ノート:印旛沼の竜伝承

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埼玉県による「印旛沼の竜伝承」では[編集]

国造制から律令制への移行期に建立された、国分寺建立以前の初期寺院に系譜を持つ龍角寺龍尾寺に伝わる天平時代の伝承に対して、徳川家康江戸入府後の見沼田んぼの伝承をもって当てるのは、時代が全く違い当然のことながら後世の創作です。またこれは「埼玉県の見沼地方に伝わる印旛沼の竜伝承」であって本来の印旛沼の竜伝承とは異なるものです。そもそも、ださいたま返上のため、よその県を貶めようというのは埼玉県の県民性の問題であり、いかに出典があろうとも無効なはずです。--223.218.130.29 2016年9月22日 (木) 23:49 (UTC)[返信]

初めまして、こんばんは。「印旛沼の竜伝承」の記事に加筆を致しましたÆskjaと申します。IP:223.218.130.29会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが埼玉県と書かれた理由がわかりかねます。いたずらでしたらおやめ下さい。なお、記事に貼られた{{正確性}}は除去致しましたのでご了承願います。--Æskja会話2016年9月23日 (金) 13:54 (UTC)[返信]
見沼の竜伝承群と比べて物語りの筋はおおむね決まっている。」とあったので、埼玉県の方が書かれたものかと思ったのですが、ひょとして間違いだったかも知れません。また、Æskjaさんの、本来の「印旛沼の竜伝承」であろう栄町のホームページを元にした加筆をもって「正確性のタグ」を外したことについても了解です。ただし「類似する伝承」については若干疑問があります。龍尾寺の方に「なお、同様の縁起が大阪府四條畷市にある曹洞宗の龍尾寺にも伝えられている。」とあり、私はこれを削除したのですが、その理由を記させていただきます。たまたまヒットしたページに高橋莞爾氏の印旛沼の龍伝説に学ぶ(環境情報研究 第15号)というのがあり、龍尾寺に伝えている伝承に「そのとき、龍の尾が垂れ下がったということから惣領村は尾垂惣領村また後に尾垂村となり、そして現在は匝瑳郡光町尾垂となっています」とありました。また、成田山不動尊の上陸記念碑よれば、天慶2年(939年)に、成田山新勝寺のご本尊の不動明王が上陸したところが尾垂浜だそうです。ですので天慶2年(939年)には尾垂という地名があり、つまりこの伝承はそれ以前からのものと考えられるわけです。翻って曹洞宗は天慶2年(939年)にはまだ日本に伝えられておらず、大阪府の四條畷市にある曹洞宗の龍尾寺は、天平3年(731年)は勿論、天慶2年(939年)以前の創建と到底考えられない、ということです。同様の縁起というのがどういうものか判りませんが(それを元にして「○○の竜伝承」という記事を立てればいいわけです)、奈良や大阪には印旛沼は無さそうですし、天平時代に曹洞宗の龍尾寺が存在したとも考えられません。しかし、龍角寺廃寺も匝瑳市の大寺廃寺も、7世紀の創建だということは学術的に確認されており(勿論現在の龍角寺や龍尾寺がその時代のものそのものでは無いのも確かですが)、また天慶2年(939年)に寛朝僧正が下向したのも史実として疑う余地がないことなわけで、例え出典があるにせよ、あまりにもレベルが違うものを同列に扱うのはいかがなものかと考えた、ということです。たまたまヒットしたホームページを見てのことですが、あまりにも不出来な記事をそのままほっておくのは問題だと考えたわけです。「正確性のタグ」を外したことについて了解しますので、更なる加筆をしていただき、許容できるレベルにまでアップしていただきたいと思います。--223.218.130.29 2016年9月23日 (金) 22:12 (UTC)[返信]
おはようございます。ご丁寧に説明戴きありがとうございます。当方は昨年、この「印旛沼の竜伝承」の初版作成者の編集履歴を追っていくつかの記事を修正しておりました。「印旛沼の竜伝承」では、図書館で閲覧できた書籍『世界の龍の話』が紹介していた奈良県の伝承についてのみ検証をし、本文に若干の修正を加えております(差分)。初版作成者の方が参考になさった『印旛沼ものがたり - あの日あのとき』は当方には検証ができないため、印旛沼の伝承の部分はそのままにしておりました。今回ようやく、印旛沼の伝承についてネットで検索して加筆修正したところです。
奈良県の伝承については、印旛沼の伝承とは節を分けました。どちらの話も「竜が竜王に逆らって雨を降らせ、そのため体を3つに裂かれ、体はそれぞれ別の寺に納められた」という共通点があり、類似の伝承としてこの記事で紹介していても、あるいは今後記事が分割されたら関連項目で互いを紹介しても差し支えないように思えます。
見沼の竜伝承」については、ネットで検索したところ、見沼の主が干拓後に印旛沼に移り住んだという言い伝えがあるとわかりました。このため、初版投稿者の方は印旛沼の伝承と見沼の伝承をお互いの関連項目として掲載してしまったと思われます。伝承自体には関連性がないため除去するとともに、「見沼の竜伝承」には主の印旛沼への移住を{{要出典範囲}}をつけて残しておきました(移住の話を紹介している個人サイトに出典として『川口市史 民俗編』が掲載されていましたが、当方には検証できない書籍でしたので)。
「許容できるレベルにまでアップしていただきたい」とのお話がありましたが、当方は残念ながらこのご希望には副えられないと存じます。当方は「昔話」はそこそこ対応できるかも知れませんが、史実や寺の縁起にまで踏み込んで情報を集めて記事にするほどの実力はございません。現状があまりにも気になるようでしたら、お手数でも記事を加筆依頼に出されてはいかがでしょうか。最後になりますが、当方も1年前に修正すべきだった問題点を見落としており、初版投稿者の方とともにお詫びしますとともに、ご指摘に感謝申し上げます。--Æskja会話2016年9月24日 (土) 00:41 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)私Æskjaからぷらら・神奈川県・光さん(IPアドレスが変わるようですので、223.218.136.5さんでなくこのように呼ばせて戴きます)へ質問させて戴きます。はい・いいえ程度の簡単なご回答で差し支えございませんが、お手数でも回答ごとにご署名を戴けますとありがたく思います。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC) [返信]

