ノート:フランシスコ (ローマ教皇)/過去ログ16

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その他の問題[編集]

訳語の問題[編集]

“La carne que asumió Jesús y por la cual murió” のところの訳なのですが、「イエス様が十字架に掛けられるためにまとわれた人間の肉」くらいではどうでしょうか?再度になりますが、お伺い致します。Tizizano会話2013年3月22日 (金) 20:35 (UTC)

(コメント)スペイン語に詳しくはありませんが、現時点での当該部の訳出をした者として、どう解釈して訳したかを陳述しておきます。英語への直訳で表すと"The meatflesh that took Jesus and why he died"だと考え、イエスが受肉し(た肉体、そして)死んだ理由であるところの肉体→人々の罪を贖う生贄として捧げられた(イエスの&人間の)肉体、という解釈にて訳したものです。--ジャコウネズミ会話) 2013年3月22日 (金) 21:06 (UTC)--ジャコウネズミ会話) 2013年3月22日 (金) 21:11 (UTC)--(修正/追記)--"carne"は(meat/flesh)で、日本語では「肉体」としないと、女性の性的虐待の主題と釣り合わない。--ジャコウネズミ会話2013年3月23日 (土) 05:22 (UTC)

同一内容の2個所の言及[編集]

もう一つ問題がありまして、表から引っ張ってきた下掲の引用をご覧になられば、お分かりの通り、同じ典拠からの引用が地の文と引用部分にまたがっています。多数で作製している項目なので、必ずしも上下左右が精査されているとは限らないので重複したものとおもわれます。上の方の引用は、引用個所の上の部分とは別テーマなので、一番簡単な解決法は、上の引用個所を削除することです。とはいうものの、典拠が示されかつ長文なので勝手に delete するわけにもいかず、どうしたものかと、皆さんにお尋ね次第です。

★「キルチネル政権」との関係」の節

「アパレシーダ文書」[66]の 発表に際し、ベルゴリオは社会問題に言及して国会議員、政府首脳、医療従事者に対してカトリックの原則に従って行動するよう勧告し、われわれは聖体拝領と戒律に抗う行動や言論とを同時には享受できないことを意識すべきであり、とりわけ中絶や安楽死は、生命と家族に対する重大な犯罪を促進するものであり、この責任は特に国会議員と政府首脳と医療従事者とに帰するものであると言明した。アルゼンチン政府はこの声明に抗議し、ブエノスアイレス人権大学のギジェルモ・ゲリンは、「アルゼンチンの社会問題に関わる教会の診断は正しいが、中絶や安楽死を混ぜ込むことは、少なくとも明確なイデオロギー的違法行為の一例である」と発言した[67]。

★「妊娠中絶、安楽死と高齢化問題について」の節

われわれは、国会議員、政府首脳、医療従事者に対し、人命の尊厳と人類の家族のきずなを意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り、阻止するよう希望します。われわれはみずからが聖体拝領に相応しいか確かめるべきです。すなわち、人々は聖体拝領に与りながら戒めに抗う行動や発言をすべきでないことを自覚しなければならない、ということです。特に妊娠中絶や安楽死など、生命と家族に対する深刻な犯罪を助長してはなりません。行政と政府の職員そして医療関係者は、このことの責任を自覚すべきです。Tizizano会話) 2013年3月22日 (金) 23:06 (UTC)--(訳文更新)--ジャコウネズミ会話2013年3月23日 (土) 05:22 (UTC)

(案)前者を「ベルゴリオは社会問題に言及し([[#妊娠中絶、安楽死と高齢者問題について|後述詳細]]参照)、中絶や安楽死は、生命と家族に対する重大な犯罪を促進するものであり、この責任は特に国会議員と政府首脳と医療従事者とに帰するものであると言明した。アルゼンチン政府は~~」としてはどうか。--(署名を忘れていました。)--ジャコウネズミ会話) 2013年3月22日 (金) 23:36 (UTC)--(修正・更新)--ジャコウネズミ会話2013年3月23日 (土) 05:22 (UTC)
適切に校正して頂き、ありがとうございます。Tizizano会話2013年3月23日 (土) 07:42 (UTC)

写真の位置[編集]

1) 紋章の画像が紋章銘の説明と離れていては意味がありません。閲覧者の視線を上下させては、視覚的効果が削減します。
2)「教皇就任以後」の写真が左右同位置にあり、真ん中に文章が挟まれているのは、地の文が読みにくく、またフォトジェニックではないと思います。まったく画像がない大きなスペースがあるのに、この狭いスペースに2枚あるのも不可解です。
3) 写真画像は、適当な距離を置き、左右のバランスがあるときに初めて印象深くなるのであって、多くのGA、FA記事がそうであるように、コンステレーションを周到に考えなければならないと思います。
4) 右側縦に連続4枚画像が出てくるのも異様であり、アシンメトリーの持つ自然さ -- 意識的努力による「自然さ」-- の演出効果を損なっていると思います。Tizizano会話2013年3月24日 (日) 08:43 (UTC)
1) 紋章銘の説明文を移動することにて対処。2) 若干上下をずらしました。3), 4) Wikipediaはスポーツ新聞ではなく、文字情報を基調とした百科事典です。配置の工夫も画面幅によって見え方が変わります。上記の基本的考え方に反対します。--ジャコウネズミ会話2013年3月24日 (日) 09:04 (UTC)
Wikipedia の画像ファイルは right か left に決まっているので、そもそもスポーツ新聞のようにランダムには配置できません。視覚的効果というのは、ブリタニカ百科事典でさえ考えられており、とくに最後の写真の配置は、節名から飛び出しており、これはいささか工夫の余地があると思います。GA、FA記事を見ると、やはり、典拠の確実、文章の洗練、文献の整備に加えて、画像配置も周到に計算されており、どうやったら閲覧者を読書に引き込むかという工夫に工夫が重ねられており、まさしくそこにしか置けないという場所に画像が配置されています。優れた100余の記事に学ぶことは、何らおかしいこととは思えません。Tizizano会話2013年3月24日 (日) 09:19 (UTC)
ジャコウネズミさんの周到なご配慮に感謝申し上げます。Tizizano会話2013年3月24日 (日) 10:06 (UTC)
「節名から飛び出して」いるとのご指摘の画像は、位置を記事に揃えました。画像に持って来る写真というのは、画像、記事内容共に(教皇就任式のように)際だっだ意味の時に用いるのが効果的と考えますが、キルチネル大統領との対談の写真も左に持ってきました。2008年の赤服の写真も印象的ですが、左配置だと、社会教説のどこに持ってきても、画面幅によって記事本文の回り込み(画面幅小)や次節の見出しの右への追い出し(画面幅大)が生じてしまったので右配置としました。--ジャコウネズミ会話) 2013年3月24日 (日) 10:17 (UTC)--(微修正)--ジャコウネズミ会話2013年3月24日 (日) 10:41 (UTC)