ノート:フォード・GT40

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GT40の名称の発祥とされる記者について[編集]

GT40の名称について、現在のページでは「発表時に40インチという低車高に驚いた記者によって付けられた愛称が発祥とされている」とありますが、これには出典が無く、日本語版以外の言語にはこの記述は見られません。私個人で調べた限りでは「GT40の40は高さ40インチを表す」との記載はあっても、「40インチという低車高に驚いた記者によって付けられた愛称が発祥とされている」と書かれた資料は皆無です。 この文章が初めて記載された2008年8月27日(水)11:47版の説明では「FORDは今まで一度もGT40という呼び名では呼んでおらず、GT40という名は当時、その車高に驚いた記者が付けた通称である。」とありますが、「FORDは今まで一度もGT40という呼び名では呼んでいない」との説明は誤りであり(当時GT40と記載したフォードの資料がある)、この投稿者が他にも間違った知識を有していた可能性があります。そもそも名称の発祥という重要な出来事をどの資料にも書いていないのは不自然ですし、ただ"記者"とだけの記述も曖昧だと感じます(記者の名前、勤めている会社、書かれたであろう記事も無くわからない)。

このまま根拠となる出典が無い状態が続けば、記者云々の記載は削除すべきでないでしょうか?また、この「40インチという低車高に驚いた記者によって付けられた愛称が発祥」との出典のない説明は他のサイトや個人ブログなどで散見されるので、wikidediaでは「この情報は真偽不明」や「根拠となる資料がない」との文を記載してもいいのではないでしょうか?

いろいろ書きましたが、私自身この”記者”について確実に間違っているとは言えず、真実である可能性もあります。根拠となる資料が見つかるに越したことはありません。どなたか情報をお持ちでしたら些細なことでも構いませんので、ぜひ返信をお待ちしています。--哲学機会話2021年1月8日 (金) 16:14 (UTC)[返信]