宜しくお願い致します。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

ぷらら・神奈川県・光さん、こんばんは。今後はこうした発言はなさらないようお願い致します。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

記事について[編集]

見出しを追加しました。--Æskja会話2016年11月11日 (金) 15:50 (UTC)[返信]

Æskjaによる編集について[編集]

見出しを追加しました。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

ですが、Æskjaさんのその後の編集を仔細に拝見しますと疑問なことばかりなのです。例えば『龍尾寺略縁起』が、1984年(昭和59年)に書かれたとあるのは、ごく最近書かれたものだという誤解を招きかねず、惣領村を白浜村 (千葉県)にリンクさせるのは、尾垂という地名が天慶2年(939年)以前からあるこということへの対抗のようにも思え、「類似する伝承」で『今昔物語集』を上げるのも、パクリだと受け取られかねない書き方であり、四條畷市にある龍尾寺について熱心なのも腑に落ちません。Æskjaさんもらんたんさんと同じく、印旛沼の竜伝承が見沼の竜伝承と較べてつまらないものだと主張しておられるとすると疑問が氷解してしまうのです。また、龍尾寺の縁起については、完全一致する出典がウェブで見つからないとし、龍角寺では、佐倉風土記の書誌情報が不明なことを問題にするのも理解に苦しみます。二次資料である井上孝夫「下総地域における龍神信仰」に記載があり、赤松宗旦吉田東伍はわかっているのですから、それで良いではありませんか。少なくとも、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」は、この伝説の信憑性を問題にしているわけではなく逆であり、趣旨に反した文献の引用は正しいことではないと思います。龍尾寺の縁起や佐倉風土記の件に至っては、井上孝夫はともかく、赤松宗旦や吉田東伍よりも、Æskjaさんご自身の方が偉いといっていることになるわけです。まさかそんなこと仰っているわけではないでしょうが、ご本人が仰っているように、この件に関する知識が不足していることは否めないようです。ともあれ、せっかく、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」や、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」といった文献がみつかったですから、活さないという法はないわけで、これに基づいて書き直させていただきます。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 07:10 (UTC)[返信]
個々の寺に伝わる縁起についてはそれぞれの寺の記事にありますので、「伝説」は、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」が引いている『房総の伝説』の「印旛沼の主」と、加えて『房総の民話』の「雨を降らせた竜」に拠りました。「解説」は、「下総地域における龍神信仰」と、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」を軸とし、いくつかの書籍でこれを補うということで全面的に書き直しました。なお、外部のホームページへのリンクは、印西市には龍腹寺関連のページが見つかりませんので、千葉県教育委員会と、龍角寺のある栄町、龍尾寺のある匝瑳市の該当するページのみとしました。というのは、Æskjaさんの龍尾寺の編集で、千葉県公式観光情報サイト の情報を使っているのですが、中興年を、伝・天平4年(732年)とし、本文にある和銅2年(709年)と齟齬をきたし、信憑性を損なうことになっている、という例が見受けられるからです。この記事についても、不確かなホームページの情報をいっぱい載せることで、わけがわからないようにしていると勘ぐれないわけでもありません。ホームページの情報は、文献情報と較べ、格段に信頼性は劣るわけですから、外部ホームページへのリンクは、記事の信頼性や品質を落とさない範囲に留めるべきだと思います。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 07:26 (UTC)[返信]
追加です。旧版の「類似する伝承」のうち、奈良県の民話と『今昔物語集』の説話については、日本の竜に移しました。また、四條畷の竜伝承は、独立記事として新規に立稿しました。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 07:44 (UTC)[返信]

質疑応答[編集]

(インデントを戻します)私Æskjaからぷらら・神奈川県・光さん(IPアドレスが変わるようですので、223.218.136.5さんでなくこのように呼ばせて戴きます)へ質問させて戴きます。はい・いいえ程度の簡単なご回答で差し支えございませんが、お手数でも回答ごとにご署名を戴けますとありがたく思います。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC) [返信]

