ノート:日本航空機製造

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自分で投稿しておきながらなんですが、事実誤認であった記事を削除しました(自分のみ書き込んだ記事です)。以下、--220.147.251.54 2005年7月25日 (月) 10:06 (UTC)によります。[返信]

  • ボーイングが共同開発としてB737~ - これはYSXの経緯に基づく完全な事実誤認でした。訂正してお詫びします。
  • 「日本航空業界のその後」と題する記事 - YSXの記事を立てました。なおいっそう詳しく勉強しなおしました。
  • 関連して、YXYXXYSXの三つの記事を立てました。お役に立てれば幸いです。

YS-11製造打ち切り決定の経緯[編集]

「1971年(昭和46年)、国会で政府と日航製造は野党から業績悪化を追及されたことで(佐藤栄作内閣)は 12月28日の国会において、YS-11製造の中止と日航製造の解散を決定した。」という記述がありました。2005年7月頃の版よりこれに近い記述が加筆されたようですが、これに関して、近くの図書館で当時の新聞縮刷版を調べてみました。まず、1971年12月の国会は沖縄返還協定に関する審議を行った第67臨時国会が開かれた関係で変則的な日程となっており、臨時国会は12月27日に事実上の閉会、1日を挟んで12月29日に来年度予算を審議する第68通常国会が開かれています。「12月28日」には開かれたのは参議院の沖縄北方領土問題特別委員会だけです。日付のことも考えて国会の会議録検索システム[1]から当該月の会議録で「日本航空機製造」「日航製」を検索してもそれを含む会議はありません。実際の縮刷版を見ても、この月には次年度予算の実質審議はなく、実際の審議は1月下旬から行われていますが、その中でも縮刷版にはそうした決定がなされたという記事は見当たりませんでした。一方、航空工業審議会の答申は今回の加筆にも記したとおり、1971年4月27日の経営改善委員会報告で「180機で生産打ち切り」が入れられ、このときの新聞記事では大きく扱われています。その後の経緯は加筆の通りですが、1972年2月の航空機産業と予算審議を絡めた記事では「このYS11生産もいよいよ目標の百八十機生産を終わる来年度早々で打ち切られるわけで」(朝日新聞1972年2月9日9面)とすでに既成事実として書かれており、1971年9月に通産大臣に答申された時点で事実上決定していたといって差し支えないと思います。また、「解散」についても答申の内容には含まれておらず、実際に閣議で解散が決められたのは(本文にもあるとおり)10年後の1981年12月28日です。したがって、「180機での製造打ち切りと日航製の解散が佐藤内閣の政治決定である」という内容にも根拠が見いだせないため、除去させていただきました。Unamu 2009年6月20日 (土) 11:20 (UTC)[返信]

C-Xと野党追及[編集]

「YS-11に続いて、自衛隊で使用する中型戦術輸送機C-Xを製造することが決定し、1966年(昭和41年)から日航製造が当初の設計、製造を任された。しかし、日航製造は設立立法によって民間機の製造に限定されていたことで、軍用機であるC-Xの製造は違法であると野党より指摘されたことで、日航製造は製造をあきらめ」とする記載について、『陸・海・空 自衛隊最新装備2018』 (メディアックス、2018年)112頁でも同様の表記があったことから国会議事録を少し探してみたものの、該当する質疑等を見つけることができませんでした。もし当該記録がありましたら、記事への出典追記をお願いいたします。4th protocol会話2018年6月28日 (木) 15:17 (UTC)[返信]

コメント出典追記しました。--えいち・おおつか会話2018年6月29日 (金) 02:51 (UTC)[返信]