ノート:八甲田雪中行軍遭難事件

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

日本陸軍について[編集]

文中の「日本陸軍」は「大日本帝国陸軍」もしくは、「旧日本陸軍」とした方がよろしくはないでしょうか?日本陸軍が正しいとも思いますが。--FUBUKI 2008年1月17日 (木) 07:06 (UTC)[返信]

旧日本軍が適切だと思います--Haruto20110905会話2024年3月15日 (金) 10:22 (UTC)[返信]

日本陸軍で良いんじゃないでしょうか。大日本帝国陸軍では冗長ですし、旧をつけずとも、大日本帝国陸軍の項目からすると、日本陸軍で適当かと思います。--Re-れな 2009年2月15日 (日) 17:09 (UTC)[返信]

記事の問題[編集]

はっきり言って、現状の記事は、構成も内容も不適切で、このトピックに関する知識の習得が不可能です。(実際のところ、基礎知識ゼロ、これについて知りたくてこのページを読もうとした私は、直ぐに読むのを断念しました。。。)真面目に読もうとすればするほど、出だしから「ぜんぶで何部隊いたのか?」「2ルートあったの?同時にスタートしたの?」「訓練の全容がどうなっていて、事件に係わったのはそのうちのどれで、誰がどう被害にあったのか?」「第5連隊第2大隊って、訓練に参加した第5連隊のいちぶなの?ぜんぶなの?」、、、と全くわからない。しかも、内容が解説されるまえから、いきなり後日談的なエピソードから読まされる始末。後半には微細な記述が続くけど、前述の通りその「主語」がそもそも判らないので。誰の話?第5連隊の話?第2大隊の話?なんとかしてください!まずは、「概要」的なセクションが必要だと思いますよ!--Ohbus 2010年6月7日 (月) 22:27 (UTC)[返信]

死亡したのが210名で生存が11名、指揮を執ったのが中隊長より中隊#歩兵連隊の中隊が136名(明治23年)、大隊を見ると中隊の人員が後に194名になったことがわかります。第5連隊の第2大隊の一部が訓練参加したのでしょう。完全に史実どおりかわかりませんが八甲田山 (映画)によれば第2大隊の第5中隊と大隊本部が参加したようです。--Tiyoringo 2010年6月7日 (月) 23:40 (UTC)[返信]

早速のレス、ありがとうございます。事件の性質上、全てが完全に明らかではないのは仕方がないと思いますが、まずは「事実(事実であろうとされている事項)」が判り易く記載されるとよいとおもいます。--Ohbus 2010年6月8日 (火) 07:33 (UTC)[返信]

Ohbusuさんへ この問題に興味があるなら、まずは、新田次郎著の「八甲田山死の彷徨」を読むことを勧めます。 しかしながら、これは史実を基にしたもので、あくまでも「小説」です。勿論、映画も同様です。 最近、各種ブログや遭難事件直後に発刊された新聞の号外・遭難顛末などが国会図書館で閲覧又はパソコンによる印刷ができます。 真実が知りたかったら、是非、これらを閲覧していただきたいと思います。 ただし、高木勉(福島大尉の甥)著の福島大尉(第31連隊)に関する本は、冒頭で「真実を記す」と述べていながら、結構デタラメ又は思い込みが記されており、注意が必要です。やはり、軍部の圧力がかかる前に発刊された新聞や書籍(明治35年春頃まで)が真実を伝えていると思われます。 --takobo2012/2/12--以上の署名のないコメントは、Takotakosan会話投稿記録)さんが 2012-02-12 14:20 (UTC) に投稿したものです。

記述全般についての意見です。 遭難事件の事実と新田次郎小説の創作部分の差に関する記述が増えている気がします。雪中行軍についてある程度の知識があったり、詳しい人にはすぐ理解できますが、初めて来た人にとっては混乱する可能性もあるのではないでしょうか。両隊が出会う約束、山口大隊長のキャラクターなど差が大きい部分は掲載の必要があると思いますが、細かな点についてはリンク先のページで(新田小説の話は新田小説のページへ、映画の話は映画のページへ、小笠原孤酒の話は小笠原孤酒のページで)詳しく書くのが良いと考え、関連項目の注記をシンプルな形に戻してみました。 --ROCER66 2015年11月15日 (日) 04:12 (UTC)[返信]

第二日目『崖登り』の節について[編集]

