ノート:フランツ・リスト

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フランツ・リスト[編集]

英語版のノートにも、国籍について言及がありましたが、リストはハンガリー人だとするのが妥当ではないでしょうか。生誕地は、現在は(トリアノン条約により)オーストリア領ですが…一般的にはハンガリーの音楽家として認識されています。

作曲上の態度については、リストとベートーヴェンは並列して語られるべきなのか、少し疑問が残ります。全く違ったタイプの作曲家ではないかと思うのですが。szatoru 2006年3月22日 (水) 02:10 (UTC)[返信]


手の大きさとかについてのエピソードも書いてください。

>かつては自称通りハンガリー人音楽家として記述されることが多かったが、民族としてのマジャル人の血をまったく引いていないことや、生涯マジャル語(ハンガリー語)を話せなかったことなどを勘案し、今日では多くの音楽辞典がドイツ人として記述する。なお、同じくハンガリーのドイツ人植民の子として生まれた作曲家には後年のフランツ・レハールがいるが、こちらは活躍の拠点がウィーンであったこと、チェコスロバキアなどとも縁が深いこと、オーストリアがドイツ連邦から離脱した後の生まれであることなどから、オーストリア人として記述されることが多い。(本文より移動)

ドイツ人として記述している音楽辞典はありますが、資料によって表記はまちまちですし、"多く"の音楽辞典とする根拠は薄いように思います。例えば、ウィキの同項目の英語版では"Hungarian"と表記されています。

また、話はやや逸れますが、言語と国民の結びつきは今日で考えられているよりも未だ曖昧なものであったと思われます。19世紀前半においても、また19世紀の後半及び20世紀の前半においても、一部においては、です。ハンガリーの代表的な作曲家、バルトークの生家においてさえ、ドイツ語も日常語として使われていましたから。「勘案」と言うのは、いわば現在から見た論理ではないかと思いますけどね。86.101.91.207 2007年1月14日 (日) 22:35 (UTC)[返信]

生まれ、国籍について[編集]

国籍については、確かにドイツと記している文献もありますが、現在、一般的にはハンガリーという表記が定着しています。他の言語の項目を見てもそうですが、私が見た限りでは全てが「ハンガリーの」と言う表現が使われています。(例外はドイツ語版ですが、「ドイツ=ハンガリーの」、という表現です)

両親についてですが、ハンガリーに移民してきたのは父アーダムの代ではなく、曽祖父の代からです。またエステルハージ家には一族として仕えていた訳ではありません。Hegyi János 2007年1月24日 (水) 13:35 (UTC)[返信]

>(生地の現帰属、血統、言語、生涯最長居住の全部を欠いて特定国人と記述する例は他にはありえない) こうした観点こそが根拠もなく、ありえないでしょう。リスト本人のアイデンティティや、後年のハンガリーでの活動ということが全て抜け落ちており、あまりに偏っているため関連する部分を全てコメントアウトしました。Hegyi János 2007年1月28日 (日) 09:36 (UTC)[返信]

各議論は、いずれも二国併記しないという理由としては薄弱すぎる。 ・リストは、成人後の音楽活動をほとんどハンガリーでは行っていない。 たとえば、オッフェンバック、クーセヴィッキー、バレンボイムをそれぞれ「ドイツの作曲家」「ロシアの指揮者」「アルゼンチンの音楽家」とだけ記すことが適当でないように、後半生の大部分を定住して同国楽壇に大きな流れを生み(少なくともハンガリー音楽に対してより貢献度は高い)、なおかつ民族・母語に一致するドイツの国名をあえて削る必要はないのではないか。 ・リストをハンガリーの音楽家と記述する理由は、出生から11歳までの居住(ただし現帰属はオーストリア)と、本人が何度か自らをハンガリー人と称していることの2点だが、当時ハンガリー王国は名称だけで国家の実態はなく、その領域も現在のそれとはまったく異なる広大なものであった。リストの発言は国家国民を意識したものではなく愛郷心と捕らえるべきだろう。語学の達人であったにもかかわらずスメタナのように成人後にマジャール語を習得することもなく、公的にはフランツというドイツ名で通し、何よりも19世紀後半のハンガリーが国家としての自治独立を獲得していく動きの中で何の動きも発言もしていない。ただし、「ハンガリー生まれ」であることは記載すべきだと思う。 ・どの文献が「ハンガリーの」「ドイツの」と記述しているかは、多数決を取るべきものでもないのであまり関係ないと思う(ブリタニカはオーストリア人と記述)。記録に残る事実から判断すればよいと思う。 ・ロマへの差別が「一部の愛国的」ハンガリー人のものであったとは思えない。もっと庶民レベルで差別は根強く存在し、是非はともかくこれを共有できなかったのはリストの非ハンガリー的な限界だった。また、ハンガリー人側のリストに対する同胞意識にも具体例が欠ける。 よって、二国併記がもっとも穏当であると考える。 (オーストリアは、当時の枠組み・意識としてもドイツで代用可能だと思う)