  • 質問1:龍尾寺の縁起ではなく『龍尾寺略縁起』は、(1) 西暦で言えば何年に、(2) 誰によって、書かれたのですか?--Æskja会話) 2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)1字修正。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 14:18 (UTC)[返信]
    • ご回答1:質問の趣旨が判りません。なお、Æskjaさんは、龍尾寺の記事の「縁起」の前半部分を匝瑳市のホームページに拠り、後半を井上孝夫「下総地域における龍神信仰」に記載の縁起に拠った私の編集を非難しているのですが、Æskjaさんも龍角寺に伝わる伝説を栄町のホームページに拠りながら、龍尾寺については、高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」に拠っており、同じことをしているということを指摘させていただきます。龍角寺を栄町のホームページとするなら、龍尾寺も匝瑳市のホームページとすべきであり、あるいはどちらも、高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」に拠るべきで、また高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」の龍尾寺の伝説は、ここには記載する必要性は特に感じません。Æskjaさんのなされておられることはダブルスタンダードであり、少なくともこれによって結果的に信憑性を疑わせることになっている、ということも指摘させていただきます。--223.218.136.5 2016年11月14日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
      • ご回答へのコメント:この質問は、ぷらら・神奈川県・光さんが書かれた「『龍尾寺略縁起』が、1984年(昭和59年)に書かれたとあるのは、ごく最近書かれたものだという誤解を招きかねず」という文章に対するものです。井上孝夫「下総地域における龍神信仰」p. 18には「現在寺に伝わる縁起...の要約...住職作成の「略縁起」(1984年刊行)」とあり、当方はこれを出典として龍尾寺を編集しております。ぷらら・神奈川県・光さんが『略縁起』に関する誤解を心配なさるのであれば、井上氏にメールなどで直接お話しし当該箇所の訂正をお願いしてみてはいかがでしょうか。今後も井上氏の記述を参考にした同様の記述が他の研究者や一般人によって論文やネット上に書かれる可能性がありますので。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]
  • 質問2:千葉県に伝わっている竜の伝説は、『今昔物語集』のパクリだったのですか?--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
    • ご回答2:質問の趣旨が判りません。なお、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」は、参考情報として18頁に、「(千葉県に伝わっている、ではなく)龍角寺に伝わる竜伝説は、今昔物語集の龍海寺伝説と似ている」という記述が、山川出版の『千葉県の歴史』の、1971年発行の旧版にあったということを紹介しています。ですが、現行の版にはそういう記述は見当たらないようです。--223.218.136.5 2016年11月14日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
      • ご回答へのコメント:この質問は、ぷらら・神奈川県・光さんが書かれた「「類似する伝承」で『今昔物語集』を上げるのも、パクリだと受け取られかねない書き方」という文章に対するものです。白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」p. 18の、ぷらら・神奈川県・光さんが引用なさったまさにその箇所を出典として加筆しております。ぷらら・神奈川県・光さんがパクリの誤解を心配なさるのであれば、白鳥氏にメールなどで直接お話しし当該箇所の訂正をお願いしてみてはいかがでしょうか。今後も白鳥氏の記述を参考にした同様の記述が他の研究者や一般人によって論文やネット上に書かれる可能性がありますので。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]
  • 質問4:記事「龍尾寺」の2016年10月5日 (水) 05:52 (UTC) の版に掲載されている龍尾寺の縁起について、この出典として示し得る、内容が完全に一致している書籍や史料をご教示下さい。なお「完全に一致」とは文章のことではなく要素(聖武天皇の時代、龍閣寺の釈命上人、印旛沼の真ん中の船上で雨乞いの祈祷、沼の主の龍神による降雨と龍神への罰、龍の死体を納めた場所、など)です。ぷらら・神奈川県・光さんは、これらの要素を含む龍尾寺の、昔話ではなく寺の縁起の出典となる文献にお心当たりがあるのですか?(なお、当方はネット検索では見つけられませんでしたし、当方が出向ける図書館には千葉県に関する資料は多くはありません)--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
    • ご回答4:何故そのようなことを仰るのか、理解に苦しみます。勿論この件に関して、私は何の情報も持ち合わせておりません。--223.218.136.5 2016年11月14日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
      • ご回答へのコメント:この質問は、ぷらら・神奈川県・光さんが上で書かれた「龍尾寺の縁起については、完全一致する出典がウェブで見つからないとし、...理解に苦しみます。」という文章に対するものです。当方がウェブで出典を見つけられないことが理解しがたいと仰るからには、ぷらら・神奈川県・光さんは出典となりうるウェブにお心当たりがあったのだろうと考えたのです。しかしぷらら・神奈川県・光さんも出典をご存じなかったのですね。現在は理解できておられると存じます。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]
  • 質問5:ぷらら・神奈川県・光さんは『佐倉風土記』の内容を確認しながら加筆編集をなさったようですが、確認のときに実際にぷらら・神奈川県・光さんが参照した資料は何ですか?(参考までに、国立国会図書館サーチでの「佐倉風土記」の検索結果のリンクをお示ししますがこの中にはございますか? あるいは他の資料ですか?)--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
    • ご回答5:質問の意味がわかりません。龍角寺に記載の『佐倉風土記』のことでしたら、編集した際の「編集内容の要約」に記載した通りです。なお、龍角寺の現在の版の『佐倉風土記』の原文は、高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」103-104頁に記載のもの、そのままです。--223.218.136.5 2016年11月14日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
      • ご回答へのコメント:この質問は、ぷらら・神奈川県・光さんが上で書かれた「佐倉風土記の書誌情報が不明なことを問題にするのも理解に苦しみます。」という文章に対するものです。当方は『佐倉風土記』を出典に加筆した編集者(あるいは検証ができる編集者)に、加筆・検証時に実際に参照した『佐倉風土記』の書誌情報を示して戴くために、「龍角寺」の2016年10月1日 (土) 12:28 (UTC) の編集(差分)にて{{full}}を貼り付けたのです。すなわち、国立国会図書館サーチでの『佐倉風土記』の検索結果に出てくる文献なり、ぷらら・神奈川県・光さんが参照した高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」などの二次資料なりをお示しいただきたいという意図によるものです。ですから、ぷらら・神奈川県・光さんが高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」をお示し戴いたことで{{full}}は不要となりました。ありがとうございました。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