>ここで崖を登れず落伍する兵が出てしまった。この行軍における最初の犠牲者であるが、猛吹雪で誰も確認ができなかった。
これ明らかにおかしなことを言ってるんで(『誰も確認ができなかった』なら何故犠牲者が出たと分るのか)、出典があるのだろうかと探したんですが、『遭難始末』や『青森聯隊惨事雪中の行軍』には見当たらないようでした。新田の小説は無視するとして、『吹雪の惨劇』第二部pp.190-192に根拠不明ながら該当記述があるのが悩ましいところです。こっちはもっと凄くて、やはり『この犠牲にはほとんどの者が気付かなかった』のに、何故か人数はおろか氏名までずらずら並べてます。どうも後日鳴沢渓谷内部で発見された遺体か何かの氏名を列挙してそうな感じで、本当にこの時の転落者かどうかは怪しい気がします。
このため該当記述は削除すべきかとも思いましたが、孤酒が書いてることですし、状況的にも転落者が実際に出ていておかしくない。そんな訳で大変悩ましいながら、要出典タグにとどめました。--Caspar会話2015年11月1日 (日) 15:37 (UTC)[返信]

検証性という面で不統一。一部は小笠原孤酒の文章から引用、一部は小笠原孤酒の文章に要出典、という不統一。記録小説の文章に要出典を求めるのは酷。記録小説自体の信用性はジャーナリストが取材に基づいて書きまとめたものだろうから信用性は高い。しかしウィキペディアでは他のページでも記録小説からは引用していない。よって要出典となっている部分はいったん消し、他で検証できるのなら記述を。ラッパ手の下りも同様とした。---洋楽大好き会話2015年12月10日 (木) 00:01 (UTC)[返信]

小笠原孤酒『吹雪の惨劇』の出典引用について[編集]

小笠原孤酒の『吹雪の惨劇』は引用の出典がまったくない小説ですね。しかし、この手の歴史や事件を描いたノンフィクション小説、記録小説といわれるジャンルで最も有名な吉村昭の小説(高熱隧道、漂流、羆嵐・・・)でも引用の出典はまったく無いです。おそらく出典を掲載したら書き切れないくらいの量があるのかもしれません。そして、当時現場で誰が何を喋ったか、それをあなたは横で聞いていたのか?などの疑問もどこかに書かれていましたが取材を重ねた上で、想像で書かれている言葉もあるのでしょう。しかし、これを否定してしまうと、歴史小説も記録小説も成り立ちません。 正確なデータと引用出典だけになると、それは研究書や論文です。小笠原孤酒が小説形式にした理由は知りませんが、より多くの人に事件を知ってもらいために、誰でも手にとりやすく、 興味が湧くような書籍にしたかったのではないかと予想しました。吉村昭でも小笠原孤酒でも、念入りに時間をかけて取材をして構築した小説でしょうから(100%ミスはないとは言い切れませんが)、基本的には信じていいのではないか、と私は思います。JPNTYObot会話) 2015年11月16日 (月) 06:20(UTC)

ここは事典ですので、小説よりは寧ろ学術寄りのスタンスを採るべき場所だと思います。ただ、孤酒は何と言ってもとんでもない質と量の取材を実行した人のようで、19年かけて2,312人に面会し、『遭難始末』の手書き原稿や津川連隊長の進退伺いなどを含む62,506点の資料を集め、7万3千km歩いたそうです。その点についてはあのうるさ方の川口泰英も著書内で絶賛しています。それでもやはり、吹雪の惨劇自体には主にスタイルのせいで単独出典としては利用が難しい憾みがあると思います。実際、川口の検証に依れば、吹雪の惨劇に限らず新田小説や郷土史書などにおいても、孤酒の解釈ミスに由来すると思しき誤りも散見されるようです(「知られざる雪中行軍」pp.62-65や同pp.152-155など参照)。ですので、上の項にも書きました通り、孤酒が書いてるからには何かあるんだろう、でも完全に正しいとは限らないので注意する、が適当ではないかと思います。上で挙げました滑落者の件に付きましても、他の資料が出て来なければ、何れそんな感じで整理しようかと心積もりしています。--Caspar会話2015年11月18日 (水) 09:40 (UTC)[返信]

