ノート:小谷野敦

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(無題)[編集]

--5.172.159.245 2016年11月22日 (火) 20:32 (UTC)[返信]

ローカルルール[編集]

理解していない人物がいるようなので、もう一度付記します。「リンク切れは、存命人物の場合いかなる項目にも許されません」「ISBNデータの除去は即日荒らし認定です」「有意義な編集者でなければタグは張れません」。--204.15.255.5 2016年11月25日 (金) 05:44 (UTC)[返信]

相変わらず外部リンク切れと非正規タグ使用の版に執拗に戻すユーザーがいますが、リンク切れの全くない版にいつ何時でも戻ると思っておいてください。129.121.178.27 2019年12月25日 (水) 22:31 (UTC)[返信]

「いつ何時でも戻ると思っておいてください」というのは極めて挑戦的で脅迫めいた言い方でありWP:CIVに反していますが、そもそも「リンク切れは、存命人物の場合いかなる項目にも許されません」云々というローカルルールはいつどこで合意が成立したのでしょうか。WP:DEADREFには「切れたリンクは、可能であれば修復・置換を試みてください。今日の時点でURLがリンク切れだからとして即座に出典を削除しないでください」と記されています。この差分を見ると、切れているリンクのいくつかはアーカイブに残っていることが確認できます。具体的にはこれこれです。これに至ってはリンク切れですらありません。IP:129.121.178.27会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは、切れたリンクの修復・置換を試みたことがあるのでしょうか。--序ノ口会話2020年3月18日 (水) 16:51 (UTC)[返信]

いや、前言訂正。よく見たらこれこれはデッドリンクではないですね。生きています。そうすると記事の大量除去の根拠に「リンク切れ」を持ち出すのは無理です。

「理由なき過去版への戻しの取消。 3年も前の版に戻すにはノートでの合意が必要と考えます」との意見もありますが、これは話が逆でして、2016年に始まる大量の記述除去、この段階で「ノートでの合意が必要」だったというべきでしょう。ノート:小谷野敦/過去ログ2を見ると、単に提言があるだけで合意はどこにも形成されていません。その提言の根拠は小林恭二の記事などを持ち出して「小林の記事に比べて詳細に書きすぎているのがダブルスタンダードだ」という首を傾げたくなるものでした。ダブルスタンダードだと思うなら、小林の著書『父』を出典に、小林恭二の記事に加筆すればいいだけです。

どんな分野でも各記事の情報量にばらつきがあるのは不可避かつ当然のことですから、他の人物記事を引き合いに出して「ダブルスタンダード」を主張するのは無理です。--序ノ口会話2020年3月18日 (水) 17:20 (UTC)[返信]

しかも、根拠のない「ローカルルール」を居丈高に宣言しているIP:204.15.255.5会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisはオープンプロクシでグローバルブロックされています。

そんなローカルルール、本当にあるんですかね? --序ノ口会話2020年3月18日 (水) 17:37 (UTC)[返信]

2016年の版はリンク切れが大きな問題でしたが、私が編集しました2019年10月31日 (木) 14:04‎ の版では、2016年の版でリンク切れとなっていたほぼ全ての出典についてWayback Machineを用いてリンク切れを解消しています。また、2016年の版そのままでは当然ながら新刊が欠けていますが、編集を通して『哲学嫌い ポストモダンのインチキ』や『妻に恋した男: 当世風の偏見』などの新刊を付け加えたものとなっています。

リンク切れと新刊などの問題は解消されていたと認識しておりますので、特に異論などが出ないようでしたら、サイズの大幅な増減が起きる前の2019年10月31日 (木) 14:04の版に差し戻すことも検討しています。‎--実芭蕉会話2020年3月19日 (木) 09:35 (UTC)[返信]

実芭蕉さんに賛成です。--序ノ口会話2020年3月20日 (金) 03:46 (UTC)[返信]

一週間ほど経ちましたが特に異論はないようなので、差し戻しをさせていただきました。今後、何か問題等がございましたら、ノートページの方で議論の方をよろしくお願いします。また、出典のある記述を除去する際にもノートページの方で合意を形成してから、行ってください。出典のある記述の大量除去などは取り消しや差し戻しをすることがあります。--実芭蕉会話2020年3月26日 (木) 01:42 (UTC)[返信]

