ノート:日本文学研究者

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

Category‐ノート:国文学者での改名議論に基づき、国文学者から現在の記事名に改名しました。--頭痛 2010年1月30日 (土) 04:32 (UTC)[返信]

改名提案の議論は更に討議という結果です。勝手な改名を行わないでください。--KAGEROU 2010年2月4日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
KAGEROUさん、それは無理筋です。提案が日本文学研究者に変更されて以降、明確な反対意見を述べた人は、KAGEROUさんを含めて居りません。--rshiba 2010年2月4日 (木) 16:26 (UTC)[返信]
並存ならともかく、国文学者=日本文学研究者というのが無理筋だと思います(同値でないから)。急ぐ必要は無いはずです。そもそも、「国文学者」は日本中心の名称でありWP:JPOVに違反しているのですか?--KAGEROU 2010年2月4日 (木) 18:45 (UTC)[返信]
いま気づいたのですが、わたくしを含め、全員が間違えていませんか。この項目については、そもそも改名提案に含まれていましたか。内容上の議論以前に、手続き的に段階を踏んでいないのではないですか。--rshiba 2010年2月5日 (金) 01:07 (UTC)[返信]
上に書いたように、「Category‐ノート:国文学者での改名議論」の結果に基づいてこの記事を改名しました。議論がごたごたしたため記事のほうに提案手続きを行なうのを忘れていましたが、「国文学者」の名称がWikipediaにおいてJPOVとなるということは議論の前提として共有されていますので、記事のほうを別にして提起しなおす必要はないと判断したものです(「改名の提案・告知」は「推奨」であって義務ではありません。Wikipedia:ページの改名)。
KAGEROUさんが「日本文学研究者と(日本語としての)国文学者は同じでない」と主張されていますが、これまでの議論で一度も出典を示しておらず示す気もないようなので独自研究として無視ということでよろしいでしょう。「日本文学研究者」とは別に「国文学者」を「自国の文学を研究するもの」として別立てするという可能性もあるかもしれませんが(ちょっと考えにくいが)、現状の記事内容を「国文学者」にしておく必然性は上の議論の経過からしてもないと考えます。--頭痛 2010年2月5日 (金) 06:14 (UTC)[返信]
本項目にドナルド・キーンなどが入っていないことから見て、本項目は(かつては)国文学者であったのだろうと思います。無論、日本文学研究者ならば当然入っていてしかるべき人物です。両者はイコールではありませんが、発展的解消を目指すということで、事後承認しませんか。--КОЛЯ 会話 2010年2月7日 (日) 00:43 (UTC)[返信]
無理ですよ。アイヌ文学や琉球の文学とか考えれば、難しいのがおわかりでしょう?アイヌも琉球も日本ですが、国文の域外です。時間軸も考えて下さい。--KAGEROU 2010年2月8日 (月) 16:55 (UTC)[返信]
『岩波講座日本文学史』にはアイヌ文学、沖縄の文学も取り上げられています。「時間軸」とはどういう意味でしょうか。--КОЛЯ 会話 2010年2月8日 (月) 19:42 (UTC)[返信]
時間軸とは、国文学の国とは何か?時代に依って国文学の国と日本との概念に違いがあるとの主張です。日本史を国史といった時代がありましたが、その国史と日本史は違うものです。現在は日本文学の研究でも国文学時代には範囲外であった研究も日本文学にふくまれるということから、国文学者が日本文学者でも日本文学者が国文学者とは限らないという点で併設には、日本文学者、日本文学研究者、国文学者の併存ならば賛成ですが、統合には反対といういう意味です。そもそも日本語中心で国文学を消すのは最大の失敗でしょう。このへんは学説や大学でも意見のわかれるところなので統合は現時点ではむりだと思います。
国文学の定義です。
岡部美二によれば、国文学は「国語国文に依って芸術家の心理過程の顕現せられたもの」で「芸術の一分野である」と定義しています。その上で、国文学者の仕事を「国文学が芸術の一分野として確立する以上、其研究は、作物それ自体の避芸術的価値の批評を其本質とすべき」だと論じています。「帝国文学』一九一六年二月号「国文学の研究に就て」140~141頁。
この定義は頭痛氏があえて無視した定義ですが、日本文学が国語と国文だけを指すのかという点で明確な定義がないようです。ただ日本文学とは、日本人によって日本語で書かれた文学作品の総称 『世界大百科事典』(平凡社、2007年版)21巻。と定義づける場合もあるそうであり、このへんはかなり曖昧な気がしますが、日本文学=日本人というのは現在では通用しない気もします。
なので、統合自体がそもそも無理なんじゃないでしょうか。--KAGEROU 2010年2月10日 (水) 23:23 (UTC)[返信]

