ノート:古代核戦争説

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モヘンジョダロ遺跡の項目に[編集]

保護中に恐縮ですが、「このような広範な範囲の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界では見つかっておらず」の部分に

「火山活動の無い地域でも自然現象によって砂がガラス状に融解して固まる事があるが、現在確認されているのは落雷によるものだけであり、落雷の場合は亀裂が走ったような形にガラス層が形成され、広範囲に均一な層が作られる事はまず考えられない」

と言うような内容を追記したいのですがどうでしょうか?

--Mithrilblue 2007年12月11日 (火) 03:36 (UTC)[返信]

履歴の問題[編集]

本項目の初版は、削除される前の古代核戦争から履歴を継承せずコピペで作られたものです。それをそのまま使うのは、GFDL違反になるのではないでしょうか? また、初版については、古代核戦争での編集に関する議論(ノート:古代核戦争/削除参照)を故意に無視しようとしたものではないかと思われます。その点から言っても、この項目は(削除依頼を出して)一度削除してしまう方が良いように思えるのですが、いかがでしょうか? -- NiKe 2005年8月16日 (火) 00:30 (UTC)[返信]

削除依頼も止むなしかと思いますが、とりあえず、元の文章のままではあまりに問題があると感じたんで、穏便な表記に修正しました。219.102.108.24 2005年8月16日 (火) 06:17 (UTC)[返信]

確かに、前の文章は「古代核戦争が無かったことを是が非でも知らしめたい」という意思が取るように分かりましたからね。

ところで、履歴を継承して新しい項目を作ることが出来るんですか?

それはそうと、もうひとつ問題があります。IP:202.95.176.242氏によって古代核戦争説が新規作成され、IP:210.149.190.142氏の意見のみを元に行動を行っています。IP:202.95.176.242氏、IP210.149.190.142氏は、どういうつもりなのか弁明を求めまたいです。

--220.110.49.188 2005年8月17日 (水) 03:48 (UTC)[返信]

220.110.49.188とやら。あまりにも滑稽なので無視してきたが誰も指摘しないので行っておくがわしは古代核戦争説なる項目を作っていないぞ。 古代核戦争の項目にリダイレクトを入れて古代核戦争説を前の記事に戻しただけじゃ。

しかし、今の内容は「ひょっとしたら、古代核戦争があったかもしれん。」という誤解を与える悪文じゃ。好ましくないのう。

それはそうと、履歴とかリンク元をみていると面白いものが見れるのう。 --202.95.176.242 2005年8月24日 (水) 23:06 (UTC)[返信]

62.37.236.193の意見を全面採用しているのは問題あり[編集]

62.37.236.193ノート:古代核戦争/削除出の議論で逃亡したにもかかわらず210.149.190.143の主張を全面的に排除し62.37.236.193の意見を採用するのは問題外です。 --200.214.146.130 2007年6月30日 (土) 08:56 (UTC)[返信]

当然のことですね。 --194.104.99.10 2007年8月31日 (金) 03:49 (UTC)[返信]

『原子の解説』について[編集]

専門の物理学者とはいえ,1909年に核兵器?と思って調べてみましたら、英語版のソディの頁からこの本のPDFへのリンクが張られていました。本文に書いた内容が出てくるのは、PDFでいうと143ページ(元の本のページでは240ページ)から145ページ(元の本では245ページ)あたりになります。その前後の文脈などを踏まえますと、ウランには膨大なエネルギーが蔵されていることがわかっていながら、当時はまだ気の遠くなるような期間での自然崩壊以外にそれを放出させる方法が判明しておらず、そのことをソディは大変残念に思っている記述があります。--Unamu 2010年1月28日 (木) 14:25 (UTC)[返信]

