ノート:折居駅

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「形になっている」について[編集]

ShikiHでございます。「形式的にはそうだが実質はそうではない、と言う意味でなければ「形になっている」は誤解のもと」という私の編集に対してRiboccoさんがご修正なさいました。「あくまで編集者自身の解釈。「誤解のもと」という判断も主観に過ぎない。」という理由です。わたくしは下記の辞書、大辞林(三省堂)の(3)のように誤解されるかもしれないので修正いたしました。

(1) 視覚や触覚によってとらえられる,物や人の外見的な姿。恰好(かつこう)。外形。 「髪の-を整える」 「-のよい壺」 「はっきりした-をとる」 (2) 内容や実質と対比される一定の外見的な姿。形式。 「-にとらわれる」 (3)実際とは違う表向きの様式・形式。恰好。 「ふと立ち寄ったという-にする」 「解雇のところを依願退職という-にする」 (4)顔だち。容色。 「みめ-」 「かぐや姫-の世に似ずめでたきこと /竹取」 (5)あとかた。跡。 「影も-もない」 「色々にみだれ咲きたりし花の-もなく散りたるに /枕67」 (6) からだ。肉体。 「弥陀如来…丈六八尺の御-にて /平家10」 〔 (4)などは 「容」 「貌」 とも書く〕

私からおたずねします。Riboccoさんの「当駅利用者は車内で発行される乗車整理券を受け取る形になっている」における「形」は上記のどの番号の語義にあたりますか? それともどれにもあてはまらないのでしょうか。--ShikiH 2010年11月24日 (水) 12:15 (UTC)[返信]


当該の表現は意味内容の選択によっては文章の意味が変化する可能性がある、ということについて出典より確認させて頂きました。個人的には語彙に関しての認識を再考させられる意義のあるものとなっていると思っております。しかし、ノートページにある「わたくしは(中略)誤解されるかもしれないので修正いたしました」というShikiHさんの編集意図の説明自体は明確ながら、この説明は、
『形式的にはそうだが実質はそうではない、と言う意味でなければ「形になっている」は誤解のもと』
という当初の御主張を補完しておらず、ノートページの内容も、「形になっている」という表現は意味内容の選択によっては文章の意味が変化する可能性がある、ということについてを出典より確認するに留まるものとなっております。
先日の当方における編集は、先の『形式的にはそうだが実質はそうではない、と言う意味でなければ「形になっている」は誤解のもと』という御主張を受けた上で編集を致しております。今回の編集が差し戻しとなっている以上、これはShikiHさんによる先の御主張における差し戻しである為、当方も差し戻しを致します。
尚、ShikiHさんからのお尋ねにつきまして、当該内容についての質問を設けておきながら説明を加えた修正ではなく差し戻しを行うという編集方法にも疑問を感じますし、そもそもが当方の申し上げている内容とは別問題ですので、お尋ねの件に関しては以降、解答することを控えさせて頂きます。Ribocco 2010年11月28日 (日) 17:33 (UTC)[返信]