差し戻しをするということは、根拠のない記述に戻すということですね。根拠のないことを書いてよいと判断いたしました。--149.156.203.6 2020年4月3日 (金) 20:25 (UTC) [返信]

出典のある記述の大量除去などは取り消しや差し戻しをすることがあります。←出典のある記述の割には冒頭のテンプレートの大きな貼り付けとは矛盾が生じるのですが。あなたのやっていることは単純な嫌がらせ以外の何物でもない。

あと「合意を形成」ってありますけど、序ノ口と実芭蕉の二人で合意してオーケーが出るんですか?--149.156.203.6 2020年4月3日 (金) 20:28 (UTC)[返信]

「ノート:小谷野敦/過去ログ2」を見ると、「改稿の理由は「リンク切れが多すぎる」からです」とあったので、私はアーカイブサイトを利用してリンク切れを修正し、改稿理由が解消されたと判断して、かつての版に戻したに過ぎません。根拠のない記述などについては私自身、小谷野敦について詳しいわけでもなく、面識もないので判断が付きません。 それと、私がしていることが嫌がらせとのことですが、単純に過去の記述の不備(リンク切れ)を修正して、改稿理由の解消にともなってかつての版に戻しただけであって、嫌がらせとは認識していません。また、嫌がらせかどうかは小谷野敦の記事である以上、小谷野敦本人が判断することです。 そして合意形成にもっと多くの人が必要だと思われるのでしたら、コメント依頼を活用されてはどうでしょうか。--実芭蕉会話2020年4月4日 (土) 23:14 (UTC)[返信]

編集フィルター[編集]

調べましたところ、編集フィルターが法外な強さ(数百バイト程度)でかけられており、ここまでかけて独自研究を載せることができるのがjawikiであると判断いたしました。--149.156.203.6 2020年4月3日 (金) 20:46 (UTC) [返信]

詳しく調べなおしましたところ「サイズの大きな増減の編集」をおこなうと、数日から数十日の間隔で編集不可になるフィルターのようです。

そういうフィルタリングを行う気持ちがわからないわけではありませんが、だからと言って過去の不完全な版(リンク切れはまだ残ってます)に戻すのもどうかと。149.156.203.6 2020年4月4日 (土) 06:08 (UTC)[返信]

私は編集フィルターに関与しておりませんので、編集フィルター関連のことは存じません。ただ、149.156.203.6さんのいう「過去の不完全な版」のリンク切れに関しては、私の会話ページにも書きましたように、リンク切れは直っていない出典が数点ありますが、それらの出典を差し引いても他の出典で補っているので、検証可能性の観点から記事の記述に関しては問題ありません。また、それらリンク切れの出典は今後他の人がリンク切れを直すことを考慮して残しております。--実芭蕉会話2020年4月4日 (土) 23:14 (UTC)[返信]

>>数日から数十日の間隔>>1か月かな?3か月かもしれない。どっちにせよ、飯塚の訴訟は載らないが、小谷野の訴訟は載るという方針はよくわかった。

>>リンク切れは直っていない出典が数点ありますが、それらの出典を差し引いても他の出典で補っている>> 差し引いてもというのがよくわからない。不完全でもよいってやつ?

>>私は編集フィルターに関与しておりません>>責任逃れだよ。自分は関与してないけど、自分の友人・知人は関与してるからってやつ。反社会的集団が良くやる。

>>リンク切れを直すことを考慮して>>今見たけど、はてなダイアリーのアーカイブは出典として引用可能なのか?2001:470:0:19C:0:0:0:2 2020年4月11日 (土) 19:38 (UTC)[返信]