(もどし)誰が「国文学の定義」を聞いているのでしょうか。「国文学」と「日本文学」がそれぞれ違うものであるとあなたが主張するのであれば、「国文学と日本文学はこれこれこのように違う」とはっきり定義づけされている出典を示すようにと言っているんです。 岡部美二の行なった定義に対するあなたの解釈など誰も聞きやしません。いい加減あなた一人の方針への無理解から周囲の人間が迷惑を被っていることに気が付きませんか。--頭痛 2010年2月14日 (日) 11:10 (UTC)[返信]

「国文学」と「日本文学」がそれぞれ同じものであると主張するのであれば、「国文学と日本文学は時代的にも用法的にもまったく同じ」とはっきり定義づけされている出典を示すように。ウィキではそれを掲載したい者にそれを証明すべき責任がある。また、反証は一つで十分ということさえも知らないのなら、議論はむりなので参加しないこと。暴言をならべるまえに、議論の最低限のルールを知りなさい。議論に入りたいならマナーを守り、知識を得てからにすること。国文学研究資料館の収蔵資料の範囲さえ知らなかった人が、国文学について云々できるかはかなり疑問であると私は思います。自分がしたいことを、自分がしたいようにするなら、自分のHPででもやってください。誰も文句はいいません。ここは多くの人がかかわっているサイトであることをわすれないように。なお、頭痛さんに言うのではありませんが、例えば「のどかに聞こえ暮らしたまひて」の「きこゆ」と「たまふ」の敬意の違いすら説明できない人ならば、あきらかにここでお話する資格はおろか、文学の百科辞典の項目を編纂する資格はないと自戒するべきでしょう。--KAGEROU 2010年2月20日 (土) 10:29 (UTC)[返信]
「国文学科」と「日本文学科」を並存させている大学は存在しない(あるなら示すべし)ということから、両者は代替しうるものであるということは常識的に言って明らかである。「用法的にまったく同じ」などと言った覚えはないし、КОЛЯさんも下で述べているように、改名のためにそうである必要はまったくない。まだ続けるのか?これ。ちなみにYahoo百科辞典(小学館の日本大百科全書)の「国文学」の項には「わが国の文学、すなわち日本文学のこと」とあるが。--頭痛 2010年2月20日 (土) 22:05 (UTC)[返信]

ウィキペディアの項目統合あるいは改名は、必ずしも「同義語」に限らないと思います。現状この項目日本文学研究者日本文学研究者の一覧とも言うべきものになっています。そして大部分が国文学者の人物が列挙されています。本項目と別に国文学者を立てるなら立てても構わないと思いますが、人物一覧を両方に掲載する意義は見いだせません。別立てする国文学者では「国文学者」についての説明にとどめ、どうしても国文学者の一覧が必要なのであれば、本項目の中で「国文学者」に該当する人物にとでもマークする、あるいは「国文学者にあらざる人物」に※とでもマークすることで示すのが便利だろうと思います。--КОЛЯ 会話 2010年2月15日 (月) 16:14 (UTC)[返信]