引用のほかにページ全体への意見を述べます。『ノンフィクション大御所の吉村昭でさえ出典注記はないとの指摘』『小説よりは寧ろ学術寄りのスタンスを採るべき場所』『数万点の資料を元に書いているので信用していい』『完全に正しいとは限らないので注意する』どれもすべて正しいと思われます。一般にWikiで求められているものとは何か?それは誰もがわかりやすく読みやすく初めて見た人でも理解できる辞典であること、専門分野の深い深い重箱の隅をツツくような徹底した議論は個々のサイトや書籍、研究論文等々で論戦の後にココで公開すればいいことと思われます。重箱の隅をツツくような論戦は一般の人にとって100%興味なくページの価値をもオタクレベルに貶めます。もし雪中行軍遭難事件のページがアイドルのページような編集合戦になったりしたら困りものです。それとついでに言わせてもらいますと、松本明知、川口泰英、両氏の書籍はどちらも時間をかけて丁重に研究されたのが読んでいてもわかりとてもすばらしい書籍です。雪中行軍の研究本としては必ず読むべき書籍です。しかし事実の証明への強い気持ちから派生したのでしょうが潔癖性のごとく『重箱の隅をツツくような』な文面はいかがなものかと思われます。同様の酷評がネット上の書評に散見しますので興味がある方は調べられてください。。まさかとは思いますがWikiをそんな論戦の場とされないことを希望します。--115.177.169.208会話) 2015-11-18 11:55 (UTC)


青森第5連隊[編集]

『青森第5連隊は、1月23日に3組の雪中行軍演習を同時に実施しており、』 とありますがこの記事は初めて見ました。数泊して行軍に成功した、と言えば第31連隊ですし、 3組の行軍を隠す必要もないでしょうし。立見第8師団長談話の中の当時行軍した3隊というのは第8師団の中で第5連隊と第31連隊とプラスどこか、または2隊の勘違い、またはこの記事自体の誤りでは?--115.177.169.208(会話) 2015-11-18 12:10 (UTC)

出典注記としまして、国会図書館近代デジタルライブラリの『青森聯隊惨事雪中の行軍』にリンクを張ってありますし、35頁にモロに書いてある話ですので、ブラウザで直にご覧いただけますよ。隠すどころか、事件を受けて立見師団長自身がプレス向けに流した談話ですね。この談話の中では青森連隊の話しかしていませんし、特に疑問の余地は無いと思います。軍が行軍演習するのは単に普通のことなので話題にならなかっただけでしょう。--Caspar会話2015年11月18日 (水) 15:55 (UTC)[返信]

Casparさん、上の方の会話をよく読まれるとそのリンク先の記事自体の誤りではないかという指摘のようです。私も雪中行軍隊が青森だけで三隊もいたことは初めて聞きました。 数泊している隊があったら、成功&失敗という観点から取り上げられるのが自然で 31連隊の話は後年にあがってきているのに青森の他の二隊の話は当時のこの記事だけで 今まで一切話題にもなっていないのは、とても不自然です。これは佐藤陽之助が書いた記事に間違いの可能性があるのではと思いました。師団長の発表を記者が聞き間違えたという可能性も考えられます。記述についても、3隊のうちの1隊に過ぎなかった、というと他にも200人の規模の雪中行軍隊があったのかと思ってしまいます。そして軍が行軍演習するのは単に普通のことなので話題にならなかったということであれば、話題にならなかった程度の細かいことをわざわざ書くのは混乱するだけかとも思いました。いずれにしてもこの下りは話の整合性に欠けると思います。他にどこかの文献で立見師団長の談話がないか調べたのですが見つかりませんでした。--ROCER66 2015年11月19日 (木) 08:50 (UTC)[返信]

談話記事の信憑性を疑う理由は全くないと思います。当事者の師団長の談話と言えば一級の史料な訳で、それを疑うならそれ自体が新説であり、到底ウィキペディアの手に余ります。
ちなみに当時の連隊は、フル編制なら数千人規模ですから、他にも100人単位の演習くらい当然実施可能だったでしょう。川口は、他の2隊というのは例えば第1大隊と第3大隊だったんじゃないかと述べていますね。36頁を見ると複数泊は士官候補生の一行とあるので、もっと小規模だったかも知れませんけど。
まあ、多分そんなことはどうでも良くて、要するにウィキペディアのこの記事に対して該当箇所を足した理由をお尋ねなのだろうと思います。動機としては、要は興味深いからです。雪中行軍は第五連隊にとって当たり前の事だったことがこの談話から分かります。第三十一連隊との行軍競争とかいう特殊なイベントじゃなくて、単に日常演習の一環で、すっかり油断してて露営準備にしても軽く見て、厳寒期の雪山にたった往復一泊の積りで(今から見れば異常な程の)軽装備で出掛けたら、とんでもない大惨事になってしまった。…という当時の衝撃が、この談話から浮き彫りになるように思います。--Caspar会話2015年11月20日 (金) 09:22 (UTC)[返信]

