性のない情報を排除して守るという意味で、お掃除行為は有意義なのは大いに認めますが、それはWikipediaに現在多くの情報が溢れているから言えることであって、Wikipediaに記事や情報が少ししかなかった時代には、そういう派手なお掃除行為を繰り返せば、Wikipediaが情報源であり得るという本質に反する行為になり得ます。
日本の方言に関する記事は、ページによって大きく差があるものの、実際には非常に貧弱な状態と言えます。そういう状態の記事に過剰なお掃除行為を推奨するより、今の段階として有用なのは、記事内の情報を学問的に整理し、内容を豊かにすることを優先させた方が、情報源たるWikipediaにとって好ましいのではないでしょうか。この方言の記事に深く関わられているユーザーさんが方言の記事に熱意を持たれているならば、削除することに熱意を持つのではなく、出展文献に意欲的に接して削除せずに情報を残すことに努めたり、自ら出展元から追記を拡充していく方向に働きかけていくべきなのではないでしょうか。方言のページをきちんとした記事にするには、編集者が自らその方言に関する書物を書き上げるくらいの作業をして文献に当たらなければ無理だと思いますし、簡単に良い形にするのは無理があると思います。
私としては、記事を読んで衝動的に、出展なしに追記したことをお詫びしなくてはなりませんが、ただ実際には、自己申告でしかありませんが、過去の記事にはなかった貴重な情報を追記したり、表記を整理したり、専門的な文法的説明を補ったり、用例を改めたり、かなり有意義な生産をした自負はあり、それを、その方言のことを知らないかもしれないユーザーさんに全削除され、ノートへの書き写しもされていないということには、非常に遺憾に感じます。
ご検討を宜しくお願い致します。--音理捜査会話2022年1月8日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
いくつか誤解があるようなので指摘いたします。
金沢弁でのこの編集要約欄ノート:日本語の方言/過去ログ1#出典のない記述の除去を参照するようお願いした意図が伝わらなかったようで、その点をお詫びいたします。私の意図は、方言関連の記事においても出典の明記が必須であるという点が、過去の議論で確かめられていることを示すことでした。当時ここで合意したのは、2010年4月時点で存在していたWikipedia内の記述に対しての処置であり、それより後に加えられる無出典の記述に対しては何ら合意していません。そのため、音理捜査さんがおっしゃるような「管理方針」は存在していません。
削除や転載疑いで派手にマイナス生産の活動をされるユーザーさんに対して、削除行為さえも本来は該当情報に対するしっかりとした真偽判定の根拠が必要だという考えが広がり、削除や転載疑いの派手な行為が収まったと記憶しています。
どの方針のことを指しているか分かりません。Wikipedia:検証可能性にあるように、ウィキペディアに記述できるかどうかは、真実かどうかというより、検証可能かどうかです。出典がなければ真偽判定のしようがありませんので、Wikipedia:検証可能性は「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」としています。
特定のユーザーさんに特別の権限を持たせ、そのユーザーさんの独自の判断によって、出展や根拠なしに、既存の記事内の出展のない記述を、気まぐれに残したり削除したりする行為を、こちらのページで認定しているという奇妙な方針です。
特定のユーザーさんに不明確な編集特権を与えて、記事内の情報を出展や根拠なしに取捨選択させるという管理方針に、反対を述べます。
特定のユーザーというのは私のことかと思いますが、私に特別の権限が与えられたわけではありません。2010年4月にここで合意されたのは、当時Wikipediaにあった記述の一部をノートページに移動させることでした。どの記述を残しどの記述を移動させどの記述を除去するのか、その取捨選択に私の個人的判断はありましたが、私の行った行為に対して、後から他のユーザーさんが異論を述べたり、記述を復活させたり、追加で除去したりノートページへ転記することもできました。しかし実際には異論は出なかったわけで、他のユーザー様から黙認されたとみなせます。
また、合意されたのは当時すでにあった記述の扱いについてであり、それ以降に追加される記述については何も合意していません。2010年5月よりも後に追加された無出典の記述を、いちいちノートページに移しているわけではありません。
金沢弁で音理捜査さんの加筆分を私が除去したことに対して、それまでの記述も無出典なのにどうして自分の加筆だけ除去されるのかと疑念を抱かれたのは理解いたします。私個人としては、単純に語彙を羅列するたけの加筆については、2010年にこのノートに書いた理由で除去していませんが、他のユーザーさんが除去することを妨げてはいません。実際、長崎弁では2016年のこの編集によって「語彙」セクションがまるごと除去され、復活されることなく現在に至っています。--Henlly3839会話2022年1月11日 (火) 11:24 (UTC)[返信]
  1. ^ 牛山初男(1969年)『東西方言の境界』