ノート:壺月遠州流

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編集に関して[編集]

一読しただけではよくわからない流派ですね。事実上の開祖である青柳貫孝が、思想的に影響を受けた渡辺海旭の号である壺月をもらって流派名にし、海旭を流祖にすえる、というのは芸事の世界ではない話ではないと思います。海旭も貫孝も浄土宗の僧侶みたいですし、家元の庵号である六字庵の六字とは阿弥陀のことですね。でもそれで出来上がった原点回帰のお茶が『武家茶』である遠州流をベースにした『禅』茶道だというのではちぐはぐもいいとこでしょう。あげくに『伝統芸能』だとかいう記述まで出てきてしまっては。 詳しい方の加筆をお待ちします。--Easyman 2010年2月11日 (木) 16:00 (UTC)[返信]

禅と武士は(思想や理念的な)関わりがありますし、茶の湯と禅は密接な関係があるわけです。茶の湯の原点をさかのぼれば禅宗にたどり着きます。つまり壺月遠州流は武士の茶の湯の流れをくみ、その原点である「禅」を意識した流派です。--以上の署名のないコメントは、59.140.39.68 会話/Whois)さんが 2010-02-28T00:33:25 (UTC) に投稿したものです(Easymanによる付記)。

失礼ながらご説明の意味がわかりません。そもそも茶道は栄西が日本に茶を持ち込んだことに始まり、利休が大徳寺に参禅するなど禅と密接な関係があります。多くの流派では床に禅語の掛物を掛けるなど常に禅を意識しており遠州流も例外ではありません。どこの流派でもやっていることを改めて言上げするのにそんな理由では不十分でしょう。また武家茶は「綺麗さび」に代表されるように、どちらかというと派手なのです(全ての流派が当てはまるわけではありません)。だから「武家茶だから簡素だ」という本文の説明には違和感があります。加えて貫孝も海旭も浄土僧であり禅僧ではありません。彼らが試行錯誤のすえに浄土的境地を目指す茶の湯を創造したなら話は面白くなるのですが、どうもそうではなさそうです。海旭の号である「壺月」は資料によると浄土的境地ですが、公式サイトを見ると「壺の水に映った月」すなわち禅的境地として説明しています。つまり海旭の思想を換骨奪胎してしまったと見ることが出来ます。要するに書いてある一つ一つのことがでたらめなのです。それをすっきりひとつにする説明が欲しいのです。

もうひとつ気になっているのがNPO法人としてのこの流派ですが、神奈川県のホームページから法人が提出している事業報告書を見ると従事者1名、対象者10名程度とあります。これはその辺の茶道教室と変わりないということです。あるいは「壺月遠州流」という名前の個人的芸術活動である、ということです(べつにNPO法人として不適当ということをいっているのではありません。念のため)。だとするとWikipediaとして記事にするための特筆性を満たしているか怪しくなってきます。

すっきり納得できる加筆を求めます。--Easyman 2010年2月28日 (日) 05:27 (UTC)[返信]