Casparさん、ご教示ありがとうございます。該当箇所を足した理由をお尋ねなのだろうと思いますとの指摘、その通りです。そして、師団長談話を疑っているのではなく、談話を書いた記者の間違い、または勘違いではないかという指摘です。他の2隊についての情報ソースが佐藤陽之助の記事以外は、どこかにあるのでしょうか?「川口は、他の2隊というのは」とありますが、川口さん自体はどこのソースを見たのでしょうか?私は佐藤陽之助の記事が遭難後の4月、時期をかなり置いてから書かれているので、この記者の誤報ではないかと疑っています。199人が遭難した事件の同じ5連隊の話題であれば、他の2隊も同時期に行軍していたことは普通は誰でも興味がありますし、当時の地方紙、全国紙、ゴシップ紙などの記者が他の2隊に興味を持たない理由がありません。記者が成功と失敗を比較するのは自然で、これがごっそり欠けていて、他の2隊の行軍があったと掲載しているのは佐藤陽之助だけで、他の新聞はどこも書いていない。この点が不自然で話の整合性に欠けるという指摘でした。--ROCER66 2015年11月20日 (金) 15:40 (UTC)[返信]

「佐藤の記事」と仰っているのがそもそも誤解です。本のクレジットとして佐藤は著者ではなく編者です。この本自体多数の証言や記事の纏め本ですよね。当然記者は別にいた筈なので、個人レベルの思い込みだの誤記だのと考えるのは無理です。また、佐藤1902の奥付は4月ですが、立見談話の収録本は他にもあり、川口が使っているのは百足登編集『青森聯隊遭難雪中行軍』のpp.71-74です(川口 2001,pp.117-118など)。こっちも参考文献からのリンク先で原書を見れますが、奥付は1902年の2月ですね。立見談話自体は、内容的に1月29日か30日かそこらの時点での話かと思われますから、百足本にしても初出とは限りません。
なお、「他の新聞はどこも書いていない」って物凄いお話ですが、失礼ながらROCER66さんがこの短期間で1902年当時の新聞紙面を全部探し出して調べた訳が無いですし、現に百足本が簡単に出てくるレベルの話ですので、流石にお相手する気になれません。--Caspar会話2015年11月21日 (土) 14:50 (UTC)[返信]

Casparさん、返答ありがとうございました。私は複数隊いたことは整合性に欠けるではないかと言う疑問を提示しました。 Casparさんの回答は的外れです。また無理なようならわざわざ答えていただく必要もないです。しかもなぜキレているのか(笑 「この短期間で1902年当時の新聞紙面を全部探し出して調べた訳が無い」「お相手する気になれません」などのCasparさんの攻撃的な発言、これらは八甲田山雪中行軍遭難事件のノートページの議論において適切な発言であるとは思えません。雑言や毒を吐くなら2ちゃんねるあたりが適当でしょう(笑。「相手にしてられない」とのことですので今後はCasparさんは私に対して回答不要です。 さて、疑問の続きですが第二大隊の雪中行軍隊の中には第一大隊と第三大隊から選抜された小隊がありました。第一、第三大隊も同日に行軍に行ったのであれば、わざわざ第二大隊を混成にする理由がありません。戦闘中ですとこんな編成はめずらしくないらしいですが、演習においては各大隊が行軍をしたのであれば、不思議な編成です。ここでも話の整合性がとれません。元のソースを疑う余地が多い気がします。青森市史の談話が束ねられているページでは立見師団長の談話はなぜか掲載されていません。いま立見師団長の談話が掲載された、ある本を取り寄せています。 --ROCER66 2015年11月24日 (火) 10:35 (UTC)[返信]

ROCER66さんにではなく、根拠もなく推測だけで「他の新聞はどこも書いていない」などと断定する類の論法にお付き合い出来ないと言っているのですが。「第一、第三大隊も同日に行軍に行ったのであれば、わざわざ第二大隊を混成にする理由がありません」これも根拠が弱いというか、特別小隊を混ぜた理由は『遭難始末』p.7にちゃんと出ていますよ。他に2隊あったのは立見談話で明らかですし、その部分は佐藤本でも百足本でも全く同一です。これ以外となると、何と言う本を取り寄せているのですか? 同時代の本であれば、また近代デジタルラブラリにあるかも知れませんが。--Caspar会話2015年11月24日 (火) 16:04 (UTC)[返信]