Wikipediaの編集に日々ご協力いただきありがとうございます。そして、この度は編集上の重要な点にスポットを当てられたことに敬服いたします。この件はGT40に必ずと言っていいほどついてくる逸話の一つですが、おっしゃる通り私も書籍などで目にしたことがありません。また時間経過と伝承を繰り返せば不確かな記憶に尾ひれがついて伝わるものです。そこで私が所有するGT関連資料でなるべく古いものを改めてチェックしてみました。
1964年発表直後の出版物 (フォードパブリシティ、新聞、雑誌):時速200マイルを見出しにする記事こそあれ、車高40インチは外寸スペックの一つとしてサラっと記されているだけで、殊更強調する記事は見当たりませんでした。
Roy Lunn 著1967年SAE論文 "Ford GT Sports Car":フォードのGT事業首班であったロイ・ランによれば "Initial package studies showed that the essential components could be installed in a vehicle silhouette of 156 inches long, 40 inches high (hence the name GT 40), and 95-inch wheel base, and still meet the FIA requirements." とされています。
奥山、神田共著 (1968年執筆、1969年出版)「ル・マン24時間レースの伝統・その記録」、美智出版:日本の書籍なので高さはミリで記されており、あくまで外寸スペックとしての取り扱いです。40と新聞記者を結びつける記述はありません。
Karl E. Ludvigsen 著 (1969年執筆、1970年出版) "The Inside Story of the Fastest Fords", Torino; Style Auto Editrice:ロイ・ランはじめGT事業に関わった人物を中心に取材した書籍には、SAE論文と同様に、名前の40は初期設計での車高インチに由来している旨のみです。
以上参考まで。
名称に関してですが、型式GT (シリアル100番台) と型式GT40P (シリアル1000番台) をフォード自身が運用した1964年から1967年までのフォードパブリシティには、生産台数義務を負っていないスポーツカー (1964-1965年はFIA国際スポーティング法典付則C項のグループ4、1966年以降は付則J項のグループ6) の名称に "Ford GT" 以外の表記は皆無です。有名な66年の7リットル車は型式がGT40Pであっても "Ford GT Mk.II" が正式名称となっています。GT40を名乗るのは1966年に量産スポーツカー (FIA同J項グループ4) の公認を受けた4.7リットルクーペのみで、同時に1965年1月以前に製造されたGTも公認の対象となったため、それらも66年からGT40と名乗るようになります。では公認用50台の生産が始まる前の65年1月以前にGT40と呼ばれることがなかったかと言えばそうとも言い切れず、64年7月のランス国際12時間のエントリーリストには "FORD GT 40" とされています。ただし同年12月に2台出走したナッソー・スピードウィークのエントリーリストには "Ford Coba" (おそらく "Cobra" のタイプミス) と "Ford Cobra" とされているなど、当時のエントリーリストは今と違いかなり恣意的です。とはいえ非公式にはGT40と呼ぶ者もいたことは確かでしょう。蛇足ですが、マークIVの名称もフォードパブリシティではGTとは一切表記がなく全て "Ford Mark IV" であることも付け加えておきます。型式はGTP (シリアルJ台) なのですけどね。--COPPINO会話2021年1月10日 (日) 08:11 (UTC)[返信]
返信 COPPINO様、この度は貴重な情報をありがとうございます。
私も引き続き出典を探しています。記者についてもそうですが、「フォードは今まで一度もGT40という呼び名では呼んでいない」との記述もどこから湧いて出たか謎すぎます。英語版の過去ログには"The name of Ford's project, and the serial numbers dispel the story that "GT40" was "only a nickname."と記述があるので、過去にも似たような論争があったのでしょうかね?また、これは完全な憶測なのですが、当時英国フォードの広報部門にいたWalter Hayes氏はGT40誕生に深い関りがあり、フォード就職以前はジャーナリスト(Daily MailとSunday Dispatchの編集者、つまり記者?)であったらしいので、何らかの関係があるのではと思ったのですが、依然として根拠は見つかっていません。(一応当人の回顧記事も載せます)
https://walterhayes.co.uk/motorsport-article/30-years-of-the-ford-gt40/
話は変わって名称に関して、GT40の名称の発祥時期については不明ですが、1964年の早い段階(少なくとも64年5月31日のニュル1000キロレース以前)からフォード社のGTレーシングカー開発資料には”GT40 PROJECT”の記載がありました。この頃から既に車名ではなく開発プロジェクトとしてGT40の名称が使われていたようです。
https://performance.ford.com/enthusiasts/media-room/2020/12/gt40-development-.html
編集に関してですが、1964年のフォードの新車発表時のプレスリリースに"FORD GT"、量産車両のFIAのグループ4の承認書に”Model GT40”との記載があったためそれらが正式名称であろうと考えて編集させていただきました。マークIIに関してはマークIと同様だろうと考えて詳細な出典の詮索はしなかったのですが、Ford GT Mk.IIが正式名称とは勉強不足でした。また、そもそものWikipediaのページ名がフォード・GT40なので、初期のシャーシナンバー100番台の車両を”GT40の試作車両(プロトタイプ)”といった位置づけで編集させていただきましたが、これに関しても量産車両が正式な車両であると捉えるか否かで変わってきそうなので、議論の余地があるかもしれませんね。--哲学機会話2021年1月10日 (日) 16:50 (UTC)[返信]
1964年のテストレポートは、内容自体はそれほど新味はありませんが、この時点で内部文書に「40」が使われている点が興味深いです。逆にフォードモーター自身が公には全て「Ford GT」で通したのは、64年秋に投入されるマスタングGTの販促の目論見があり、両者の名前をリンクさせるためにすっきり「GT」とする必要があり、またスポーツカーであっても名が「GT」なのはこのためであろうと考えています。実際、GTの外形デザインやディティールはマスタングと共通性が持たされており、マスタングGTと同時に追加されたファストバックと見比べればよくわかります。両車のプロファイルを上下に並べた1965年広告図版はそれを象徴していると思います。
1年程前からフォード・インディアナポリスエンジンの新規立稿を準備しているので、オルタネータトラブルが興味深かったです。--COPPINO会話2021年1月13日 (水) 14:52 (UTC)[返信]
肝心な事項を書き忘れておりました。「新聞記者によってつけられた愛称」というのは、たとえ事実であってもとるに足らないトリビアに過ぎず、大事なのは車高インチに由来する点であり、どこの誰が名付けたかは本質ではありません。もし私が立稿するならそこには触れません。よって、しばらくの猶予期間を経ても出典が示されなければ削除して問題ないと思います。ただし、またトリビア開陳に心酔する者 (Wikipediaにはこの類が多すぎます) が後々書き加えるかもしれませんが。また同様にヘンリー・フォード二世がエンツォ・フェラーリに立腹した云々もよく出てきますが、これも私は後世の人の創作程度にしか考えていません。
また、記事名を「フォード・GT40」のままにしておくのも若干問題があると思います。--COPPINO会話2021年1月14日 (木) 15:56 (UTC)[返信]
”GT40”名称の発祥について重要な資料を発見したので報告します。
https://forums.autosport.com/topic/1098-ford-gt40/page-4
これは海外のGT40についての掲示板ですが、その中の書き込みに「August 1963:the whole GT 40 project had been given the name at Dearborn : Special Vehicles Activity」とありました。これはJOHN WYER著の"THE CERTAIN SOUND : THIRTY YEARS OF MOTOR RACING "という本からの情報らしいのですが、この情報が真実ならフォードは新車発表前の1963年の時点で”GT40 project”という名称を既に使っており、件の記者説を否定するものです。掲示板の書き込みであり、本の内容も確認が出来ないため真偽は判断できませんが、非常に重要な情報です。また、”GT40 project”について調べたところ、"1963 GT40 project"と書かれた資料をいくつか見つけました。
https://books.google.co.jp/books?id=UnNUiPWfnvQC&pg=PT80&dq=%22GT40+project%22++1963&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiwi5KJ6J3uAhXVF4gKHZcWADAQ6AEwAHoECAQQAg#v=onepage&q=%22GT40%20project%22%20%201963&f=false
https://www.autoevolution.com/news/original-ford-gt40-could-have-looked-like-this-63-sketches-found-in-archive-144765.html
上記の本の情報が正しいなら、”GT40 project”はフォード社命名のものなので、改めて記者説を否定します。更にフォードが1964年の新車発表の時点で車(とそのプログラム)を"GT40"と呼んでいたと判断できる資料も見つけました。
https://www.hemmings.com/stories/2015/06/18/why-has-ford-abandoned-the-gt40-name
どの資料も反論の余地がないとは言えませんが、いい加減資料探しも疲れたので個人的にはこれらを記者説を否定する”証拠”と判断してもよいのではないかと思います。--哲学機会話2021年1月16日 (土) 07:54 (UTC)[返信]
フォードが命名したプロジェクト名は "Special Vehicles Activity" で、"GT 40 project" というのは、ワイヤーの言葉ですね。出版が1981年で既に「GT40」という名が一般化している時期の回顧録ということを考慮すれば、対象物を明確化するために「GT40」と記している可能性が高いです。67年のランによるSAE論文には "Ford GT Project" と記されているので、このあたりの記述は書き手の都合のようです。ただし内部的には「GT40」と呼ばれていたのも確かだと思います。ですが、記者説を否定する根拠を示す意味もあまりなく、前述のとおり本質から外れた出典無き取るに足らないトリビアは一定期間を置いて削除して一向に構わないでしょう。--COPPINO会話2021年1月16日 (土) 15:39 (UTC)[返信]
結局真相は闇の中ということですね、白黒ハッキリしないのが何とも歯がゆい思いです。COPPINO様のおっしゃる通り、一定期間を置いて何の反応も無い場合、記述を削除して終わりとします。情報のご教授ありがとうございました。--哲学機会話2021年1月16日 (土) 16:16 (UTC)[返信]
告知から一ヶ月が過ぎ、何の反応も無いため当該記述を削除しました。--哲学機会話2021年2月9日 (火) 11:36 (UTC)[返信]

