ノート:千葉県立津田沼高等学校

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

生物部、地学部の廃部時期について正確な年度をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。あと、最近ウエートリフティング部の消息が途絶えてますが、近年の活動状況はどうなっているのでしょう。活動停止したのでしょうか。--ウミユスリカ 2005年11月3日 (木) 03:07 (UTC)[返信]

11月26日の編集で生物部、地学部の扱いが「廃部となった」から「部員が集まらなくなった」に改変されましたが、学校HPにおいては部が存続しているように記されながら、実際には既に廃部になっているという情報を最近後輩から得ております。再度この二つの部活動が復活したという確実な情報がなければ、廃部という記述に戻したいと思うのですが、いかがでしょう?--ウミユスリカ 2006年11月27日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

部活動の廃部について[編集]

部活動の廃部と事実上活動していないのは規定上区別されます。津田沼高校の規定では、2年間部員のいない部活動は同好会に降格、さらに2年部員がいない場合に廃部となります。しかし、規定年数がたてば自動的に降格、廃部になるのではなく、評議会および職員会議への発議および議決が必要になります。ウェイトリフテイング部は前述の手続きにより正式に廃部となりましたが、地学部、生物部(正確には生物同好会)は現在まで手続きがとられていませんので、部、同好会は存続しています。顧問もついており、新入生歓迎会のパンフにも掲載されています。ただ、部員がいないだけです。

なるほど。ただ、ひとつ疑問があります。私の在学中は、生物部は生物同好会ではなく、正式に「生物部」でした(現に私が部員でした)。ということは、かつての生物部から今日の(部員のいない)生物同好会への変遷の過程で、旧生物部はいったん廃部になっているのではないでしょうか?それとも、廃部を経ずに、部から同好会に改称しているということでしょうか?--ウミユスリカ 2006年12月10日 (日) 17:06 (UTC)[返信]

生物部は2年間部員がいなかったため、前述の手続きがとられ同好会に「降格」になりました。したがって「部」としては「廃部」かもしれませんが、「同好会」としては存続しています。同好会になると生徒会予算が支給されなくなります。 顧問もいます、が、部員(正確には「会員」)がいないだけです。

状況が把握できました。ありがとうございました。それにしても、谷津干潟というあれほどのフィールドを抱えた生物部が、10年前から空集合状態というのも、かつての活発だった時代を知っているだけに隔世の感があります。--ウミユスリカ 2006年12月12日 (火) 07:24 (UTC)[返信]

現在、生物同好会に会員がいることが判明しましたので、生物部に部員がいないという部分は削除しました。ちなみに人数は1年生3人です。

校歌に関して[編集]

校歌に関して「ただし1990年代までは、実際には1番と3番のみが歌われることが多かった。2番の一節に『嗚呼 わが愛の楽園』とあり、特に学校外で校歌斉唱が行われる場面で、教員が歌わせることを是としないと判断した場合には省略されるためである。」との記述がなされていますが。小生の在学した1982年度から1984年度の3年間、および教育実習生として教壇に立った1990年の夏のいずれでも、2番が省略される場面に出会った記憶がありませんし、「愛の楽園」云々の下りが生徒間や教師に問題視されたケースを見聞きした記憶がありません。具体的に、いつそういう場面があったのでしょうか?--ウミユスリカ 2007年5月13日 (日) 05:17 (UTC)[返信]

  • 92年入学の15期生です。校外で2番を歌ったことはほとんどありません。校内で省略されたことは滅多にありませんでしたが、学校外の目があるところ(高校野球大会の予選など)では、ほとんど「2番省略」という措置でした。 --222.225.115.28 2007年9月30日 (日) 16:33 (UTC)[返信]