川口泰英の引用と記事全般について[編集]

ここ八甲田山雪中行軍遭難事件のウィキペディアは読み物としても人気があって、 ネットで検索して見にきた人、北大路欣也+高倉健の八甲田山の映画を見終わった人、 新田次郎の八甲田山を読み終わった人、基本的に初めて見る人が多いと思われ、 ココを経由してさらに様々な書物を読み出すというような入り口になっているウィキペディアの典型的な人気ページではないかと。数年前と比較して、詳細部分も埋まり、詳しくなるのはいいとしても、初めて来た人にとってはあまり興味がないであろう研究結果が追加されているようです。 (青森5連隊とその他の隊の議論など) 川口泰英の著作物から引用が特に抜き出て多くなっているようで、ウィキペディア規定の 『検証可能性』『独自研究は載せない』という決まりに反していませんか。 『少数意見は載せない』という決まりに反していませんか。 川口泰英の本はとてもわかりやすく雪中行軍研究には適した研究本です。 しかし出版元は自費出版を専門に扱う会社のようで、かつ著書の一冊である 「後藤伍長は立っていたか」P194の「泣きが入る」などの項目をはじめとして、 通常の出版であれば編集者が必ず削除するであろう記述もそのまま掲載されています。 このように川口泰英の著作の一部は明らかに自費出版と思われる要素が含まれていて、 これを情報源として独自研究をウィキペディアで発表するのはルール違反になります。 『自主公表された情報源』では著作者が有名かジャーナリストの自主公表は例外ですが 川口泰英はこれに当たりません。 『ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そのため、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません』 私は川口泰英の著作はすべて読んでいますが研究本としてはお勧めしたい。でもウィキペディアのこのページは川口泰英の研究ページではない。また上のCaspar氏の回答も他者を小馬鹿にして自分の研究のみが正しいという川口泰英と同じ文体と内容。少しやり過ぎ感が出てきていると思うのはわたしだけでしょうか。175.179.136.234

--175.179.136.234 2015年11月24日 (火) 08:10(UTC)

それは内容に依るんじゃないでしょうか。川口の本に頼り過ぎるのも微妙かなと私も思いますが、当時の東奥日報、萬朝報や『陸奥の吹雪』『八甲田山麓雪中行軍秘話』などアクセス困難な資料を纏めた二次出典として優れているので、事件記録を辿る上では使えば良いと思います。『遭難始末』や『第五聯隊遭難始末』など、近代デジタルライブラリーで閲覧出来るものはそちらにリンクした方が便利ですね。一方、川口2014のp.194というと、松木-川口の論争周りですか。あの辺は他の方の編集ですが、私も少しアンバランスだと思います。クロロホルム暗殺説とそれに対する反駁の件りは、事件の記録というより事件研究上の論争の記録ですから、整理するか記事を分離した方がいいかも知れませんね。
ところで「Caspar氏の回答も他者を小馬鹿にして」これはまた手厳しいご意見ですが、もし記事というより私個人へのお話でしたら、ここではなく会話ページへどうぞ。--Caspar会話2015年11月24日 (火) 09:53 (UTC)[返信]

175.179.136.234さんの意見に賛成です。「後藤伍長は立っていたか」を読み返してみました。 川口泰英が山口少佐のクロロホルム密殺説をとる弘前大学の松木教授に当てた質問状、それについて書籍の中で川口泰英はこう書いています。(松木教授の回答)「私共夫婦はよく出かけ、留守には90歳の母だけで出火の危険がありますので」(それに対して川口泰英)「夫婦がどこへ行こうと勝手だし、90歳の母親は密殺に無関係だ。留守は自分たちできちんとすればいい。火の用心の当事者の仕事だ。・・・(中略)・・・しばらく考えていたが、これっていわゆる泣きを入れたということではないか」という記述がありました。この記述は八甲田山雪中行軍遭難事件と何の関係があるのでしょう。このような読者を不快にさせるような文章が編集者によって校正されていないのはやはり自費出版なんでしょうね。 自費出版は引用には値しないというのがウィキペディアの規則なので今以上に川口泰英の持論の研究結果や編集が増えるようならばどんどん削除して構わないのではないかと思います。また誤解がないように書きますが、私も川口泰英の研究本は(攻撃的な部分がなければ)素晴らしい本だと思います。でもここは川口さんの持論発表の場でも書籍の宣伝の場でもありません。初心に戻ってシンプルでみなさんが読みやすく、興味が湧くような編集を心がけたいですね。--ROCER66 2015年11月24日 (火) 10:36 (UTC)[返信]