質問は以上です。数が多く恐縮ですが、ご回答、宜しくお願い致します。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

ぷらら・神奈川県・光さんからご回答を戴きましたが、ご回答3について不適切な回答となっておりましたので、再度回答欄を設けさせて戴きました。今一度ご回答をお願い致します。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

質疑応答における「ご回答1」への反論[編集]

2016年11月14日 (月) 13:25 (UTC) の版(差分)にてぷらら・神奈川県・光さんから戴いたご回答1につきましては、当方からの質問にかけ離れた内容でしたので、その場ではコメントを控えさせて戴きました。間が空いてしまいましたが反論させて戴きます。以下、斜体はぷらら・神奈川県・光さんからのご回答です。

  • Æskjaさんは、龍尾寺の記事の「縁起」の前半部分を匝瑳市のホームページに拠り、後半を井上孝夫「下総地域における龍神信仰」に記載の縁起に拠った私の編集を非難している
  • Æskjaさんも龍角寺に伝わる伝説を栄町のホームページに拠りながら、龍尾寺については、高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」に拠っており
  • 龍角寺を栄町のホームページとするなら、龍尾寺も匝瑳市のホームページとすべきであり、
  • 同じことをしているということを指摘させていただきます。
    • 当方がぷらら・神奈川県・光さんと同じくインチキを承知の上で面白い、楽しいという観点を優先させてWikipedia:投稿ブロックの方針#虚偽内容の記載にあたりかねない編集をしていることを客観的に証明できる編集の差分をURLでお示し下さい。
  • どちらも、高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」に拠るべきで、
    • 記事を手をかけた順に編集し、出典を見つけた順につけていきました。後から高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」が出てきたからといって、すでに出典がついているところにそれを必ず、そしてすぐに追加しなければならないのでしょうか。
  • 高橋莞爾「印旛沼の龍伝説に学ぶ」の龍尾寺の伝説は、ここには記載する必要性は特に感じません。
  • Æskjaさんのなされておられることはダブルスタンダードであり
    • 仮に当方がダブルスタンダードであるとして、そのために問題が起きていることを客観的に示すことのできる編集の差分のURLをお示し下さい。
  • 少なくともこれによって結果的に信憑性を疑わせることになっている
    • 地方自治体のホームページや論文を出典として添えて書かれた文章が、どのように信憑性を疑われるのでしょうか。

ぷらら・神奈川県・光さんがご回答を記載する欄は設けませんが、仰りたいことがありましたら当方のコメントの後や新しい節、あるいは「Wikipedia:コメント依頼/223.218.136.5ほか(ぷらら・神奈川県・光)#被依頼者コメント」に記載なさって下さい。ですが、書かれる前に、ご自身のこれまでの編集姿勢についてよくお考え下さい。現実世界では同様の振る舞いはなさっていないはずです。--Æskja会話2016年11月26日 (土) 10:20 (UTC)[返信]

四條畷市の龍尾寺の伝承に関して[編集]

ぷらら・神奈川県・光さんは、記事「龍尾寺」の2016年9月22日 (木) 23:36 (UTC) の版(差分) の要約欄に、歴史の古い龍尾寺の記事でレベルに差のある四條畷市の龍尾寺に言及するのは不適当であるという趣旨の意見を書かれました。その後ぷらら・神奈川県・光さんは、「ノート:印旛沼の竜伝承」の2016年9月23日 (金) 22:14 (UTC) での編集(差分)で、この時点では「龍尾寺」を編集していない私Æskjaに、四條畷市の龍尾寺の記述の問題点を説明なさりました。ぷらら・神奈川県・光さんがなぜ、「ノート:龍尾寺」ではなく「ノート:印旛沼の竜伝承」で、匝瑳市・四條畷市のいずれの龍尾寺の編集もしてない当方にこういったお話をなさるのか、意図がわかりかねました。しかし当方は、ぷらら・神奈川県・光さんが当方に記事の修正を依頼なさったのだと解釈して、「龍尾寺」の2016年10月5日 (水) 13:35 (UTC) の編集(差分)で四條畷市の龍尾寺の記述に補足説明や出典を追加する修正を致しました。

