ノート:奈良時代

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美術史の奈良時代[編集]

645年から794年になってました。

藤原京の面積などの変更について[編集]

表記に関してGreenland4様の執筆なさった「新都平城京の規模は旧都藤原京の約3.5倍となった」という記述を「旧都藤原京とほぼ変わらず、むしろ藤原京のほうが広いぐらい」に変更させていただきました。これは脚注につけた鐘江先生の著書ともうひとつ小澤毅先生の「古代都市」(これも他の部分で出典とさせていただいています)にこちらは数値をあげて記載されているものを典拠としたものです。確かに吉田孝先生の著書には平城京の面積が「全体として藤原京の三倍半の広大な京域」(『大系日本の歴史3古代国家の歩み』p.167)とされていることは私も確認しておりますが(当時はこれが通説だったそうです)、この著書は1988年の発行であり、藤原京はその後1990年代の発掘調査で、それまでの通説が覆されたそうです(これも小澤先生の「古代都市」に記載されていました)。このことはウィキペディア藤原京の規模・京域の節にも詳しく記述されており、脚注の形ではありませんが複数の比較的新しい文献が参考文献として挙げられているので、現在はこちらのほうが通説となっているとみなして、書き換えさせていただいた次第です。

また、節名で「東アジア文化圏と奈良時代の外交」を「…対外関係」とさせていただいたのは、蝦夷と隼人の項を加筆するに当たりそれらが明らかに日本の外(化外)の人々と捉えられていながら、唐や新羅・渤海のような国家を形成していなかったので、「外交」としておくには不適切になったと考えて変更させていただきました。

これらの点について、本来ならば編集直後にノートに編集理由を書くべきでしたが、このように遅くなってしまいまことに申し訳ありませんでした。なおその他の部分については付加や順序の入れ替えなどはあるものの、除去や変更はしていないと思いますが、もし他にも(もちろん上記の点についても)疑義があればおっしゃってください。--春秋君 2008年6月18日 (水) 17:07 (UTC)[返信]

こちらこそ、不充分な記述でした。加筆修正ありがたく思っています。加えて、このような丁寧な御説明ありがとうございました。--Greenland4 2008年6月18日 (水) 21:38 (UTC)[返信]