ノート:坂上田村麻呂

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仕えている天皇、業績の集中度考えると平安初期の武将なのではないかな?と思うのですが、この「~時代」の武将というのは生年によるものでしょうか?Elthy 2005年2月8日 (火) 04:22 (UTC)[返信]

平安時代でしょうね。単純なミス、見落としではないでしょうか。Kinori 2005年2月8日 (火) 04:31 (UTC)[返信]
結構版を重ねても変わっていなかったので歴史カテゴリの統一見解かな?とも思っていたりしてました。奈良時代末期に仕官していなかったってわけじゃぁないでしょうしね。どうもありがとうございましたElthy 2005年2月8日 (火) 23:44 (UTC)[返信]

説明文の中に「文屋綿麻呂」と出てきますが、正しい表記は「文室綿麻呂」ではないでしょうか?

おっしゃる通りです。自分は今までずっと文屋と書いてきました。恥ずかしー。Kinori 2005年9月4日 (日) 13:54 (UTC)[返信]
さらに調べてみますと、どうやらどちらでもいいようです。しかし綿麻呂の活躍は「文室」で出てきますから、このままとします。Kinori 2005年9月15日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

細かい見出しができましたが、元に戻させてもらいました。見出しを付けるのは良いのですが、田村麻呂の人生は「征夷大将軍」時代と「大納言」時代に分かれているわけではありませんので、この付け方は良くないと思います。子孫の詳細については、坂上氏が新しくできましたので、そちらに説明を譲りましょう。Kinori 2006年3月30日 (木) 05:04 (UTC)[返信]