「やはり自費出版なんでしょうね」これも推測であり根拠が無いですねえ。というより資料批判を踏み外して著者と出版社に対する誹謗になっていませんか。クロロホルム暗殺説とその後の論争が、ここに詳細に載ってるのはいまいちかなと私も思いますが、ならば該当箇所を見直せば良い話で、「どんどん削除して構わない」は論理の飛躍ですね。ものによりけりだと思います。因みに自費出版と言えば『吹雪の惨劇』などはモロにアウトになりますね。--Caspar会話2015年11月24日 (火) 16:51 (UTC)[返信]
ルール確認せよ。再度述べる。wikiのルール、「自己の研究結果をのせない。少数意見はのせない。書籍の宣伝に利用しない。引用はその分野の著名者であること。ジャーナリストであること。大手出版社であること」 川口泰英著作の出版元である小野印刷所(北方新社)はwebサイトの記載にもあるが自費出版を取り扱う専門の印刷所。電話で問い合わせたところ、川口泰英著作は自費出版本とのこと。また自費出版の指摘=誹謗、という論理が意味不明。自費で研究を発表するのは素晴らしいこと。しかしwikiで持論を展開したり、公式文書があるにも関わらず、それらをすべて自費出版本からの引用に書き換えるのは宣伝以外の何者でもない。--洋楽大好き会話2016年2月9日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

別人を装ったアカウントにご注意を[編集]

部外者ですが、非常に悪質な行為でありましたので、一言申し上げます。

本記事及びノートに参加していました利用者:ROCER66会話 / 投稿記録 / 記録氏および利用者:JPNTYObot会話 / 投稿記録 / 記録氏について、Ks aka 98氏によりWP:ILLEGIT 複数のアカウントとログインしない投稿の使い分け」を理由とした無期限ブロック措置が行われました[1][2]。付記された理由から、同時期に出現かつ同様のスタンスを持つIP利用者も同一人物であると疑われます。

多重アカウントやIPを利用した多数派工作や、相手を疲弊させる行為は、「Wikipedia:多重アカウント#副アカウントの不適切な使用(多重アカウント使用が禁止される行為)」で明確に禁止されている行為であり、「Wikipedia:投稿ブロックの方針#多重アカウントの不適切な使用」に基づいた投稿ブロック(通常は無期限の)措置対象となります。今後、本ノート等へ参加する際には以上の事をよくお考えになり、方針に則って参加されるようお願いします。--森藍亭会話2015年11月25日 (水) 06:43 (UTC)[返信]

ご報告有難うございます。投稿パターンと内容から、そうではないかと推測はしていました。かの方はその後も同様の行為に出ている可能性がありますので、今後相談をお願いすることもあるかも知れません。--Caspar会話2015年11月26日 (木) 03:22 (UTC)[返信]

Kk38 38さんによる一連の編集について[編集]

さて、この方は多分またROCER66さんの分身と思われますが、アカブロック等は別の話としまして、編集内容について一旦差し戻します。
但し、誤解を招かないため注記しますが、編集意図そのものは必ずしも誤りとは思いません。要は川口からの引用を一次資料側に付け換える作業をなさっている訳で、そのこと自体は寧ろ適切かも知れません。問題は詳細でして、元が頁番号まで付与してあったのに、付け替えでは頁番号が略されており、また物によっては講演録のように川口本以外では直接参照が困難な資料に付け替えられるなど、出典注記として却って劣化する形になっています。これは一つ一つ直したいところですが、一次資料側の該当頁を探し出すのは流石に時間が掛かりますので、まずは元の形に戻します。Kk38 38さんも、折角付け替えて頂くのであれば、その程度の手間と注意は払って頂けますようお願いいたします。--Caspar会話2015年11月26日 (木) 03:42 (UTC)[返信]

よく見たら付け換えではなく、単に出典注記を剥がしただけの編集も多々ありますね。何をお考えなんでしょうか。こうなると立派に荒らしだと思います。--Caspar会話2015年11月26日 (木) 03:48 (UTC)[返信]

Casparさんと川口泰英引用と荒らし[編集]