その後ぷらら・神奈川県・光さんは「利用者‐会話:Æskja#龍尾寺の記事について」の2016年10月6日 (木) 08:12 (UTC) の版(差分)にて、「龍尾寺」は匝瑳市の龍尾寺の記事であるのに四條畷市の龍尾寺の情報があるのは「野暮」だといった指摘をなさいました。当方には特に関心のない、龍尾寺や関連する寺院の創建年などのお話を延々と書かれたので閉口しましたものの、四條畷市の龍尾寺の記述は竜伝承に関連していたため、当方は寺院の記事から(「龍尾寺」の差分)伝承の記事に(「印旛沼の竜伝承」の差分)転記する修正を行いました。(なお、この編集はWikipedia:分割提案#項目一部転記にあたるため事前に合意形成の手続きが必要でしたが、当方の不注意で怠ってしまいました。この場にてお詫び申し上げます。)[返信]

ところがぷらら・神奈川県・光さんは、当方の2度にわたる修正がお気に召さなかったご様子で、記事「印旛沼の竜伝承」から四條畷市の龍尾寺の記述を除去する編集を3度(1回目2回目3回目)にわたって行われました。この編集の直前、ぷらら・神奈川県・光さんは「ノート:印旛沼の竜伝承」の2016年11月10日 (木) 07:10 (UTC) の版(差分)にて、「Æskjaが四條畷市の龍尾寺について熱心である」とし、これを「腑に落ちない」と書かれています。もしかしたらぷらら・神奈川県・光さんは、四條畷市の龍尾寺の記述に関して私Æskjaに2度にわたって改善を求めるようなコメントをご自分がなさったことを、お忘れになっているのでしょうか? 四條畷市の龍尾寺への指摘に対処しただけなのに指摘した方から「腑に落ちない」と言われ、ネットで検索して得られた情報で不十分ながらも記述を修正しただけなのに「熱心」と言われたのは、正直申し上げて非常に心外です。ぷらら・神奈川県・光さんにおかれましては、ご自身の言動が他者をこのように振り回したことをよく反省なさり、同様の言動を今後は(ウィキペディアだけでなく現実世界でも)なさらないように気を付けて戴けますよう、お願いを申し上げます。--Æskja会話2016年12月4日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

ぷらら・神奈川県・光による編集について[編集]

見出しを追加しました。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

(インデント戻す)分割提案なしで記事を分割することはできませんので差し戻しました--Fusianasan1350会話2016年11月10日 (木) 08:14 (UTC)[返信]

了解しました。それでは、単純に書き直しということにしたいと思います。なお「類似する伝承」を上げるのは、上記の趣旨で、不要と考えます。四條畷の竜伝承日本の竜の処置については、お任せします。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 09:17 (UTC)[返信]
  • 今度は記述を全部エッセイに差し替えましたか…。こういう編集は「記事の破壊」に当たり投稿ブロックされる場合もあります。wikipediaはあなたの考える竜伝説エッセイ文の投稿サイトではないのです。--Fusianasan1350会話2016年11月10日 (木) 09:24 (UTC)[返信]
あのですね、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」や、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」といったそれなりのお方の文献を出典にして、編集しているわけで、それがどうして問題になるのかわかりません。白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」と、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」をご覧になることはできるわけですから、良くご覧になってください。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 09:31 (UTC)[返信]
エッセイ風ともうしますが、元々龍角寺龍尾寺の縁起による伝説が書いてあったのを、個々の寺に伝わる伝説についてはそれぞれの寺の記事にありますので、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」が引いている『房総の伝説』の「印旛沼の主」と『房総の民話』の「雨を降らせた竜」の伝説に変えただけです。また、「この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。」のタグが貼ってあったので、出典を元に、脚注を追加して、記事の信頼性向上を図っただけです。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 09:45 (UTC)[返信]
30分ほど待ちましたが、お返事がありませんので、差し戻させていただきます。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 10:16 (UTC)[返信]

wikipediaが「ぼくのかんがえた竜伝説物語」の投稿の場でないことがご理解いただけないようでしたら、もうこれ以上の編集はご遠慮いただかなくてはなりません。一度他の記事をよくご覧になってください。物語調の記事がその中にいくつあるでしょうか?--Fusianasan1350会話2016年11月10日 (木) 12:46 (UTC)[返信]

