ノート:夷陵の戦い

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開戦理由について[編集]

 「復讐という記述は正史にはない」とありますが、実際には「劉曄伝」「先主伝」「法正伝」などにおいて「関羽を殺された恨みから」とあります。

「先主は孫権が関羽を襲撃したのを怒り、東征に向かわんとし」(先主伝)「先主が帝位についたのち、東方の孫権を征討して関羽の仇を討とうとしたとき」(法正伝)「『・・・関羽の劉備に対する関係は、道義では君臣ですが、恩愛では父子です。関羽が殺されても彼のために軍をおこして敵に報復できないならば、最後まで恩愛を貫くというたてまえからいって不完全となりましょう』」(劉曄伝、曹丕の、劉備が関羽のために呉報復の出陣を決意するかどうかという問いに対する回答)

 これらから判断すると、劉備の東征の目的はまさに関羽の仇討ちであり、だからこそ蜀の群臣は反対したのでしょう。関羽を殺されたことに対する復讐を開戦理由として修正しようと思いますがいかがでしょうか。--つね 2007年4月1日 (日) 09:48 (UTC)[返信]

季意期(先主伝では季意其)[編集]

李意其の誤りではないでしょうか? それとも、季意期(先主伝では季意其)としている文献が存在するのでしょうか?--高堂升平会話2021年9月30日 (木) 23:07 (UTC)[返信]