検証関係の項目を読むべし。自己の研究結果をのせない。少数意見はのせない。書籍の宣伝に利用しない。引用はその分野の著名者であること。ジャーナリストであること。大手出版社であること。他研究者への中傷目的のような出版物に引用の価値無し。誰が誰であるかの認定をすること自体が荒らしであり、本論とは関係がない。--洋楽大好き会話2015年11月26日 (木) 09:48 (UTC)[返信]

ROCER66さんは無期限ブロックされています。これはアカウントではなくアカウントの使用者への適用なので、別アカを作成し投稿を続けるのは制裁逃れに該当し、これもWP:ILLEGITでブロック対象になります。また、その状態にある間は、該当者による投稿は無制限に差し戻せることがWP:3RRにて定められています。これを解除する正式な手続きとしては、ja:利用者:ROCER66会話 / 投稿記録の会話ページに貼られている案内に従い、ブロック解除を依頼することです。どうぞご留意を願います。--Caspar会話2015年11月26日 (木) 09:33 (UTC)[返信]

公式文書である「遭難始末」の引用ではなく、 自費出版の川口泰英著書から引用はルール違反[編集]

正式な事故報告書ではなく、わざわざ自費出版の川口泰英著作より引用する意味がわからない。 Caspar氏は自費出版の川口泰英著作は読みやすいとの理由で引用を勧めているが当時の公式文書が読みやすいか読みにくいかは読者が決めることであり、 元のソースが存在しているにもかかわらず、自費出版の川口泰英著作から引用する必要性はないので訂正した。 これらはウィキペディアでも禁止されている事項である。 もし引用の遭難始末のページ記載が誤りであれば、正しいページに書き換えるのが正当であり、 それをわざわざ自費出版の川口泰英著書の引用に執拗に戻すのは異常な行為と思われる。 また自論に反対する者は荒らしという論法も破綻している。 そのほか、東奥日報号外の元ソースをわざわざ川口泰英の自費出版本からの引用にするのは規則違反。 元のソースから引用するのが原本主義なので訂正した。 ソリが横滑りするとの記述は遭難始末にもどこの公式文にも書かれておらず、川口泰英の自費出版本の個人の予測研究であるため削除した。--明治男会話2015年12月4日 (木) 15:33 (UTC)[返信]

時間を空けても同じ事繰り返したら無駄ですよ。無期限ブロックの解除を申請して出直して下さい。現時点であなたは会話ページを除きWikipediaの編集を禁止されています。
…と思ったのですが、今回のノートはまたもやブロック逃れの新アカでWP:ILLEGITな人の口から「ルール違反」がどうだとか、以前にも増して滅茶苦茶だけど、本文の更新自体は割と真面目な付け替えになってますね。うーん、どうしますかねえ。本来あなたの編集は全てリバートして良いのですが、それはそれで見苦しいのでTemplate:Harvnbの記法誤りのみ修正しておきます。私も最近知ったのですが、harvnbの上位互換的なTemplate:Sfnというのが便利なので、そちらに直します。--Caspar会話2015年12月9日 (水) 12:28 (UTC)[返信]
自分の記述を替える者、反論する者が同一人物に見えてくるというのは病気。多重アカウントはルール違反。同じく自費出版物からの引用も明らかなルール違反。Casparの論理を借りれば、自費出版物の引用を繰り返しているルール違反者であるCasparには発言も編集の資格もないのでは。「遭難始末」の原文から正確に引用すべき。--洋楽大好き会話

問題提起[編集]

地方病 (日本住血吸虫症),三毛別羆事件,八甲田山雪中行軍遭難事件,ウイキの三大読み物と近頃呼ばれてるらしいです。他が単純明快なのに比べて,ここだけどんどん複雑になってやしませんか。昔はこのページはもっと明快だったような記憶があります。きっと詳しい人や研究してる人は当たり前に会話,編集をしてるんでしょうが,ノートページのトップでも書いてる人のとおりで、いったい何隊いたの?青森5連隊,青森第1大隊,青森第3大隊,青森31連隊???それぞれどこに行ったの?事故報告書は遭難始末?歩兵第五連隊?自費出版物で宣伝してる人がいるの?原文あるならそこから出典すればいいのになんで争ってるの?プロ編集者さんたちは当たり前に記述してることが,わたしのような凡人,一般人にはわからないです。知りたい人は各論に興味もって専門書を一直線に読みに行くだろうし,それら研究途上の結果をここに羅列しても,プロ並みの知識の人がプロ向けの文言をバンバン書き加えても,一般人には興味ないどころかわからなくなるいっぽうです。余計な記述は削って(独自の研究成果のような記述),初期の頃のグッと来る辞典に戻ってもらえませんか。このページのクォリティ,初期の頃に比べて落ちてます。 --利用者:Oburstan 2015年12月13日 (日) 10:58 (UTC)[返信]