まず言いたいのは、出典として元々上げられていた、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」と、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」といった文献情報を使い書き直した。ということです。伝説については、元々龍角寺龍尾寺の縁起による伝説が書いてあったのですが、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」が『房総の伝説』の「印旛沼の主」を引いていますので、それと整合を取るということで、入れ替えたということです。元々この記事には伝説が書いてあったのです。それを出典は全て文献なり書籍なりにして、信頼性を上げたということで、伝説についても出典を示してあり、「ぼくのかんがえた竜伝説物語」ではありません。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 12:57 (UTC)[返信]
もう一度いわしてもらいますが、記事を書き直すまえにここに書いたように、「せっかく、白鳥孝治「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」や、井上孝夫「下総地域における龍神信仰」といった文献がみつかったのですから、活かさないという法はないわけで、これに基づいて書き直させていただきます」ということです。また、「一度他の記事をよくご覧になってください。物語調の記事がその中にいくつあるでしょうか?」ということですが、他の記事はいざ知らず、この記事は物語調になっています。伝説を扱っているのですから、しょうがないのではないでしょうか?--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
  • 仰っている言葉の意味がわかりません。新しい文献が見つかったらそれまでの記述(14箇所に出典付き)を完全に書き換えなければならないのでしょうか。それからどう頑張っても(努力しているのかもお返事を見る限り怪しいですが)物語調の文章にしかならないのであれば、やはりあなたの文章はwikipediaには向いていないのかもしれません。--Fusianasan1350会話2016年11月10日 (木) 15:30 (UTC)[返信]
  • ちなみに、このノートの上部にある223.218.130.29はあなたのIPアドレスでしょうか。--Fusianasan1350会話2016年11月10日 (木) 15:31 (UTC)[返信]
はい 223.218.130.29 と同一人物です。それで、その時は、Æskjaさんの編集に納得したのですが、今になって見ると納得できなくなったいうことで、その理由は縷々述べております。私の言いたいのは、書き直した記事の「解説」の方なのですが、「伝説」についても、このこの記事は「印旛沼の竜伝承」についてであり、「日本の伝承」と「千葉県の民話」のカテゴリーが付けられているのですから、『房総の伝説』と『房総の民話』の当該記事を出典とすることで何ら問題はないはずです。伝説や民話ですから、物語調になるのは当然だと思うのですが?--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 21:50 (UTC)[返信]
追加します。「新しい文献が見つかったら」というのは誤解です。Æskjaさんの編集はこれらの文献を上げての編集です。つまり、これらの文献を上げながら、実際にはその文献の趣旨が活かされていないと思ってのことです。--223.218.136.5 2016年11月10日 (木) 22:02 (UTC)[返信]

質疑応答[編集]

(インデントを戻します)私Æskjaからぷらら・神奈川県・光さん(IPアドレスが変わるようですので、223.218.136.5さんでなくこのように呼ばせて戴きます)へ質問させて戴きます。はい・いいえ程度の簡単なご回答で差し支えございませんが、お手数でも回答ごとにご署名を戴けますとありがたく思います。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC) [返信]

質問は以上です。ご回答、宜しくお願い致します。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

らんたんによる編集について[編集]

上の節でぷらら・神奈川県・光さんが書かれた「「見沼の竜伝承群と比べて物語りの筋はおおむね決まっている。」と書いてありました。」以降のコメントについて、記事「印旛沼の竜伝承」を加筆修正しました私Æskjaからコメントさせて戴きます。

見沼の竜に関する記述は、記事を立項された利用者:らんたん会話 / 投稿記録 / 記録さん(現在ウィキブレイク中)によるものです。当方はらんたんさんが手がけた記事を修正し回っておりますが、昨年秋に、ともにらんたんさんが立項なさった「印旛沼の竜伝承」と「見沼の竜伝承」をほぼ同時期に修正しております。当方は日本の竜に関する資料も知識もなかったため、文章のおかしい所の修正や参考文献・サイト情報の整備など、ごく簡単な修正しかできませんでした。この時当方は、記事「印旛沼の竜伝承」に「見沼の竜伝承群と比べて物語りの筋はおおむね決まっている。」とあるのを見ましたが、「見沼の竜伝承」が干拓工事に関わるものから釘付けの竜・開かずの門・弁天伝説・生け贄・人助けなどさまざまな種類の物語を含んでいるのに対し、「印旛沼の竜伝承」は旱魃時に雨を降らせて殺される竜という筋がおおむね決まっているようでしたので、その通りだと考えて除去しないでしまいました。

今回ぷらら・神奈川県・光さんからのご指摘があり、もう一度記事の修正に取りかかって、この部分がらんたんさんの編集によく見られる「参考文献だけを出典にして加筆すると著作権侵害になるので加筆した」、ご自身で考えた文章だろうと気付いたので除去した次第です。らんたんさんによる別の記事「托鉢僧と七つの頭を持つ竜」の2012年10月26日 (金) 03:03 (UTC) の版にある「補説」の節にはこの傾向がよく出ていると思います。『世界の龍の話』だけを参考文献にしては著作権侵害になるからと他の書籍も持ってこられ、それだけでも著作権侵害になるからとご自分で「リアル」云々の解説を書かれています。記事「印旛沼の竜伝承」で奈良県の竜や見沼の竜について書かれた理由も同じでしょう。ここに千葉県と埼玉県の伝説を比較し評価する意図はありません。

らんたんさんは2011年10月31日 (月) 03:26 (UTC) に「見沼の竜伝承」を立項され、数日後の2011年11月9日 (水) 12:12‎ (UTC) に「印旛沼の竜伝承」を立項された際に、おそらくは、ふと「見沼の竜伝承」での物語のバリエーションの多さを思い出し、伝承には相互の関係はなかったにもかかわらず「「見沼の竜伝承群と比べて物語りの筋はおおむね決まっている。」と書かれた(文献にないオリジナルの文章も書かないと著作権侵害になるから)だろうと推定しています。当方も、4年後にその文章を見たときに「確かに物語のバリエーションが少ないようだから」と考え、安易な判断で文章を残してしまいました。これは当方の落ち度です。

