ノート:伊藤若冲

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改訂理由の説明[編集]

「作品群」の節を大幅に手直しさせていただいたので、その理由を説明します。なお、記事内容自体に特段問題があるわけではなく、ウィキペディアのガイドラインに沿い、他記事とできるだけスタイルを統一させるという観点で修正したものです。あれこれ重箱の隅をつついて、記事に難癖をつけようという意図は全くありませんので、よろしくお願いします。

  • 「太字は、特に代表作と言えるもの」とあり、いくつかの作品名が太字にされていましたが、元に戻しました。たしかに、太字強調されていた作品は「代表作」と呼ぶにふさわしいものだと思いますが、特定の作品のみを「代表作」と規定することはやはり個人の意見に属するのではないかと思います。
  • 「日本古来の表題では送り仮名は用いられない」とありましたが、列挙されている作品名の中に、送り仮名は使われていないので、上引の注記は除去しました(「送り仮名」と「助詞」を混同されているのではないでしょうか)。
  • 「現代的表記は丸括弧( )内にて記す。旧字体表記も示す」とありましたが、この注記も除去しました。「現代的表記」云々は、助詞の有無を指しているものと思われますが、絵自体に正式の題名が記されているわけではなく、「現代的表記」と「古来の表記」とを峻別することはできないと思います。旧字体については、「虫」と「蟲」を念頭においての注記かと思いますが、「虫」と「蟲」は元来、字義の異なる別字であり、重要文化財「菜蟲図」の指定名称に常用漢字外の「蟲」が使われているのもそのためかと思います。しかし、他の漢字、たとえば「鶏」「図」などについて逐一旧字体が示されているわけではありません。
  • Help:ページの編集#文字飾りによれば、特段の理由がない、単なる強調のための色文字の使用は奨励されていないので、黒字に改めます。
  • 日本語の画題不明の2点の画像についてですが、上の方の画像については画像のファイル名(英文)から「猿猴捕月図」(または「猿猴捉月図」)と判断され、絵柄自体からもそのように判断されるので、「猿猴捕月図」としました。その下の画像については、画像のファイル名にローマ字でFukurokujuとあり、絵柄も福禄寿を表したものと認められるので「福禄寿図」としました。
  • 鹿苑寺大書院障壁画については、一の間、二の間・・の順で記載するようにしました。
  • 読み仮名の表記について、Wikipedia:表記ガイド#読み仮名によれば、読み仮名は丸括弧内に記すのが原則であり、角括弧や小文字の使用は奨励されていません。しかし、この点を修正するのはかなり手間のかかる作業になるので、今回は見送りました。--Urania 2009年12月25日 (金) 05:10 (UTC)[返信]


若冲の町政参与について[編集]

>隠居後の若冲は作画三昧の日々を送っていたと見るのが長年の定説であったが、以後も町政に関わりを持ち、明和8年(1771年)には枡屋があった中魚町の隣にある帯屋町の町年寄を勤めていたことが、平成20年(2008年)[4]、美術史家にも認識されるようになった。

とあり、脚注部分で99年時点で発表されていた宇佐美英機氏の論考が08年に美術史家の間で認知されるようになった、とありますが、08年にどのような経緯で宇佐美論文が認知されるようになったのでしょうか?--でここ 2010年5月31日 (月) 07:14 (UTC)[返信]

  • 展覧会図録『若冲ワンダーランド』や『ユリイカ』2009年11月号等で触れられていますが、2008年出版『新修茨木市史 第9巻 史料編 美術工芸』の中で、美術史家の奥平俊六先生が「こんな面白い若冲に関する論考があるよ」と研究仲間に紹介したのが切っ掛けです。宇佐美先生は、史料中の「桝元」というのが画家らしいということは教授仲間から教えられたそうですが、それが若冲という近年人気の絵師だとは御存知なかったそうです。また、論文が収録された『市と糶』は、美術史家からすれば研究分野が違う事や、この本自体がかなりレアな本というのも重なって知るのが遅れたのでしょう。--Foldingfan 2010年5月31日 (月) 08:35 (UTC)[返信]

一利用者としての感想ですが、文脈だけではそのあたりの経緯がまるでわからなかったので、補説してあれば良いものと思われます。ご教授ありがとうございました。--でここ 2010年5月31日 (月) 13:18 (UTC)[返信]

享年の表記に就いて[編集]

歴史上の人物は「享年」で統一されています。 よって、若冲の場合は、「八五歳」と表記されなくては成りません。 訂正をお願い致します。 宜敷く。