ノート:大国主

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国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される。
また大国主は縁結びの神としても知られる。縁結びの神とされる由来は、大国主が神事を治める出雲には毎年10月に諸国の神々が集い(神在月)、出雲の大国主の下で神々が人々の縁結びについて話し合われるという逸話から、主宰神たる大国主に縁結びの信仰が生まれたとされる。また、大国主命が福徳によって助けた兎に言われた通りヤガミヒメと縁が結ばれた逸話や、須勢理毘売命を始めとする多数の女神と結ばれたことによるという解釈もある。

出雲大社は「大国主神が幽世の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっている」として、男女の縁のみならず、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神であるとしている。出雲大社の主張に対しては、「元々その信仰そのものが江戸時代国学によって作られたもので、古くにはないものであり、上記の俗説が民間信仰となって広まったため」だとする説もあるが、比較神話学の立場から国学とは無関係に古く存在していた信仰である可能性も指摘されている。 

縁結びの信仰がいつから始まったかという点は正確には不明だが、江戸時代中期には確実に出雲大社(大国主)の縁結び信仰が広まっていた模様。確認できる最古の文献として、江戸・元禄時代に井原西鶴が記した『世間胸算用』に「出雲は仲人の神」と記述ありとされる。そも(抑)、神在月の謂われはいつの頃から存在したかという点について、古くは平安時代末に藤原清輔により著された歌学書『奥義抄』では「十月(かみなつき)、天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」(意訳:十月は「かみなし月」というべきところを「かみなつき」と誤っている)という記述があり、既に平安時代末の頃には十月に神々が出雲に集まるという話、信仰が広まっていたともされる。同時代、藤原範兼による歌学書『和歌童蒙抄』にも、「十月は万の神たち出雲ノ国へおはしますに依て神無月と云う」とあったとされ、室町時代には、辞書『下学集』に 「出雲国には神有月と云うなり」とあり、ここで初めて神有月(神在月)という言葉が出てきたとされる。他、室町以降は様々な文献等に散見され、室町時代以降は一般大衆の間にも、「十月に出雲に神々が集まる」という話が広まっていた模様。

この他にも、中世には武士や刀鍛冶などから武神、軍神としても広く信仰されていた。記紀神話には直接的な武威の表現は見られないが、武を象徴する別名があることや、スサノオの元から手にした生大刀生弓矢を用い国を広く平定したことなどから、そうした信仰になったと考えられる。このため武士政権が崩壊した明治以降現在も、武術家や武道家などから信仰されている。

--Aitok I会話2018年7月13日 (金) 13:55 (UTC)[返信]


コメント 大国主の【国造りの神】は、記紀風土記に書かれているレベルなのですが… orz
とりあえずネット上で見れる論文では、神田典城「古風土記の大国主神」考(上)」『国語国文論集』第18号、1991年。の1-3ページあたりが簡単に纏まっています。
また【農業神、商業神、医療神】は、岩下均「大国主伝承の一考察」『目白大学人文学研究』第12号、2016年。の8-10ページを参照。--Ashtray (talk) 2018年7月13日 (金) 15:53 (UTC)[返信]
返信 情報ありがとうございます。農業神・商業神・医療神については了解しました。貴方の責任において記事に戻していただければ幸いです。
「国造りの神」であること自体は常識です。「として信仰される」というくだりが問題なのです。ご提示の文献を見たところ、そのような記載は見当たりません。--Aitok I会話2018年7月13日 (金) 16:03 (UTC)[返信]