「わざわざ子孫の記述を削除する必要はなし」としてIPユーザー(219.24.214.21)と沢田さんが私の編集を戻されました。それについて以下に意見させていただきます。
第一に、何代も後の子孫の記述については、坂上氏の項目がなかった頃ならともかく、坂上氏の記事が独立してあるときには不要です。子孫について知りたい人は、単に坂上氏のリンクをクリックすることで説明にたどりつけます。これがウィキペディアのシステムを生かした分担です。
第二に、田村麻呂の人生を「征夷大将軍」、「大納言」、「薬子の変」で分けるのは誤りです。年譜を見てください。田村麻呂が大納言になったのは810年であり、810年の薬子の変の最中です。 219.24.214.21さんが「大納言」という見出しにいれた箇所のほとんどの期間、田村麻呂は大納言ではないのです。そして、その間ずっと田村麻呂は征夷大将軍を兼任しているのですから、このような分け方は変です。めだった単語を拾って見出しにしたのでしょうが、この分割は読者に誤解を与えることになります。
第三に、「関連」に坂上氏、坂上苅田麻呂、坂上広野の三つを並べたのは冗長で奇妙です。どれも本文中にリンクがあるのに、なぜわざわざ再掲するのでしょうか。そしてなぜこの三つなのでしょうか。お二人とも坂上広野と平野氏に関心がおありのようで、それを田村麻呂の記事で強調したいということなのだと思います。が、田村麻呂の記事は田村麻呂への関心に応えるために練りあげるべきであって、広野や平野氏への誘導を盛り込むのは良くないと思うのです。
第四に、見出しの「年譜」を「坂上田村麻呂の略譜」に改めましたが、これも誤りです。この年譜は六国史にでてくる記事を漏れなく拾って編んだもので、略した事柄はありません。人物についてこういう年表風の箇条書きをずらずら書いたものは年譜と言います。略年譜を略譜と言う場合がないとは言いませんが、一般的で専門的な語を用いるべきです。Kinori 2006年3月31日 (金) 05:52 (UTC)[返信]
反対のご意見をいただけませんでしたので、2006年3月30日 (木) 04:59の版に戻しました。Kinori 2006年4月7日 (金) 02:06 (UTC)[返信]
ことさら子孫の記述を削除する必要はないと思います。別項目があるとはいえ、すべての人が別項目を見るとは限らず、スペースの問題その他に支障がなければ、項目を残す方が、読み手に親切というものでしょう。利用者:沢田 2006年4月10日 (月) 02:34 (UTC)[返信]
第一に、何代も後の子孫の記述については、坂上氏の項目がなかった頃ならともかく、坂上氏の記事が独立してあるときには不要です。子孫について知りたい人は、単に坂上氏のリンクをクリックすることで説明にたどりつけます。これがウィキペディアのシステムを生かした分担です。(Kinori )さんの意見に賛成です。
子供や孫くらいまでの記述ならまだしも、700年以上の時間を経た子孫と称する平野氏末吉氏の記述は不必要な感じがします。Kinoriさんが述べられているようにリンクをクリックするだけで詳細な説明が読めるのに、一つの記事にいろいろ付随する内容まで記述する必要を感じません。
Jungerさんと沢田さん、IPユーザー(219.24.214.21)さんの御三方は平野氏や末吉氏や坂上広野に関して繰り返し記述されています。もしかしたら平野区在住の方かなと思いますが、坂上氏、平野区や坂上広野、末吉氏に関してそのページの記述を加筆していただいた方がより有用な気がします。また、いろいろな説があるときは両論併記や、「…ともいわれる。」「…とする説もある」という記述のほうがよい気がします。これは歴史に関する記述をされている利用者のすべて(私もたまにするので含めます)に言えます。よほど確定的な史料がある(できれば複数ある)場合は、断定でもかまいませんが、史料を精査した結果、複数の説がある場合には併記するほうがご覧になる方には有用な気がします。
坂上田村麻呂の項目は、坂上田村麻呂に関する部分だけで後は、内部リンクで移動して調べてもらうほうがよい気がします。ですので、関連は本文中にある内容でも、特に参考になると思われる項目に関しては追加してもいいのではないでしょうか。ただし、Kinoriさんが記述されているように冗長にならないようにとは思います。
また、田村麻呂の生涯を分けて記述されている件ですが、Kinoriさんの記述のように、適当な見出しになっていないので戻したほうがよいと思います。
--葉月(はづき)2006年4月10日 (月) 04:28 (UTC)[返信]
まず「子孫について知りたい人は、単に坂上氏のリンクをクリックすることで説明にたどりつけます。これがウィキペディアのシステムを生かした分担です」についてですが、基本的に異論はありませんが、ウィキペディアは必ずしも、そのようにリンクをクリックして、より個別的な事項へと進んで読んでいく人ばかりではないと思われます。つまりシステム的な合理性のみならず、項目記述の読み手に対する親切さも必要と思います。また、「話の膨らみ」ということもあります。坂上田村麻呂という一人の人物に関連して、予想外の知見が得られるということです。それから、「もしかしたら・・・」という、それこそ何の根拠もない憶測で、何かを暗示したりする記述は、ウィキペディアの方針に反するのではありませんか。他の方は知りませんが、私は、坂上氏とも平野区とも関係がありません。「・・・といわれている」「・・・ともいう」という記述は、私も同意します。それから、不要な記述と言うのなら、子孫は不要というKonoriさんは不要とは判断しておられないところの「温泉」の方が不要であり、あえて言えば不要度は高いのではないでしょうか。利用者:沢田 2006年4月10日 (月) 19:20 (UTC)[返信]
この記事は既にかなり長くなっていますが、関係あることについてどんどん並べていくというなら、この何倍もの分量を盛り込むことができます。皆が沢田さんを見習い、その結果「坂上田村麻呂関連」が「坂上田村麻呂」を上回るようになったら、ひどい記事になりませんか。皆が抑制するのがいいと思うのです。
私は今の温泉リストが優れているとは思いませんが、悪いものとも見えませんでした。現状では他に置き場所もないのでこのままにしてありますが、削るというのも選択肢の一つかなとは思います。
田村麻呂に付会した事物の分布については、調べあげた研究があります。それをふまえた解説が書かれるのは良いと思います。その結果として、「坂上田村麻呂伝説」が独立記事になれば、とても良いと思います。将来もしそうなったら、温泉リストは「田村麻呂伝説」の項と一緒にこの記事から消してしまいましょう。子孫についても同様で、他に置き場所がなかったときにはここに置くのも仕方ありませんが、今は「坂上氏」があるから要らないのです。
それと、私が先にあげた第二、第四の点についてはどうお考えでしょうか。何か考えがあったから戻されたのですよね。Kinori 2006年4月10日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
論議のある箇所について、年譜は削除し、伝説は温泉箇所を削除、子孫は子供以外は削除しました。それにより記述が全体的に適度に簡略化されたと思われます。
年譜を削除した理由は何ですか。そのような主張はここまでまったく出ていないのですが。子孫を削除といいつつ広野の特別扱いを残したのはなぜですか。「大納言」などの見出しに対して私は反対意見を書きましたが、それに対しては何の返事もなしですか。219.24.214.21さんの先ほどの編集は、議論のある箇所への対応ではなく、適度の簡略化でもないと思います。記事を一方的にいじるのではなく、どうすべきかの話し合いに加わってくださるようお願いします。Kinori 2006年4月11日 (火) 09:40 (UTC)[返信]
沢田さんが記述されておられるように、「温泉」は必要性がないので削除されたのは理解できますが、「年譜」は有用な情報だと思うので復活させたほうがよい気がします。「見出し」に関しては私は不要だと思います。もう少し合意をしたほうがいいことがあるかもしれませんね。「坂上広野」に関しては、私は平野郷の近隣に住んでいますので、親しみはありますが、Kinoriさんが記述されているようにあまり特別扱いするのはどうかなーと思います。地元民として言わせていただくと、広野と平野の関係は伝承としては面白いのですが、史的根拠が薄弱で、「歴史」というより「伝承」「伝説」の類です。ただ、伝承だからといって間違いというわけではなくて、史実であるのかどうかが証明しきれない部分があるという感じです。私が沢田さんを含めた御三方が平野区ゆかりの人かなと思ったのは、地元では調べればわかることでも、書物などには載っていないような内容があったので、ゆかりの方かなと思っただけで深い意味はありません。今、平野区では平野郷や坂上田村麻呂、坂上広野、平野七名家、末吉氏などを郷土の誇りとして世間に発信していこうとしています。「伝承」と「史実」をどこでわけるのか、どう表現するのかでいろいろ意見があります。同じようなことがwikipediaで論争にならないようにお願いしたいです。「坂上田村麻呂」では、「温泉」などは「伝承」ですので復活させないか、復活するのであれば、その旨の明記がいると思います。子孫に関しては、「坂上氏」があることもありますが、広野と平野郷の関係は「寺伝」という伝承ですので、その明記がいると思います(現在の記述で充分だと思います)。田村麻呂の末裔という戦国大名田村氏に関しても同様です。同時代の史料などがない場合は、伝承として扱うほうが誤解が少なくなると思います。葉月(はづき)2006年4月12日 (水) 08:34 (UTC)[返信]