ところで、ぷらら・神奈川県・光さんのコメントについては疑問を感じております。なぜ、ぷらら・神奈川県・光さんは「見沼の竜伝承群と比べて物語りの筋はおおむね決まっている。」を無礼だと感じられたのでしょうか? --いったい、多くの人が「これは無礼だ」と感じるのはどういった状況でしょうか? この場合、印旛沼の竜自身、あるいは伝承を伝える寺の関係者や檀家、この民話の出版に関わった人物、など、直接の不利益を被る立場でなければ「無礼だ」と怒ることはないのではないでしょうか(しかも特に不利益などなさそうな、物語のバリエーションの多い少ないに関する言わばトリビアで)。もしぷらら・神奈川県・光さんが例示した立場(もちろん竜自身は除きます)でもないのに無礼だと感じられたのであれば、それは当方には(恐らく多くの人にも)とても理解できない感覚です。また、仮に例示の立場であったとすれば、ぷらら・神奈川県・光さんによる「印旛沼の竜伝承」や関連する寺での編集は宣伝目的(ウィキペディアの目的外利用)の可能性も出てくるのではないでしょうか。

最後に、ぷらら・神奈川県・光さんに一言非難を申し上げます。「印旛沼の竜伝承」の2016年9月22日 (木) 23:45 (UTC) の編集(差分)にてぷらら・神奈川県・光さんは埼玉県を中傷する文言(撤回済み)を書かれましたが、問題の記述は放置しておかれました。この怠慢を、強く非難させていただきます。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

コメント依頼提出のお知らせ[編集]

このノートおよび記事「印旛沼の竜伝承」を編集しておられるIP:223.218.130.29会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois、IP:223.218.136.5会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisぷらら・神奈川県・光さん)の編集姿勢に関する「Wikipedia:コメント依頼/223.218.136.5ほか(ぷらら・神奈川県・光)」を提出致しましたので告知致します。223.218.136.5さんへの当方からのご返事は近日中にコメント依頼のページにて差し上げます。--Æskja会話2016年11月11日 (金) 15:50 (UTC)[返信]

ぷらら・神奈川県・光さんへのご返事はコメント依頼のページにてとお話ししましたが、こちらのページに「質問」という形で書かせて戴きました。ぷらら・神奈川県・光さんにはお手数でも質問へのご回答を重ねてお願い申し上げます。--Æskja会話2016年11月12日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/223.218.136.5ほか(ぷらら・神奈川県・光)」をクローズ致しましたのでご報告致します。--Æskja会話2016年12月24日 (土) 12:08 (UTC)[返信]

今後の編集の方向性[編集]

私Æskjaは、印旛沼の竜伝承に類似した他の伝承も見つけ、これを加筆すると主たる印旛沼の伝承の分量を他地域の伝承の分量がオーバーしてしまうことから記事を分割しようと考えておりました。そしてインド神話関係の編集に夢中になっている間に、ぷらら・神奈川県・光さんによる不適切な手順での分割とこのノートページへの説明がなされました。ぷらら・神奈川県・光さんによる説明を読ませて戴きましたが、正直申し上げて「千葉県より良い・古い・偉い・大きい・多い(等々)ものは許せない」と言わんばかりの主張だと当方には感じられました。このような説明では、ぷらら・神奈川県・光さんから分割提案があったとしても当方は応じませんでした。当方は利用者‐会話:Æskjaにてぷらら・神奈川県・光さんに「「印旛沼の竜伝承」は昔話の記事です。寺そのものの歴史の古さや建立した人物の地位などの基準で比較しての批判や編集はなさらないようにお願い致します。」とお話ししていましたが、聞き入れて戴けなかったということです。残念に思います。--Æskja会話2016年11月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

私の方は、これ以上係ることはいたしません。後はお好きに願います。--223.218.136.5 2016年11月20日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
本日、「印旛沼の竜伝承」から奈良県・大阪府の伝承と今昔物語集の物語を「雨を降らせて殺された竜」に分割する手続きを行いました。現在、記事には千葉県の伝承に関する記述しかありません。ここに「雨を降らせて殺された竜」へのリンクを追加したり他地域の伝承や古典への言及を加筆したりすることをお考えの方は、このノートでの議論をご留意の上で編集して下さるようお願い致します。--Æskja会話2016年12月24日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

