ノート:埼玉県道27号東松山鴻巣線

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松山街道について[編集]

「かつては松山街道と呼ばれていた」とありますが、古来の“松山街道”とはどの道なのでしょうか? 「松山街道」で検索すると、一番出てくるのは、桶川から分岐して松山に至る道(すなわち現在の埼玉県道33号東松山桶川線?)が主となり、次点で上尾市付近での埼玉県道216号上野さいたま線、この2種及び無関係の四国の松山街道しか出てきません。 一方、鴻巣は当ページしか出てきません。とはいえ、「松山街道だったのは誤りだ」と申しているわけではなく、鴻中陸橋の上野寄りに「第一松山街道踏切」がありますので。 また、吹上駅 (埼玉県)の高崎寄りにある踏切が「松山街道踏切」といいます。つまり現代の埼玉県道66号行田東松山線は古来日光脇往還であったとされますが、別名あるいは重複で「松山街道」であったもののと推測されます。 恐らく「松山街道」という道は複数あったと考えるべきであると思います。 しかし、それを裏付ける証拠はインターネット上では見受けられませんでした。 現状で埼玉県道27号東松山鴻巣線だけに「かつては松山街道と呼ばれていた」と記述されており、適切なのか?という疑問が浮かびます。 そこで「松山街道」に関する出典を求めます。出てこないようなら、一旦記述を削除したく存じます。--2400:2200:2F8:50A6:3B32:DC11:B3DF:F7B5 2018年4月6日 (金) 08:02 (UTC)[返信]

追記致します。長々となってしまい、要点を得ていないので・・・現状の問題点については2点あります、
  1. 「東松山鴻巣線=かつての松山街道に相当する」ということを示す出典がないこと
  2. 東松山鴻巣線以外にも「松山街道」であったと推定される道があり、1の出典があったとしても、東松山鴻巣線だけが「かつての松山街道である」と宣言しているのが適切ではない
この2点を解消するため、「松山街道」とはなんなのかを纏めるべきだと思います。--2400:2200:2F8:50A6:3B32:DC11:B3DF:F7B5 2018年4月6日 (金) 08:16 (UTC)[返信]

話が進む気配がないので、「松山街道」に関する記載は一旦コメントアウトしました。--2400:2412:2440:CD00:1434:BDB3:1AFC:D562 2020年4月22日 (水) 02:28 (UTC)[返信]