219.24.214.21さんも、沢田さんも、私の質問にいっこうに答えてくださらないまま他記事でおびただしい編集を重ねていますが、これはどうしたことでしょうか。私は既に一度、お二人の返事を一週間待って、反論がないことを知って差し戻しをしました。するとお二人とも直ちに反応して元に戻してしまいました。そこで改めて質問しましてもはかばかしい返事がなく、いくつもの質問が未だに無視されたまま、何日も経過しています。お返事がなけれ一、二日のうちに(温泉を除いた形で)戻しますが、そのときには差し戻しで対抗するのでなく、ノートでの話し合いで応じてくださるようお願いします。Kinori 2006年4月16日 (日) 00:44 (UTC)[返信]

ご意見いただけませんでしたので、2006年3月30日 (木) 04:59 の版から温泉伝説を除いたものにしました。Kinori 2006年4月21日 (金) 23:05 (UTC)[返信]
見やすくなったと思います。年譜も小山氏みたいに年表にできたらさらにいいなあと思います。できる方がおられたらしてください。そのほうが利用する方には便利だと思います。葉月(はづき)2006年4月22日 (土) 02:35 (UTC)[返信]
年表を作成してみました。間違いがありましたら訂正お願いします。葉月(はづき)葉月 2006年4月22日 (土) 03:52 (UTC)[返信]
ありがとうこざいます。見違えてきれいになったと思います。Kinori 2006年4月23日 (日) 00:25 (UTC)[返信]
すっきりしましたね。内容も的確だと思います。利用者:沢田 2006年5月04日 (木) 06:50 (UTC)[返信]


/過去ログ

坂ノ上おじゃる丸とのOtheruses[編集]

墓所の画像アップありがとうございます。しかし、坂ノ上おじゃる丸とのotherusesは要らないのではないでしょうか。otherusesの案内は、関連しているものに付けるものではありません。本当は「おじゃる丸」について知りたいはずの人が、「坂上田村麻呂」に迷い込んでくる可能性が高いときに付けるものです。おじゃる丸を「田村麻呂」と間違えて覚えている人は、いるとしてもごく少ないと思います。--Kinori会話2014年3月2日 (日) 09:55 (UTC)[返信]

コメント 確かに、そう考えれば必要ないですね。すみません。--Shigeru-a24会話2014年3月2日 (日) 09:59 (UTC)[返信]
ついでですが、要約欄はおもちゃではありません。あんまりおちゃらけた文言は載せないでください。他人を馬鹿にしていると思われますよ。--S.Noue会話2014年3月2日 (日) 12:39 (UTC)[返信]

幼名「松尾丸」[編集]

幼名を松尾丸といったとする箇所を、主な解説から除き、「伝説」の節に移しました。典拠としてあげられた2書は実見していませんが、『柏葉集』は、江戸時代のものです。『松尾丸社縁起』についてはわかりませんが、縁起という性格からして、史実をそのまま記録するというものではないでしょう。近い時代の史料で裏付けられたこととは混ぜず、伝説のところに記すのが妥当ではないかと思いました。--Kinori会話2015年9月2日 (水) 10:19 (UTC)[返信]