ノート:七イマーム派

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典拠を確認したい[編集]

  • 定義文の1文目の記載、「七イマーム派」が「イスマーイール派の一派」であることの典拠はありますでしょうか。平凡社の『イスラム事典』1980年には、「イスマーイール派」が「七イマーム派」と呼ばれることもあるのような書き方で、イスマーイール派の別名とする記載があります。
  • 2文目に書いてある、「ジャアファル・サーディクの息子イスマーイールが最後のイマームだ」という主張と「その息子のムハンマドがマフディーとして再来する」という主張は、矛盾しているように思うのですが、この記載の典拠はありますでしょうか。
  • ファーティマ朝系とカルマト派系とでイマーマをめぐって主張が異なっていたことは、いろんな概説書や論文で確認できますが、カルマト派系分派を「七イマーム派」と総称することについては、典拠が見当たりません。現在の記事の内容は、「七イマーム派」がカルマト派系分派の総称であるように読めます(はっきりとそう書いてはいませんが)。

コメント 記事が、全体的に独自研究のような、そうでないような、どちらともいえない感じなので、2年前に@McYata:さんがリダイレクト起こしで enwp の翻訳で作成されてから気にかかっていました。イスラームのことなら何でも載っている『イスラーム百科事典』にも「七イマーム派」の記事が見つかりません。McYata さんは何かご存じですか? --ねをなふみそね会話) 2021年12月23日 (木) 10:50 (UTC) --『イスラーム百科事典』に「七イマーム派」の記事が見つかりました。取り急ぎ訂正。ねをなふみそね会話2022年1月5日 (水) 09:37 (UTC)[返信]

ご確認いただきありがとうございます。まずは、内容や出典をよく確認せぬまま翻訳し、そのまま放置していたことをお詫びします。当時はまだ私もWikipediaでの翻訳に対する理解が浅く、英語版の内容を是としてそれをもとに他の記事もよく確認せず無出典改変してしまっておりました。すみません。
さて、英語版で「七イマーム派」が「イスマーイール派の一派」であると書いている部分を探したところ、en:Isma'ilism#Sevenersに以下の出典がついていました。
  • Daftary, Farhad (1990). The Ismāʿīlīs: Their history and doctrines. Cambridge, England: Cambridge University Press. p. 104. ISBN 0-521-42974-9 
原本に当たってみたところ、主な内容は以下のようなものでした(強調はMcYata)
  • ムバーラク派から派生したカルマト派は、イマームの数を7人までと制限していたとされ、これは後にイスマーイール派Sab'īyahあるいはSeveners(七イマーム派)という通称が追加された所以でもある。(※この文献で「七イマーム派」という言葉が出てくるのはここだけ)
  • ここでいう「七イマーム」とは、アリー・イブン・アビー・ターリブ(イマームであり使徒)、……ジャアファル・イブン・ムハンマドムハンマド・イブン・イスマーイール・イブン・ジャアファル(最後にして救世主たるイマーム)の7人である。著述家たちは、アリーを最初、ムハンマドを最後とするために、カルマト派が認めた七イマームの列からイスマーイール・イブン・ジャアファルを省いている
  • しかしこれはジャアファルからイスマーイールへ前者の生前にイマームの地位が移っていた、すなわちイスマーイールが7人目、ムハンマドが8人目のイマームとなる考え方と矛盾する。カルマト派の一部や初期イスマーイール派もイスマーイールをイマームに数えていたが、その他の者はイスマーイールをイマームに数えない。
  • なお後のイスマーイール派文学でアリーを別格、ハサンを初代イマーム、イスマーイールとムハンマドを6,7代イマームとする解釈が生まれ、ムスタアリー派に受け継がれている。
まず「七イマーム派はイスマーイール派の一部」だというのは英語版で関連記事を書いた方の誤読であったようです。またイスマーイールを飛ばして数えるというのは現行のイスマーイール派記事の内容と一致しているようです。ただイマームの数え方は、分派によって異なるのはもちろんカルマト派内でも異なる、ということで。きちんと前提知識を持たず翻訳する危険性を改めて心にとめた次第です。ひとまず簡単な情報提供しか今はできないのですが、この記事はどうしたらよいでしょうか。--McYata会話2021年12月24日 (金) 06:39 (UTC)[返信]
Daftary 1990 を読んで確認していただけるとは、ありがとうございます。1つ目の引用を読む限りでは、他派がカルマト派の主張の一部の特徴のみに着目して(カルマト派を含む?)イスマーイール派全体を「七イマーム派」と呼んだ感じですね。Daftary 1990 によると、イスマーイール派の別名というのは間違いではないし、カルマト派の別名というのも間違いとは言えない気がしました。この記事をさしあたってどうするか、とりあえず放置でいいのではないかなと思います。完全な hoax でもないようですので。
他に、こちらで調べた限りでは、中村廣治郎『イスラム教入門』(岩波書店、1998年)pp. 152-153 には、「イスマーイール派が七イマーム派とも呼ばれるのは、当時、この七代目のイマーム・ムハンマドを最後のイマームとするグループが多かったからである。ちなみに、この派はアリーをワスィー(遺言執行人)として、初代イマームをアリーではなく、その子ハサンとする。」という割注の記載がありました。
あと、literature には「文献」の意味もあるので、"Ismaili literature" は「イスマーイール派文献」と訳すほうがいいかもしれません。ひとまずは、ありがとうございました。--ねをなふみそね会話2021年12月27日 (月) 06:13 (UTC)[返信]
英語版ウィキペディアでは、「七イマーム派がイスマーイール派の一派である」という主張は2004年のこの編集ではじめて出現します。enwp のテンプレート Ismailism では、Sevener が Qarmatians の別名のように記載されていますが、これも 2018年5月18日のこの編集 ではじめて出現します。英語版ウィキペディアにおけるイスマーイール派関連の記事は、いまのところ、全体的に独自研究が多い気がします。--ねをなふみそね会話2022年9月21日 (水) 05:26 (UTC)[返信]