元の版にリンクと「243ページ中段」という具体的な指摘があったのですね。その前のページから続くパラグラフの試訳を掲げておきます。訳文についてはご批正を乞いますが、少なくとも「古代文明が核兵器で滅びたと信じている」というものでないことは確かではないかと思います。
Some of the beliefs and legends which have come down to us from antiquity are so universal and deep-rooted that we are accustomed to consider them almost as old as the race itself.
(古代から伝えられた俗信や伝説には、ほとんど人類そのものと同じくらい古いと考えがちなほどに、普遍的で深い起源を持ったものがある。)
One is tempted to inquire how far the unsuspected aptness of some of these beliefs and sayings to the point of view so recently disclosed is the result of mere chance or coincidence, and how far it may be evidence of a wholly unknown and unsuspected ancient civilisation of which all other relic has disappeared.
(近年明らかになった観点にも通じるこれらの俗信や言い伝えの思いがけない性質が、単に偶然もしくは符合の結果であるのか、そして、その他の遺物がすべて失われてしまった、まったく未知で思いもよらないような古代文明の証跡である可能性があるのか、と問うてみたくなる。)
It was curious to reflect, for example,upon the remarkable legend of the philosopher's stone, one of the oldest and most universal beliefs,the origin of which, however far back we penetrate into the records of the past, we do not seem to be able to trace to its source.
(たとえば、もっとも古くかつ普遍的な俗信の一つである「賢者の石」の注目すべき伝承に、われわれが過去の記録に深く分け入ってもその源に遡ることができないと思えるような起源が反映していたらと思う。)
The philosopher's stone was accredited the power not only of transmuting the metals, but of acting as the elixir of life.
(「賢者の石」は金属を変換するだけではなく、不老不死の霊薬でもあると信じられていた。)
Now,whatever the origin of this apparently meaningless jumble of ideas may have been, it is really a perfect and but very slightly allegorical expression of the actual present views we hold to-day.
(この一見意味のない混乱の起源が何であれ、これはまさにわれわれの現在の見方を、完全に、しかしほんのわずかに寓意をもって表現したものである。)
It does not require much effort of the imagination to see in energy the life of the physical universe, and the key to the primary fountains of the physical life of the universe to-day is known to be transmutation.
(宇宙の生命をエネルギーの中に見出すことには多大な想像力は要求されない。そして宇宙の生命の泉の重要な鍵は元素変換であることが今日知られている。)
Was then this old association of the power of transmutation with the elixir of life merely a coincidence ?
(この元素変換の力と不老不死の霊薬とのいにしえの組み合わせは単なる偶然の一致だろうか?)
I prefer to believe it may be an echo from one of many previous epochs in the unrecorded history of the world, of an age of men which have trod before the road we are treading to-day, in a past possibly so remote that even the very atoms of its civilisation literally have had time to disintegrate.
(人類が今日まで歩んできた歴史よりも古く、その文明の原子ですら文字通り崩壊に至るほどのはるか遠い過去にあった、世界の歴史に記録されていない多くの時代の一つが影響しているのかもしれないと考えたくなる。)
--Unamu 2010年1月29日 (金) 13:27 (UTC)[返信]
参考までに上記に続くパラグラフの文章と訳文も掲載します。
Let us give the imagination a moment's further free scope in this direction, however, before closing.
(本書を終える前に、あと少しだけ、この方向でさらに想像力を自由に広げてみよう。)
What if this point of view that has now suggested itself is true, and we may trust ourselves to the slender foundation afforded by the traditions and superstitions which have been handed down to us from a prehistoric time ?
(もしこの観点が自ら示唆するところが正しいとしたら、有史以前より伝えられてきた伝説や迷信から生じた乏しい根拠を信じるかもしれないだろうか?)
