ノート:ロスチスラフ・ミハイロヴィチ

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要出典について[編集]

初版翻訳者です。ロシア語版(ru:Ростислав Михайлович(22:54, 27 марта 2014))をベースに、1)英語版(en:Rostislav Mikhailovich(10:27, 30 January 2014‎))の出典のついているところを参照・出典追加、2)ロシ版・英版にない娘(マルギト)をハンガリー語版mg:III. Rosztyiszlav kijevi nagyfejedelem(2013. március 12., 14:34‎)から追加、という方法で作成しております。ただし、ロスチスラフの娘については各国語版で差異がみられるようです。特にブルガリアのツァーリと結婚した女性ですが、ロシア語版・ウクライナ語版は「エルジェーベト」(エリザベータ)、英語版は「おそらくアンナ」となっております。もしかしたら2人の女性が混同されているのかもしれません。(ハンガリー語版に名前のあるマルギトと、エルジェーベト・アンナを別人としてカウントしたら7人になるのですが。)また「7人の子」はロシア語版にあるのですが、そのロシア語版も7人すべては書かれておらず、よくわかりませんでした。7人という数自体が誤りなのかもしれません。

なお、余談ぎみですが、クニグンダ(クンフタ・ウヘルスカー)の二人目の夫Záviš Vitkovcは、はじめクン・エルジェーベトの娘のエルジェーベトと結婚していた(クン・エルジェーベトの翻訳元・英語版en:Elizabeth the Cuman、ロシア語版ru:Елизавета Куманская(どうもロシア語版は英語版の忠実な翻訳のようです。文章構成的に。)に拠る)となっているのですが、適切でしょうか…。

ハンガリー・チェコ・ブルガリア史あたりに詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授・修正していただけるとありがたいです。--ノフノフ会話2014年4月15日 (火) 13:15 (UTC)[返信]

「Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.」には、Záviš Vitkovc(ザーヴィシュ・ズ・ファルケンシュテイナあるいはファルケンシュタイン卿ザーヴィシュでしょうか、読みは不確かですが、1290年刑死)の二度目の夫人がイシュトヴァーン5世クン・エルジェーベトとの娘エルジェーベトとあります。上記文献には1287年結婚とありますが、英語版では1288年ですね。同文献にはエルジェーベトとステファン・ウロシュ2世ミルティンとの結婚についての記述がありません。まあ、この文献は全てを記載しているわけではありませんし、若干の間違いや他文献との年代等のずれも少なからずあるので、他文献も見たほうがいいのですが、とりあえず、このボヘミアのマグナートのザーヴィシュ・ズ・ファルケンシュテイナという人物は1284年にクンフタ・ウヘルスカーと結婚し、クンフタ・ウヘルスカーの死後ハンガリー王女エルジェーベトと再婚したものの1290年にルドルフ1世に処刑され(ルドルフ1世の領地拡大政策によるもの?)、エルジェーベトはステファン・ウロシュ2世と再婚したということなのでしょう。ところで「ザーヴィシュ・ズ・ファルケンシュテイナ」のオペラ(Josef Richard Rozkošnýによる)があったようですが、どんな内容だったのでしょうか…。--Jun324会話2015年4月17日 (金) 03:08 (UTC)[返信]
このところ少し暇人なので、Moys Daroi(ハンガリー人ならDárói Mózes IIの方が正しいか)という人物について、ネットですこし調べてみました(文献によるものではないので参考程度に)。おそらくこの[1]人物でしょうか。ハンガリーの宮中伯(enで1270-1272にその地位にあった人物か?義兄弟って誰の?)、スラヴォニア総督(enで1272年に総督になったMoysか?)となった人物のようですね。上記リンクで見ると、妻の可能性のある人物として2人載っていますがどちらもエルジェーベトの名です。アンドラーシュ2世の子アンドラーシュとエレナ・マリヤ(ムスチスラフ・ムスチスラヴィチの娘)との間の娘、もしくは、ロスチスラフの娘(もとブルガリア王妃)のようです。おそらく、妻の名がエルジェーベトなのがどこかで確認されていて、その素性がよくわからないということなのかもしれません。ブルガリア王カリマン2世と死別後Moysと再婚したロスチスラフの娘が、もともとエルジェーベトという名だったのかもしれないし、アンナ(この名も母の名からの推測か、古い文献にあったか?)から再婚時に改名したかもしれない。もしくは、ブルガリア王と結婚した娘がアンナで、Moysの妻エルジェーベトは別人(姉妹か、上述のアンドラーシュの娘か)だったかもしれない。…あくまで、文献なし、ハンガリー語もよくわからない自分の推測ですが…。この辺、もう少しすっきりするといいですね。日本語の文献では今のところ期待できないかもしれませんが。ところで、子供7人がはっきりしないなら削っても問題ないのでは?--Jun324会話2015年4月17日 (金) 05:32 (UTC)[返信]
調査おつかれさまです。エルジェーベトは血筋的にはともかく、生涯的にも、名前(もしくは洗礼名)的にもハンガリーの人物でしょうし(当時のリューリク朝の女性の出生名もしくは洗礼名(聖名)としては、エルジェーベト=エリザヴェータはちょっと違和感を感じます。)、「エルジェーベト」という名の一次史料はおそらくハンガリーのものではないかと思われます。いつか詳しい方が現れるのを期待しております。とりあえず「7人」をはずしました。--ノフノフ会話2015年4月19日 (日) 07:54 (UTC)[返信]
Moys Daroi(Dárói Mózes II)の妻に関する記述がこちらFMG/Hungary Kings Genealogyにありました。出典はいずれもEuropäische Stammtafeln, Bd IIのようです。--Jun324会話2015年7月26日 (日) 09:02 (UTC)[返信]