ノート:啓蒙思想

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本文第一段落でも触れている通り、啓蒙思想運動はフランスで最も活発になり、また記事にあるように多くの有名な哲学者などが輩出されたと思います。そこで質問ですが、英、独以外にフランス語の訳語は載せないのでしょうか?私はフランス語は読めません。言語リンクを見ると、フランス語ではÉveilと書くのですか?だとすると、やはりÉveilにも「光で照らす」という意味があるのですか?ささいな質問ですが、分かる方回答お願いします。hans_castorp81 2006年1月15日 (日) 00:52 (UTC)[返信]

翻訳サイトで簡易に訳すと「覚醒」とでました。ネットでフランス語、WEB翻訳とかで検索すればフランス語でもある程度雰囲気のわかる程度まで翻訳してくれます。Izayohi 2006年1月15日 (日) 01:44 (UTC)[返信]

説明不足でしたかね。本文では、

  • "ヨーロッパ各国語の啓蒙にあたる単語を見て分かるように原義は「光で照らされること」である。"

とあります。私が聞きたいのは、啓蒙思想運動で一番有名なフランスの言葉(i.e. Éveil)でも、(「啓蒙」「覚醒」以外に「光で照らされること」があるのか、ということです。もしもその意味がないのなら、上記の記事部分はフランス語での訳語に対して注記が必要なのではないか、と思ったのです。hans_castorp81 2006年1月15日 (日) 02:26 (UTC)[返信]

独語のErleuchtungにしても、フランス語のÉveilにしても、「啓蒙」ではなく和訳するときは仏教のような「悟り」か「啓示」(これはOffenbarungかな。)のが通例でそもそもinterwikiがちょっと違うのですが・・・仏語では確かlumièresになると思います。これも、ラテン語のlumenからきており原義は光です。独語のErleuchtungはerleuchtenの名詞化したもので、意味は照らすという意味なので、これも光なのですが・・・誤解しないでほしいですが、普通啓蒙で使われるAufklärenは、哲学以外では暴くみたいな意味で使われる単語なので、文字通り光で照らされるのを形容する単語では、Erleuchtungなのかもしれません。(でもAufklärenもつづりからして明かされるみたいな意味だからな・・・)英語に比べるとドイツ語はこうした概念を示す単語の候補複数あるが深みでもあり悩みでもあります。--ケンチン 2006年1月15日 (日) 11:29 (UTC)[返信]

で、独語も仏語も両方とも曖昧さ回避になっている・・・・日本語のでは啓蒙時代がそれに相当するものになっているので、どちらの項目で何を担当すべきか結構難しいかもしれませんね。--ケンチン 2006年1月15日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

内容見る限り仏語ではÉveilなのかな…。当方は良く分からないので、フランス語できる人フォロー願います。--ケンチン 2006年1月15日 (日) 11:53 (UTC)[返信]

辞書引いただけですが、上でもIzayohi氏が書いている通りÉveilは「目覚め」です。フランスの人文主義が反教会色が強かったためにこちらの方がこのまれた、とかじゃないでしょうか(憶測ですが)。照らされる「暗闇」というのもプロテスタントの一部教派がカトリック時代を暗黒時代と呼ぶのに通じているような。johncapistrano 2006年1月15日 (日) 13:04 (UTC)[返信]
一般的な意味では目覚めですが、これだと眠りから解放されるみたいなので。ここでは専門的な意味合いなのでたまたまウィキの仏語版の利用者ページでfr:Utilisateur:Nojhan/Vocabulaire et concepts du bouddhisme見つけましたが、専門的な意味あいでは悟りみたいなニュアンスの意味ですね。(仏語の記事でも下のほうに仏教における悟りという感じで執筆していますし、ただ、仏語のカントの部分少し気になるなぁ。)ただ、仏語はまったくの門外漢なのでニュアンスみたいなものがわかりませんが。ÉveilとLumièresの違いみたいなものどんなですかね。--ケンチン 2006年1月15日 (日) 13:41 (UTC)[返信]
何かフランス語版は啓蒙思想では記事はなく全て啓蒙時代に転送されているように思えます。で代わりみたいな感じで「悟り」に言語間リンクが張られているようです。ご確認願います。ちなみに啓蒙思想家テンプレがそうでした。johncapistrano 2006年1月15日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