Can we not read into them some justification for the belief that some former forgotten race of men attained not only to the knowledge we have so recently won, but also to the power that is not yet ours ?
(それらの伝説や迷信の中に、忘れられた昔の民族が、ごく最近になってわれわれが手にした知識ばかりではなく、いまだわがものとしていない力にまで達していたという確信をいくぶんなりとも正当化する理由を読み取ることはできないだろうか?)
Science has reconstructed the story of the past as one of a continuous Ascent of Man to the present-day level of his powers.
(科学は過去の物語を、人類が今日のレベルの力を持つまでの不断の進歩の一つとして再構築する。)
In face of the circumstantial evidence existing of this steady upward progress of the race,the traditional view of the Fall of Man from a higher former state has come to be more and more difficult to understand.
(この人類の間断のない進歩を示す状況証拠に直面すると、人が昔の高い地位から「堕落」したことについての伝統的な見方は、より理解が難しくなる。)
From our new standpoint the two points of view are by no means so irreconcilable as they appeared.
(われわれの新しい立場からは、この二つの見解は見た目ほどに両立しないものではない。)
A race which could transmute matter would have little need to earn its bread by the sweat of its brow.
(元素変換をなし得た民族は、パンを得るために額に汗する必要はほとんどなかっただろう。)
If we can judge from what our engineers accomplish with their comparatively restricted supplies of energy, such a race could transform a desert continent, thaw the frozen poles, and make the whole world one smiling Garden of Eden.
(もし現在の技術者が今の比較的制限の多いエネルギー供給からなし得ていることから判断できるとすれば、そのような民族は砂漠の大陸を変え、凍り付いた極地を溶かし、全世界をにこやかなエデンの園にすることができただろう。)
Possibly they could explore the outer realms of space, emigrating to more favourable worlds as the superfluous to-day emigrate to more favourable continents.
(ひょっとすると彼らは宇宙を探検し、今日過剰な人々がより住むのに都合がいい大陸に移住するように、より住みよい世界へと移住できたかもしれない。)
One can see also that such dominance may well have been short-lived.
(同時に、このような支配力は短命に終わったかもしれないということもできる。)
By a single mistake, the relative positions of Nature and man as servant and master would, as now, become reversed, but with infinitely more disastrous consequences, so that even the whole world might be plunged back again under the undisputed sway of Nature, to begin once more its upward toilsome journey through the ages.
(一つの過ちによって、現在のように人類が主人で自然がその召使いであった関係が、莫大に悲惨な結果とともに逆転し、全世界までもが自然の揺るぎない支配の下へと突き戻され、再び今日に至る苦難の旅路を始めたのかもしれない。)
The legend of the Fall of Man possibly may indeed be the story of such a past calamity.
(「人の堕落」という伝説は、あるいは本当にそのような過去の災難の物語であるかもしれない。)
"the Fall of Man"というのは、アダムとイブが知恵の実を食べてエデンの園を追放された、いわゆる「人の原罪」のことですが、ここでは「より高い地位から」というフレーズがあるので「堕落」としてみました。"By a single mistake"(一つの過ちによって)という部分は今のわれわれが読むと核戦争だとか核事故などを思い浮かべがちです。しかしもちろんそうした概念はソディの時代にはなかったわけで、もっと抽象的なものだとわかります。ソディがいわゆる「超古代文明論」に近い内容を語っていることは確かですが、具体的にどこにどんな文明があったと書いているわけではありません。数年前まで著作権が残っていたとはいえ、実際には全く出てこない「マハーバーラタ」に本書が言及しているなどという意見もあった模様で、恣意的な取り上げ方が横行していたようです。
それにしても、英語版などのWikipediaでは「疑似考古学」を意味するPseudoarchaeologyという項目はありますが、古代核戦争説は全く出てきません。著者名などで検索するといくつかのオカルト系サイトが引っかかりますが、欧米のオカルト考古学の中ではマイナーなジャンルなのでしょう。--Unamu 2010年2月2日 (火) 13:04 (UTC)[返信]

ローマ学科大学について[編集]

ガラスを分析したとされるローマ学科大学は、実在する大学なのでしょうか?調べた限り見つからないのですが。--Ozanari4会話2012年3月28日 (水) 03:52 (UTC)[返信]

論拠の脆弱性[編集]

読む限りソディの主張は個人の感想であって事実の裏づけではないかと。論拠に載せる必要は無いでしょう。 他の本文が空白の遺跡群も痕跡が無いならば削除すべきでしょう。--111.216.239.33 2013年6月19日 (水) 17:45 (UTC)[返信]