飯塚という人物がどなたかわかりませんし、Wikipediaでの訴訟記述の方針については存じ上げませんが、そこを起点にスピード違反の論理をもし展開されるようでしたら、それは控えて下さい。また、繰り返しますが、私自身編集フィルターに関与しておりませんし、Wikipediaで友人・知人はいません。そして現実の友人・知人にWikipediaを関与させたりしておりません。加えて「反社会的集団が良くやる」といったレッテルを貼るのは控えて下さい。Wikipediaのガイドラインの「善意にとる」をよくお読み下さい。
はてなダイヤリーのアーカイブを出典とすることに関しては、「Wikipedia:井戸端/subj/引用元のブログが削除されたとき」を見て引用可能だと私は判断しております。
「リンク切れは直っていない出典が数点ありますが、それらの出典を差し引いても他の出典で補っている」についてですが、リンク切れのテンプレートが貼り付けられているワイネフパーム・ブログの出典(66,67,69,70,71)のことに関して、これらの出典がつけられている記述は他の出典(65,68)で補われていると考えています。具体的には66,67の出典がつけられている記述は出典番号65の「小谷野敦裁判記(1)答弁書」で、69,70,71の出典は出典番号68の「東京地方裁判所平成21年9月17日判決(平成21年(ワ)第6984号)」で記事内の該当記述は検証可能性を満たしていると判断しています。
このことことから、ワイネフパーム・ブログの出典(66,67,69,70,71)を取り除くことも考えましたが、私以外の人が何らかの形(例えばページのキャッシュのアーカイブなど)でリンク切れを修正する可能性もあるので、出典として残しています。まとめますと、リンク切れは直っていない出典が数点ありますが、それらの出典を差し引いても他の出典で補っているので、検証可能性の観点から記事の記述に関しては問題ありません。また、それらリンク切れの出典は今後他の人がリンク切れを直すことを考慮して残しております。--実芭蕉会話2020年4月12日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

リンクの切れたURLは情報として成立していませんので除去いたしました。BUUTGOREG会話2020年5月24日 (日) 04:21 (UTC)[返信]

上述したようにリンクが切れた出典はそれぞれ他の出典で補っております。またリンク切れ以外の部分の記述の除去は看過できません。差し戻しをさせていただきました。--実芭蕉会話2020年5月24日 (日) 23:09 (UTC)[返信]

まったく、補えていません。記述の除去は看過できません、というのなら、冒頭テンプレートの全くないクリアな版を作成してください。185.150.189.122 2020年5月25日 (月) 06:22 (UTC) [返信]

と、今まで書いてきましたが、小谷野氏の法廷に関する部分を少々補う版を作成予定です。それならどうでしょうか。1-2行くらいですが。185.150.189.122 2020年5月25日 (月) 06:22 (UTC) [返信]

修正版ができました。upまでもうちょっとお待ちください。185.150.189.122 2020年5月25日 (月) 06:33 (UTC)[返信]


できました[編集]

なんとか修正版をUPしました。正直なところ、もう少し略歴は何とかならないのかと思いますが、一般人に読める範囲内で文章を作成しますと、これが限度です。

ちゃんとリンク切れを直し、公平なバージョン(小谷野が争った人物を明らかにする)にするというのなら、このくらいでいいでしょう。実芭蕉さんのバージョンの問題は「リンクが切れている(論外)」「長大すぎる(コピペが入っている)」「版のどこに読ませるポイントがあるのかわからない」、の三点です。

略歴よりも、法廷やプライベートの問題がくどくあれば、それはただの転載ですし、一字一句完全に丸写しの文章もありました。それは世間一般の用語と価値観で説明しますと、著作権侵害です。

他の出典で補っているから切れてもよい、という見解を何度も聞きましたが、それはオリジナルリンクが切れたがweb.archive.orgほかで発見された場合だけです。185.150.189.122 2020年5月25日 (月) 07:18 (UTC) [返信]

言い忘れたことがありました。分割提案テンプレートを貼付しておきます。異議がないようなら、今年中には小谷野敦の著作一覧を作ってみようと思っています。今すぐには作れません。185.150.189.122 2020年5月25日 (月) 09:05 (UTC)[返信]

