ノート:フランシスコ (ローマ教皇)/過去ログ15

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要するに改善を求められているのは、以下などの個所ですね。みなさま、ご意見頂けませんでしょうか。

引用 A(← 妊娠中絶、安楽死と高齢化問題について)[編集]

“we should commit ourselves to ‘eucharistic coherence’, that is, we should be conscious that people cannot receive holy communion and at the same time act or speak against the commandments, in particular when abortion, euthanasia, and other serious crimes against life and family are facilitated. This responsibility applies particularly to legislators, governors, and health professionals.”

〔現行訳〕(私たちは、議員と政府の長と医療専門家に対し、人命の尊厳と人類の家族の絆を意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り阻止するよう希望します。 それが彼らの責任です…)→ 私たちは自らを「聖体の一貫性」に委ねるべきであり、即ち、人々は聖体拝領に与ると同時に、戒めに抗う行動や発言、特に妊娠中絶と安楽死などの深刻な生命と家族に対する犯罪が助長するようなことはできないことを意識するべきです。この責任は特に議員と政府の長と医療専門家に適用されます。

(   )内は一読してわかります。改善すべきは、「聖体の一貫性」「責任は〜適応されます」などのところ、また全体をより平易に等々。

みなさま、ご意見頂けませんでしょうか。良い訳ではありませんが、以下が試訳です。

われわれは「聖体の秘跡の交わり」に参与すべきです。言葉を換えて言わせて頂けば、特に人工中絶、安楽死やその他生命や家族に対する深刻な罪が助長されるときには、われわれは聖なる交わりにあずかることができず、また同時にそれが神の掟に逆う振る舞いであることを意識すべきだということです。行政と政府の職員そして医療関係者は、このことの責任を自覚すべきです。Tizizano会話2013年3月21日 (木) 22:34 (UTC)
(案)我々は、国会議員、政府首脳、医療従事者に対し、人命の尊厳と人類の家族の絆を意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り、阻止するよう希望します。我々は自らを「聖体の一貫性」に委ねるべきです。即ち、人々は聖体拝領に与りながら戒めに抗う行動や発言をすべきでないことを自覚せよ、ということです。特に妊娠中絶や安楽死など、生命と家族に対する深刻な犯罪を助長してはなりません。この責任を、特に国会議員と政府の長と医療従事者とに適用します。--ジャコウネズミ会話) 2013年3月22日 (金) 00:23 (UTC)--ジャコウネズミ会話2013年3月22日 (金) 00:33 (UTC)
i) 我々は、国会議員、政府首脳、医療従事者に対し、人命の尊厳と人類の家族の絆を意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り、阻止するよう希望します。→ OK
ii) 我々は自らを「聖体の一貫性」に委ねるべきです。→ 私はカトリックですが、「聖体の一貫性」では通じないと思います。後続の部分との関連もわかりせません。また、「我々」は何度も不要だと思います。
iii) 即ち、人々は聖体拝領に与りながら戒めに抗う行動や発言をすべきでないことを自覚しなければばならない、ということです。特に妊娠中絶や安楽死など、生命と家族に対する深刻な犯罪を助長してはなりません。→ これは肯定と否定を逆にして二重のひねりとなっていますが、日本語としては良いと思います。
iv) この責任を、特に国会議員と政府の長と医療従事者とに適用します。→ これは上とは逆に直訳にすぎて生硬で、話し言葉としては不自然ではないでしょうか。Tizizano会話2013年3月22日 (金) 00:37 (UTC)
ii)’ 我々は自らが聖体拝領に相応しいか確かめるべきです。(意訳。この場合、「我々」は欲しいと思う。) iv)’ 初案では厳しさが出た方が良いかとも思い硬めにしましたが、Tizizanoさんの訳でよいと思います。--ジャコウネズミ会話2013年3月22日 (金) 01:27 (UTC)
ジャコウネズミさんの改訳を表に貼り付けて来ました。Tizizano会話2013年3月22日 (金) 01:40 (UTC)
引用B(← 児童虐待と人身売買について)[編集]

"En esta ciudad, se rapta a mujeres y chicas, y se las somete al uso y abuso de su cuerpo; se las destruye en su dignidad. 【La carne que asumió Jesús y por la cual murió】 vale menos que la carne de una mascota. Se cuida mejor a un perro que a estos esclavos nuestros, que se los patea, 【se los deshace】.