そもそもの二国併記するという理由が薄弱ではないか。
  • リストはフランスで成人し、初期はフランスを中心として活動したのち、ワイマールへ移住した。しかし晩年はブダペストにも定期的に滞在していた。そうした事実を無視してはならない。あえて削るのではなく、敢えて記述する必要がないのではないか。言語については、特に西ハンガリーにおいてはドイツ語を母語するハンガリー人も多く、ハンガリー貴族ですらドイツ語を母語としていた。当時において、言語と国家を結びつける事はできない。
  • ヨーロッパの土地は時代によって帰属先が違う。国境の変化がなかった日本と同じように認識してはならない。また、国家が独立していたか否かは判断材料になりえない。リストはハンガリーでのコンサートの際、ラコーツィ行進曲を演奏し、秘密警察にマークされている。また、ピアノ曲『葬送』は1849年10月に行われたハンガリー貴族の処刑を契機として書かれたものである。
  • 少なくともウィキペディアにおいては、より信頼性の高い記述を考慮すべきである。アラン・ウォーカーはヨーロッパ中の膨大な記録を精査した上で10年を費やして伝記を書き上げており、信頼性は極めて高いと思われる。
  • ロマへの差別意識は当時のみならず現時点でも存在する。しかし、全てのハンガリー人がリストへの攻撃を行ったわけではない。ロマへの差別を否定するのではなく、よりよい記述の問題である。有名な例では、バルトークは、ハンガリーの小村落にはハンガリー人と共存するロマの存在を認めている(『バルトーク』伊東信宏)。つまり、ロマへの嫌悪の情は全てのハンガリー人が共有する意識ではないし、それを共有できないのは非ハンガリー人という訳ではない。また重要なのは、ハンガリー人やドイツ人及び他の人間が、個人の国籍を多数決で決めることはできないということである。Hegyi János 2007年1月31日 (水) 13:13 (UTC)[返信]
ブリタニカのオンライン版ではHungarianという表記でしたが。どの版のブリタニカの話なのか、どうぞきちんと出典を示してください。仮にブリタニカがオーストリアと言う表記で、それに基づいて何らかの記述を加えたいのならば、そのままオーストリアと記述すべきです。どうか、独自の基準を持ち出さないで下さい。Hegyi János 2007年2月9日 (金) 20:33 (UTC)[返信]

IP 219.0.143.17による投稿[編集]

「資料によって表記はまちまちですし」なら、両国併記でよいのでは? 音楽活動の大部分がワイマールでなされており、少なくとも併記としての「ドイツの音楽家」が不正確とか誤りとまでするのは、完全に意地になっているとしか思えない。もちろんフランスやイタリアでの活動もあるが、圧倒的にドイツが長い。各国を遍歴したリストの生涯を、彼が自称したハンガリーと、民族として帰属し活動の拠点としたドイツで代表させるのは、むしろ公平だと思う。

その前提として、「今日では多くの音楽辞典がドイツ人として記述する」というIP 219.0.143.17氏の編集がありましたので、どうぞ、まずはそれについて説明してください。
フランスやイタリアで活躍した事を踏まえて、より公平になるよう序の文を書き直しました。Hegyi János 2007年1月31日 (水) 21:03 (UTC)[返信]

冒頭部、こんな感じでいいのでは? 「まちまちに記述されている資料」「多くの音楽辞典」は存じませんが、少なくともこれで事実に反するとか適正を欠くとは思えないのですが。リストの経歴からして一国の名でまとめてしまうよりは妥当だと思いますし、さりとて最初からフランスやイタリア、オーストリアにまで触れると煩雑ですから、こんなもんじゃないですか。

どうも、勘違いされている方が多いようですが、事実に反するとか適性に欠くということではなく、信頼性の高い資料を元にした記述かどうかということなのですが。Hegyi János 2007年2月1日 (木) 12:39 (UTC)[返信]
一国の名で纏めるのは妥当ではないのなら、ドイツとして纏めるのも適当ではないと言うことをご理解下さい。Hegyi János 2007年2月9日 (金) 20:35 (UTC)[返信]

作品[編集]

概論で楽譜よりもCDの枚数で作品の長さなどを書くのはやはり素人的でオタクっぽくないですか?もう少し専門的な文章を求めます。またピアノと管弦楽ばかりで、大きなウエイトを占めているオラトリオ・ミサなどが抜けているので加筆するのが望ましいでしょう。--195.93.60.8 2007年2月9日 (金) 20:14 (UTC)[返信]

「そのために即興に重点を置いていた」[編集]

本文中の、

「このように、初見や演奏技術に関しては他の追随を許さなかったリストであったが、そのために彼は演奏に関しては即興に重点を置いていた。」

の「そのために」の部分の意味は、下記のどちらかだろうかと考えてもぴったりしないし、本当は何の意味でしょうか?

  1. その理由により彼は演奏に関しては即興に重点を置いていた。」
  2. その目的のために彼は演奏に関しては即興に重点を置いていた。」

--Kkddkkdd会話2014年8月2日 (土) 15:59 (UTC)[返信]