ノート:倉田謙

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父親は倉田伋作(きゅうさく?)。『幾何学』(金港堂、1891年)、『改正初学算術教科書』(1888年)などの編者か。--忠太会話2018年3月26日 (月) 14:10 (UTC)[返信]

福岡出張所とは?

文部省福岡出張所の技師を兼任し、九州帝国大学工科大学臨時建築掛を監督する立場となる」という箇所をコメントアウトしました。…確かに福田論文にはそのような記述がありますが、自分で自分を監督?って一体何なのか、わかりにくいです。
『職員録』を見ると、明治41年(=この年、九州に帝国大学を設置することが決まる)、本省の建築課長・久留正道の下に矢島一郎がおり、「在福岡」(⇒福岡出張所長)となっています[1]。同書の大正2年版で矢島の後任が倉田、ということがわかります[2](明治45年9月、倉田が福岡出張所長を兼任)。
東京・京都帝大の場合、大学組織内に建築課があって、そこの建築課長が仕切ってましたが、新設の九州帝大(東北も同様)は、本省の建築課長の指揮下にあった、ということになるようです?(西山論文も参照)。といったことを「倉田謙」の項でくどくど説明しても仕方ないので、コメントアウトしておきました。  -- 2018年4月24日 (火) 11:42 (UTC)  (一部修正)--忠太会話2018年4月25日 (水) 15:43 (UTC) [返信]

福岡日日の画像[編集]

西日本新聞HP[3]のページにある11枚目の画像が福岡日日、かなりアクの強いデザインです。  --忠太会話2018年5月10日 (木) 12:46 (UTC) [返信]