2016年12月4日 (日) 11:13 (UTC)現在「Wikipedia:削除依頼/印旛沼の竜伝承」を審議中ですが、前節でもお話ししているように、「印旛沼の竜伝承」の「類似する伝承」の節の分量がすでに主たる印旛沼の竜伝承の分量に迫っていることから、「類似する伝承」の節を新しい記事に分割することを提案致します。新しい記事の名称は、昔話の類型を同じくする複数の地域や文献の伝承を扱うことから類型を表すものと致したく、書籍『瓜と龍蛇』網野善彦、大西広、佐竹昭広編、福音館書店〈いまは昔 むかしは今 第1巻〉、1989年6月、ISBN 978-4-8340-0150-1の、今昔物語集の話の現代語訳「雨を降らせて殺された龍の話」(仲倉眉子・大意)の題名に基づく「雨を降らせて殺された竜」を提案致します。分割後、愛知県真清田神社に伝わる空海(弘法大師)と茅草の竜の伝承などの追加と全体的な加筆を行う予定です。削除依頼での審議の結果、2016年10月7日 (金) 14:09 (UTC) の版が最後になるか、問題のある版が版指定削除となって2016年12月4日 (日) 11:07 (UTC) の版が最後になるかわかりませんが、版の内容は同じですので、いずれかの版からの分割となります。1週間程度ご意見をお待ちしますが、その前に削除依頼が決着しその時点で反対意見がなければ、ただちに分割に取りかかりたく存じます。 何しろ、ぷらら・神奈川県・光さんから、歴史の古い千葉県の寺院の伝承を後からできた奈良県や大阪府の寺院の伝承と同レベルで扱うのは不適当今昔物語集と似ていると書けば千葉県の伝承がそのパクリだとの誤解を受けかねない、Æskjaは千葉県の伝承をつまらないものだと考えている、といった苦情を戴いておりますので。ここまで言われてもなお掲載する義理はありませんから別記事に移させて戴きます。四條畷市の伝承は2度目の移動になります(参照:ノート:印旛沼の竜伝承#四條畷市の龍尾寺の伝承に関して)。--Æskja会話2016年12月4日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

コメント記事名や「類似の話がほかにもある」という筋書きに下敷きとなる文献があるのなら良いと思います。ただ、その文献の外から、「雨を降らせて殺された竜といえばこんなのもあるよ」といって、あちこちの情報をウィキペディアンが独自に収集する、というような格好にはならないようにしてほしいと思います。一般論として、雨、洪水、水域、竜というのはあちこちでしょっちゅう結び付けられていて、似たような話はかなりあるはずです。--柒月例祭会話2016年12月4日 (日) 12:48 (UTC)[返信]

柒月例祭さん、こんばんは。印旛沼の竜伝承を扱った論文で奈良県や今昔物語集などとの類似が指摘されているのですが、IP利用者の方(ぷらら・神奈川県・光さん)からは上で書いたようなご意見を戴いております。当方が最近入手した資料では西日本の同様の伝承(愛知県の神社や古文書も含めて)の相互の類似が指摘されておりましたが、印旛沼の伝承は扱われておりませんでした。この資料に沿って新記事を作る予定です。手順に問題はあろうと存じますが、まずは一旦記事を作り、この伝承まで含めば独自研究の域だと判断されたら分割や他記事への転記を致したく考えております。--Æskja会話2016年12月4日 (日) 13:10 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/印旛沼の竜伝承」がまだ審議中ですが、印旛沼の竜伝承#類似する伝承の節と参考文献を転記して新記事「雨を降らせて殺された竜」を作成致しました。新記事の要約欄には「印旛沼の竜伝承 2016年10月7日 (金) 14:09 (UTC) より一部転記」と記載しています。審議の結果ではこの次の版以降が削除される可能性があるためです。削除依頼の審議が終了した後、類似する伝承の節を除去し、その際に要約欄に「雨を降らせて殺された竜 2016年12月11日 (日) 12:02‎ (UTC) へ一部転記」と記載する予定です。--Æskja会話2016年12月11日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/印旛沼の竜伝承」の審議が終了致しましたので、先ほど「印旛沼の竜伝承」における記事分割の手続きを行いましたので報告致します。--Æskja会話2016年12月24日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

保護依頼の取り下げと削除依頼の提出のお知らせ[編集]

記事「印旛沼の竜伝承」で不適切な編集を行われたIP:223.218.136.5会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんから、前節において記事の編集に関わらない旨のお話がありました。そのため、 2016年11月10日 (木) 12:48‎ (UTC) にFusianasan1350さんが提出して下さった保護依頼は取り下げさせて戴きましたのでお知らせ致します。Fusianasan1350さんには不適切な編集に対し素早く的確な対応をして戴きましたこと、遅ればせながらお礼申し上げます。[返信]

また、IP:223.218.136.5会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんによる2016年11月10日 (木) 07:18 (UTC) の編集(差分)2016年11月10日 (木) 09:19 (UTC) の編集(差分)2016年11月10日 (木) 10:17 (UTC) の編集(差分)で加筆された内容に、外部サイトに掲載された論文、論文「下総地域における龍神信仰」と「印旛沼物語 第3章 印旛沼周辺の古代文化」の文章の稚拙な改変が含まれていました。そのため、「Wikipedia:削除依頼/印旛沼の竜伝承」を提出しましたのでお知らせ致します。--Æskja会話2016年11月21日 (月) 13:10 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/印旛沼の竜伝承」の審議が終了し、問題のある版が版指定削除となりましたので報告致します。--Æskja会話2016年12月24日 (土) 10:21 (UTC)[返信]