いくつか述べさせてもらいます。
リンク切れについてですが、ワイネフパーム・ブログの出典(66,67,69,70,71)は他の方がリンク切れを補える可能性を考えて残しておきましたが、これらの出典は削除して構いません。しかし、それらの出典で裏付けをされている記述は、「小谷野敦裁判記(1)答弁書」と「東京地方裁判所平成21年9月17日判決(平成21年(ワ)第6984号)」の出典で検証可能性を満たしていると判断します。また、他のリンク切れについて、リンク切れ主張者はいつも具体的な指摘をされないのですが、リンク切れの箇所について具体的にすべて列挙して下さるようお願いします。
また、私はこの版の文章を書いた筆者ではなく、過去の版の記述の差し戻しをしたに過ぎないので、コピペや著作権侵害の部分がどこかわかりません。これも具体的にすべて列挙していただければ、該当箇所の変更などをすることも検討していきます。
そして「版のどこに読ませるポイントがあるのかわからない」については主観的な印象論だと考えます。この点に関してはコメント依頼等も検討していきます。
分割提案ですが、特に必要ないかと思います。秀逸な記事に選ばれている三島由紀夫の記事は641,447バイトと長大ですが、著作などはすべて三島由紀夫の記事に列挙されているので。--実芭蕉会話2020年5月25日 (月) 09:51 (UTC)[返信]

利用者:実芭蕉の主張する版は、主張する出典に不備がありました。書き直させていただきました。--185.78.22.5 2020年9月30日 (水) 05:17 (UTC)[返信]

不備[編集]

コメント 出典の不備を具体的にご指摘ください。また、185.78.22.5さんが行ったことは白紙化です。合意形成に多くの人が関わるべきだと考えておられるのなら、コメント依頼などを利用してください。--実芭蕉会話2020年9月30日 (水) 05:46 (UTC)[返信]

多くのrefでページ数が抜けてたし、ところによっては出典が確認できない媒体もあったので。全部出典の確認できるヴァージョンを作れるというのなら、そっちが正しいけどね。ルールを破壊する人に合意はいらない。--185.78.22.5 2020年9月30日 (水) 19:38 (UTC) [返信]

返信 (利用者185.78.22.5さん宛) 2020年9月30日 (水) 04:51(UTC)の版の出典を確認しました。全162件の出典の内、書籍を出典としてるものは50件ほどあり、そのうち37件はページ数が書かれていました。そして、 2020年9月30日 (水) 23:45(UTC)の版で4件の出典についてページ数を私が記載しました。「多くのrefでページ数が抜けてたし」というのは事実誤認ですので、それを理由に大幅に記述を削除することは、お控えください。
また、私はルールを破壊していませんので、合意が必要です。多くの人の合意が必要だとお考えであるのなら、コメント依頼などをご活用ください。--実芭蕉会話2020年9月30日 (水) 23:48 (UTC)[返信]

利用者:実芭蕉の版は、isbnとasinがカットされてるんだよね。何回でもカットしてたから破壊行為は明らか。--185.78.22.5 2020年9月30日 (水) 23:57 (UTC)[返信]

返信 (利用者185.78.22.5さん宛) カットしているのではなくて、大量の記述削除に対して差し戻しをしていたということです。isbnとasinに不備があるのなら、2020年9月30日 (水) 04:51(UTC)の版にそのまま書き加えればいいだけのことです。--実芭蕉会話2020年10月1日 (木) 00:03 (UTC)[返信]

合意がなければ破壊行為をやっていいですよという利用者の行為は、ただの犯罪。守るわけがない。あと、実芭蕉の句読点の打ち方が変で、日本語話者とは違った句点を用いることがある。整理した略歴を書けばいいんじゃないの?--185.78.22.5 2020年10月1日 (木) 00:00 (UTC)[返信]

いいわけはいけません。利用者:実芭蕉は10回以上にわたってisbnとasinをカットしています。うそをついてはいけません。サーバに記録されています。--185.78.22.5 2020年10月1日 (木) 00:20 (UTC)[返信]

報告 利用者:185.78.22.5による出典のある記述の大量削除について保護依頼をした[1]ところ、それが承認されて記事が保護状態になりました。また、利用者:185.78.22.5は現在ブロックされております。同時に打ち消し線処理をさせていただきました。--実芭蕉会話2020年10月1日 (木) 12:51 (UTC)[返信]