ノート:加藤文

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[1]のコピペです。Mishika 2004年6月29日 (火) 07:39 (UTC)[返信]

初版と比べてみました。

投稿された文章中、類似が見られるのはプロフィールの部分で、個別作品の特徴を述べた部分は外部ページには見当たらないので、プロフィール部分を比較してみます。

転載の有無

  • プロフィールは加藤文さんのサイトにあるもので、著作権者ご本人による投稿である可能性もあると思います。
  • 特殊記号の使い方などは同じです。
  • 改行位置は異なっています。
  • 事実の選択、配列、表現については、選択のみ若干違っています。具体的には、大学入学以前についての部分です。
  • 外部ページになくて投稿された文章中にある事実、というのはプロフィール部分についてはないようです。ただ、投稿された文章全体としてみれば、外部ページにはない事実を多く含んでいる(具体的には個別作品の説明)ため、外部ページのみに依拠して作成された文章とは言えないでしょう。

以上から、ご本人の投稿でない場合には、外部ページを元に作成した可能性は十分考えられますが、あるいは問い合わせをしてみるのもよいのではないかと思いました。

無断利用であった場合の著作権侵害の有無について

  • 結果として、投稿された文章はより「学歴・職歴」といったものに近いプロフィールになっていて、本人の生い立ちについての情報が省略されている、と言えるように思います。作品リスト部分は、年度、タイトル、出版社の3つの情報がその順に並んでおり、作品の発行年順になっています。この点については、創作性は認められないように思いました。また、冒頭の、出生、学歴部分も同様です。
    • ただ、作家である以外に何か目だった活躍をしているとか、小説以外に文章を書いているとかいうことになると、(そうであるかどうか、僕は知らないのですが)作家としての加藤文を強調するという面があることになり、その分だけ「思想の表現」に相当する部分が増すかと思います。
  • 出生と作品リスト部分を除くと、残るのは職業についての説明です。この経歴を重要と見るかどうかは恐らく人によって違ってくるところでしょうから、やはり多少は思想の表現になっている部分があると思います。
    • ただ、これは個性の発露と呼べるほどのものがなく、作家として活動する以前の職業が何であったかについて説明するのは非常にありふれた発想であって著作権でそこまで保護されることはないのではないか、という気もします。
    • と同時に、特に独創的な思想ではないかも知れませんが、著作性は独創性や新規性などとは関係ないという論を見ますので、やはり問題かも知れません。
    • 更に、単に職業をとりあげているというだけではなくて、その職業がどのようなものであったかについての表現が一字一句同じであるという点(事実の選択だけでなく表現も同じ)についても、一応侵害の可能性が考えられるかと思います。

以上を総合すると、侵害ではないか、非常にささやかなものである可能性はありますが、同時に侵害の可能性がありえないとは断言できないように思いました。僕に背景知識が不足しているせいもありますが、判断の難しいケースのように思いました。

とりあえずご本人からの投稿であるかも含め外部サイトの制作者の方にお問い合わせをしてみようかと思います。

これ以上何も議論が進展しない、新たな情報などが明らかにならない、というようなことであれば、あるいは念のために削除という方がよいかも知れません。

Tomos 2004年6月30日 (水) 03:30 (UTC)[返信]

先ほどお問い合わせのメールをお送りしました。Tomos 2004年7月2日 (金) 04:51 (UTC)[返信]

大変丁寧なお返事を頂きました。[2]投稿者の方、およびその他の読者の方を通じて既にこの件をご存知だったそうです。GFDLやWikipedia:著作権についてご紹介し、商業利用や改変などもありうるという点もご説明差し上げましたが、プロフィールの著作権を放棄することはないが、改変などについては異論がないということです。

そこで、このページを削除する必要はないのではないか(投稿された文章の著作権が放棄されていないことには問題はありませんし)と思いましたがいかがでしょうか。

Tomos 2004年7月2日 (金) 05:56 (UTC)[返信]

賛成も反対もないようですが、とりあえず著作権侵害の可能性のお知らせから普通の記事に戻しておきました。Tomos 2004年7月3日 (土) 01:26 (UTC)[返信]