ノート:島津忠之

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「忠之は永禄12年(1569年)に赤松政秀と小寺政職とが戦った青山合戦に参戦して討死したと伝えられる。」について。


「永禄12年(1569年)に赤松政秀と小寺政職とが戦った青山合戦」において、忠之が討死したという事跡は、いかなる資料に基づくものでしょうか? 「永禄12年(1569年)に赤松政秀と小寺政職とが戦った青山合戦」は歴史上の事実ですが、忠之が討死したのは天正年間のことです。「忠長が永禄年間中に合戦に出馬した」との内容の記述が『落久保屋伊助所蔵文書』にあり、これは忠長ではなく、忠之であることが、薩摩藩記録方により確認されています(『神戸市談』)。しかし、永禄年間中討死とは記されておりません。

以上の理由により、本文を訂正したいと思いますが。--220.18.90.135 2006年12月27日 (水) 10:07 (UTC)SS[返信]


回答[編集]

これは、「戦国武将出自事典」というWEBサイトを参照したものです。一応異説があるようなので掲載したものですので、原史料に照らして明確な矛盾があるようでしたら勿論訂正していただきますようお願いします。