〔現行訳〕(この町では、人形と遊べずにあばら家のごみの山に放り込まれる少女がたくさんいる。)彼女たちはさらわれ、売り飛ばされて、だまされたのだ…)この町では女性と少女は誘拐され、性と虐待の対象とされる。つまり彼女らの尊厳は破壊されるのだ。ここでは【イエス・キリストが自らの肉になぞらえられ十字架に磔になられた人間の肉】 はペットの肉に劣るのだ。一匹の犬のほうがブエノスアイレスの奴隷扱いの少女たちより大切されている。彼女らは足蹴にされ、【背骨をへし折られる】。

難解なところは【   】内のところで、最初の関係代名詞節は、2文にわけたほうがわかりやすいのではないでしょうか。動詞“se deshacer”の訳は適当か。「イエスは、受肉して人となられ、十字架に掛けられ亡くなられました。しかるに、人の肉は、ここではペットの肉にも劣るものとして扱われています」くらいの意味でしょうか?スペイン語の達者な方に、ご教示頂けませんでしょうか。

(案)街では人形と遊べずにバラックのゴミの山に放たれる少女が大勢いる。彼女たちは誘拐され、売り飛ばされ、騙される。街では婦人や少女が誘拐され、性と虐待の対象となっている。こうして彼女らの尊厳は破壊される。この場所では、主イエスの死なれた意味さえ持つ人間の肉が、ペットの肉以下の扱いなのだ。一頭の犬のほうがブエノスアイレスで奴隷扱いされている少女たちより大切に扱われている。彼女たちは、足蹴にされ、脛を折られる。--ジャコウネズミ会話2013年3月22日 (金) 01:09 (UTC)

冒頭の “En esta ciudad” には、“esta” という指示形容詞があるので、「この街では」(英:in this city)の方が良いのでは?要するに、ブエノスアイレスのことでしょう。「人間の肉が、ペットの肉以下の扱いなのだ」← これはいい訳ですね。こういう自然で印象的な訳文がふさわしいと思います。“se deshacer” を英語の辞書を見ると“destroy onself”で、要するに代名動詞の受動的用法ですよね、多分。そうすると“deshecho, cha”(壊れた、ほどけた、乱れた、擦り切れた、溶けた)という過去分詞から来た形容詞と大体同意ですかね。どうも確信が持てないのですが、この語のなかに身体の部位を示す語素が含まれていないのなら、文章の流れから「憔悴して行く」ぐらいではどうでしょうか?後は、Henaresさん、Lorettibarrend さんにでもお聞きしないとわかりません。Tizizano会話2013年3月22日 (金) 02:00 (UTC)
「この街では」←御意。「憔悴して行く」→「破壊される」か「擦り切れていく」がよいと思います。--ジャコウネズミ会話) 2013年3月22日 (金) 02:04 (UTC)--ジャコウネズミ会話2013年3月22日 (金) 02:07 (UTC)
そのようにして参りました。その他気付いた微細な点は、出典の
1. の「毎日新聞」がイタリックになっている。
21. の「時事通信社」がイタリックになっている。
33. の「朝日新聞」がイタリックになっている。
同一出典の32、48、119のabc の関連づけの方法がわからない。

直し方がわからないので、お手数ですが、お願い出来ませんでしょうか。さしあたり、こんなところです。Tizizano会話2013年3月22日 (金) 02:27 (UTC)

イタリックは出典テンプレートの「仕様」なので、見逃してください。同一出典のまとめ方は編集の差分をご覧ください。--ジャコウネズミ会話2013年3月22日 (金) 03:58 (UTC)