КОЛЯさんが文学史が学校から教科として消えた時代以降の人なら理解できないかも知れませんが、ほぼ問題点は明らかになったと思います。つまり、問題点は、日本文学の定義と、その変遷した日本文学を研究するにつき、当初の単なる芸術の評論から、科学的な研究にまで発展した現在とでは、学問としての領域や概念が時代と共にかなり変遷してきた。その問題を無視して日本文学の研究の語でくくりうるのか?ではないでしょうか。例えば小泉八雲は(帰化)日本人で、日本文学の研究者ですが、彼の英文が日本文学ではないし、彼が国文学者ではないでしょう。しかし、(いわゆる)日本文学者となると賛否あるというのが現状ではないでしょうか。また、戦前の日本文学報国会の日本文学と国文学は(当時の国士舘大学での教育内容について書いていた海音寺潮五郎によれば)明らかに一線を画すものであり、これらを日本文学の研究者と一まとめにすることは、巷の辞典や文学史研究から見ると、現状ではできないというのが私の考えです。その人に国文学者と文献提示されておれば国文学者、日本文学者と提示されておれば日本文学者でも問題ないかもしれませんが、社会やこの辞典を利用する人への責任として、「国文学と日本文学が同値」との明確な合意が、学会や社会でなされていないうちにウィキだけでそれを行うことには賛成できません。つまり分類するには明確な定義が必要ですが、それがないから、同一にするべきではない。というのが私の意見です。辞典で、分析的に表現するとが大切とされるのは、日本文学研究者日本文学研究者の一覧とむしろ表記すべきで、理由は意味のブレがなくより正確だから、ということではないでしょうか。どちらにしても、国文学科を維持する大学がある以上このあたりの社会的合意はまだ先であると私は思います。いくつかの社会的評価を一枚のカードで分類するのは誤りだと私は思います。--KAGEROU 2010年2月20日 (土) 03:03 (UTC)[返信]
こんにちは。大変興味深いお話をされているのでお考えをお聞きしたいと思って書き込みをさせていただきます。いわゆる「文学」とは何か、あるいは「国文学」は「日本文学」と言い換えることができるのか、というのはとても面白い論点だと思います。
「文章で表現された芸術」という意味での日本語の「文学」の語義は、管見の限りでは、明治時代に「文章で表現された芸術」という輸入されてきた概念に、「学問」を意味していた既存の「文学」という語があてはめられて出来たと考えられます。この明治の時点では、「西洋の<文学>」に対して「わが国の<文学>」という意味で「日本<文学>」も「国<文学>」も同時期に同義に使われ始めているように見受けられます。つまり、術語として成立しているのは<文学>で、「国(=日本)<文学>」というニュアンスで使われていると考えた方が自然です。その点、同じ「国」とついていても、「日本学」などと言い換えることが不可能な術語としての「<国学>」などとは成立過程が全く異なる語だといえるでしょう。
こうした成り立ちの「国文学」「日本文学」の二語が、使用されるに従ってニュアンスが区別されるようになったのかとも思われますが、国立国会図書館の蔵書検索などで、本のタイトルから採用されている術語の変遷を調べてみると、1900年代初頭には「国文学」と「日本文学」の用語数に関して、若干「日本文学」が多い程度であったものが、1940年代までくだると「日本文学」の方がかなり多くなってくることがわかります。一部の「国文学」の語を引き継いだり、国文学科発行だから「国文学」としている伝統的な雑誌などを除いてしまえば、新たに書名として採用される際には「日本文学」の方が多くなっていったようです。もちろん「国文学」と「日本文学」を使い分けていた人もいたでしょうが、以前調査した際には、ここからが「国文学」でこれは「日本文学」という定義は残念ながら見出すことができませんでしたし、どちらかといえば時間が経つに従って、「日本文学」に言い換える趨勢があり、その傾向は既に戦前から生じているように思われます。
ところが、KAGEROUさんが疑問に感じておられるとおり、現代でも「国文学」は「日本文学」に必ずしもスムーズに言い換えられているとはいえません。例えば「国文学科を維持する大学がある」という点をあげておられますが、これは一見するとまさにそのとおりの事象だと思われます。ただし、「国文学科」が「日本文学科」に改称できないのは、例えば卒業生が伝統ある出身学科の名称変更を嫌がる感情論が所以である事例も鑑みる必要があります。実は私のいる大学は国際化を視野に入れて「日本文学」に名称が変わったのですが、その際「国文学」の名を残そうという相当激しい反発が起きたにも関わらず、必ずしも学問的な見地から「<国文学>」という術語を用いる理由が説明されることがなかったと聞いております。そもそも、「国文学科」を英訳するときに「Department of Japanese Literature」「Department of Japanese Language and Literature」などと訳すのが通例であることも注意を要します。そこでは明らかに「国」という語に該当する訳語として、対外国的には「Japanese」があてられています。
何が申したいかと言いますと、私は別にWikipediaの分類がどう転んでもかまわないのですが、今現在「日本文学」と「国文学」を明確に区別し、「国文学」の方を使用するにたる理由がある(必要がある)なら、是非その根拠をうかがってみたいと思うのです。とても興味があるので、よかったら上記の海音寺潮五郎の述べているという説の出典だけでもお教えください(本当に国士館について述べているのでしょうか?)。よろしくお願いいたします。--121.108.21.224 2010年2月20日 (土) 10:47 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/KAGEROUを提出しました。--頭痛 2010年2月24日 (水) 01:47 (UTC)[返信]


改名後の履歴不継承・リンク切れについて[編集]

[[Category:国文学者]]がこちらにリダイレクトされてなかったので、リンクさせておきました。--薔薇騎士団 2010年3月6日 (土) 05:47 (UTC)[返信]

(撤回)すみません、私の認識不足だったようです。おっしゃるように赤字になったカテゴリーから転送することは、よく考えたら必要ありませんね。ご迷惑をおかけしました。--薔薇騎士団 2010年3月7日 (日) 03:27 (UTC)[返信]