問題はCasparの過剰な訂正と自費出版書からの引用、追記にある。自身の主張に反する者は証拠なく多重アカウント及び荒らしと断定するのも典型的な荒らしの手法。荒らしであるCasparは無視。まとまり、シンプルという側面において意見。映画小説と歴史的事実の違いは誰もが興味ある箇所。事実の中に映画との違いの検証事項が加筆されていると読んでいて流れが止まるかもしれない。引用出典の不確実な箇所の削除は当然であるが映画小説との違いを一カ所にまとめてはどうか。必ずしも映画小説をすべての人が見ているわけでもなし。初心者前提を考慮するのは親切。--洋楽大好き 2015年12月15日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
こんな記事を見つけました。(デーリー東北新聞社:2015年12月7日)、「31連隊は天皇に雪中行軍を奉上する予定だった。」対露戦に向けての雪中行軍訓練であるから重要視していたのがわかります。いっぽうで青森五連隊は「3隊のうちの1隊に過ぎなかった。」という表現。いつものことなので軽視していたとの意見も。軍隊の常識としては第一から第三大隊まで同日一斉に演習するのはおかしくはないですが、第二大隊に他の大隊からの人員も加えているのはあり得ない。戦闘中に再編して混成になるのはよくあるが演習でわざわざ混成させることはない。立見八師団長の談話が誤信か本人の勘違いとの説だが成功した隊と玉砕した隊の比較検討は軍だけではなく、マスコミや研究者にとっても格好の的。青森五連隊の同日の他の行軍記録も無し、マスコミの記事も一部だけ、整合性も欠けている。というなら記事または談話自体の誤報の可能性のほうが確率が高いかも。いずれにしても不明だからこれらの記述はペンディングがペスト、判明するまで一時的に削除しました。どこかで見かけたが(記憶は定かでない)、青森五連隊は第一から第三大隊それぞれが計画を出して山口大隊のものが一番よくできていたので採用したとか。読んでいて流れを止めてしまう史実と映画の違いは別項目にするのが良いです。映画小説を見てないひともいるのだから配慮が必要です。多重アカから発生したCasper氏の投稿も問題になっているようですが公式資料があるなら(遭難始末など)積極的にこれらの資料の何ページ目かなど、全部ちゃんと出典した上で川口という自費出版人の図書も参考に、みたいな編集をすれば反感を買わないのではないかと。-樺太旅団会話2016年1月9日 (土) 10:00 (UTC)[返信]

装備の記述[編集]

装備は稚拙か貧弱か。どちらでも可と私は思う。ウール、ラシャを超える生地は当時存在しておらず。現代と比較すれば劣るのは当然だろう。装備自体が稚拙、貧弱ではなく、その運用が、濡れたら交換するなどの運用方法が稚拙、貧弱だったと記述してはどうか。--洋楽大好き会話2016年2月14日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

書籍の宣伝[編集]

本文中に誰々が書いた本が出版されたなどの記述があったので削除。本が出版された云々の宣伝はルール違反。--洋楽大好き会話2019年6月27日 (木) 01:15 (UTC)[返信]

出典を入れ替えて編集を[編集]

一次資料「遭難始末」からの出典が原因のようで味気ないページになってしまいました。ノートを読んでみると「遭難始末」を出典にすべきとのミスリードがあります。辞典としての要素が大事なのも理解できますが今までと比較して興味をひかないこの状態は残念です。編集前の文章自体は小笠原孤酒はじめ他の研究者の二次資料が豊富にあるので私も少しずつ編集したいと思います。みなさん、いかがでしょうか?--山田 甲八会話2022年5月12日 (木) 04:11 (UTC)[返信]

二次資料ですが、ほとんどの書籍において同じ事実が書かれています。ここは出版時期が古い順に当時の新聞でもいいですし、小笠原孤酒、川口泰英、松本明知あたりの本から出典を抜き出して、「遭難始末」が出典で削除された部分を元に戻すのはどうでしょうか?また小笠原孤酒、川口泰英の本からの出典引用については過去に議論があったようですが現状は出典として利用して問題ないでしょうか?--山田 甲八会話2022年5月13日 (金) 05:22 (UTC)[返信]