短期間の間に、これだけ調べてくださり、驚きました。小さな、あまり重要でない質問かもしれませんが、ありがとうございます。仏語も独語も理解できない私は、独・仏語の「啓蒙」の語源に、英語(en-lighten-ment)と同じ原義があるのか、を知りたかったのです(記事が不正確になるかもしれませんし)。Lumièresですと、「ああ、なんか明るくするんだな」っていう感じはつかめるのですが^^;。張ってくれた仏語版のリンク先もすこしじっくり読んでみます。

他国語版では「啓蒙思想」と「啓蒙時代」との項目が統一されて、この項目の他言語リンクが全て「悟り」に相当する項目へ繋がっていたので全て削除しておきました。言語間リンクは啓蒙時代で働きます。--87.227.78.40 2010年1月19日 (火) 23:42 (UTC)[返信]

細かいこと[編集]

「しかし、啓蒙思想は近代教育制度の普及に貢献し、フィヒテは、かの有名な講演「ドイツ国民に告ぐ」(Reden an die deutsche Nation) において当時としては斬新であった一人一人の個人がドイツ人としてドイツ語で学び、ドイツ語で考えるなどといったことにまでいたった。」というのをみて、ちょっとぎょっとなったんですが、「一人一人の個人がドイツ人としてドイツ語で学び、ドイツ語で考える」が斬新である、というのはどういうことなんでしょう。 どなたかわかる方いらっしゃいますか。

ドイツ語で学び、ドイツ語で考える、ということならすでにヴォルフの頃からそうなのであって、フィヒテの講演の意義はむしろ、「ドイツ人」すなわち「ドイツ語を用い、そのことによって成立している民族=文化的共同体」なるフィクションに思想的な基盤を与えたことにあったのではなかったでしょうか(ここでわれわれはあるいはルター派地域の特殊な事情を考慮するべきかもしれません。同時代のミュンヘンではむしろ新スコラ学のような普遍的な思想史の文脈への関心が強く、ドイツということは北ほど切実な問題ではなかったように思います)。
また、フィヒテを啓蒙思想の範疇で語るということがどれだけ妥当な準拠枠なのかも、知りたいところです。
私にはこうした論点を評価するに足る力も準備もございませんので、フィヒテアーナや教育思想に詳しい方にご教示願いたいところです。またドイツ圏ということではレッシングの『人類の教育』の影響や、彼の悲劇論などを通じた啓蒙思想の文学への影響ということもこの項目から触れられるといいのかな。これは自分の課題として書きとめておきます。--Aphaia 2006年1月17日 (火) 08:41 (UTC)[返信]
はるか昔私が書いたところだと思いますが、事情によりシバラクお待ちください。でも、改めてよんでみるとだいぶ言葉不足ですね。誤解されやすいですが、少なくとも、フィヒテを啓蒙思想の範疇で語ろうと意図して記述したものではないです。・・・--ケンチン 2006年1月23日 (月) 08:12 (UTC)[返信]
それで啓蒙思想の影響、定義程度に追加しました。ここにフィヒテ云々ももっていこうと思ってますが・・・--ケンチン 2006年1月23日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
手元にある文献みたのですが…肝心の啓蒙思想からドンドン離れそうなので、ここでは却下で。ドイツ国民に告ぐの別途項目作成したいですね。--ケンチン 2006年1月23日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

啓蒙思想の影響は自然科学、社会科学のほぼ全領域にわたっています。やや内容が政治思想に偏っていると思われましたので、改変しました。この後おもに自然科学や社会科学に対する影響を付け加えていきたいと思っています。--Kanbun 2006年2月24日 (金) 21:14 (UTC)[返信]

啓蒙活動という表現について[編集]

啓蒙活動という表現について、以下の内容の項目を立てようと思いますがいかがでしょうか?

一般に啓蒙あるいは啓蒙活動と呼ばれている活動は、その多くが啓発活動であり、啓蒙思想とは関連がない。これは日本において啓蒙思想について学ぶ機会が少なく、啓蒙と啓発という表現が似ていることに起因する誤解かと思われる。--Sheiham 2007年4月5日 (木) 14:33 (UTC)[返信]

啓蒙思想において[編集]

ソクラテスが出て来ないのは不思議だ