「記者説」について、一応新たな情報を追記しておきます。主な情報は海外フォーラムにあったSafir GT40 Spares社のBob Wood氏の書き込みからです(ネット掲示板なので信頼性は疑問が残りますが……)。

上記にもありますが、開発初期の段階から計画は”GT40 program”、車は”GT40”、と呼ばれていたようです。ただ、なぜ初期のプロトタイプがGT40ではなくフォードGTと名付けられたかは不明です。

後年にリメイク版が発表された時、GT40の商標権を取得されていた事で、フォードは仕方なく”フォードGT”という名称を使用しました。その際に元のレースカーの正式名称はフォードGTであり、GT40は単なるニックネームに過ぎないと発表されました。これは商標権の問題を隠すためのカバーストーリーであったとされています。

さらに、キャロル・シェルビー氏は雑誌のインタビューで「”GT40”は存在しなかった。それはイギリスのマスコミの作り話だった」、「どこかの団体が”GT40” の名称権を主張して、最近フォードに数百万ドルで売り戻そうとした」と語ったそうです。

シェルビー氏の意図は分かりませんが、記者説の発端がリメイク版の名称の問題から派生したと考えれば、過去の資料に記者について何の情報もないことも納得がいきます。

海外フォーラム 
https://www.gt40s.com/threads/ford-gt-ford-gt40-name-discussion.20691/
https://www.gt40s.com/threads/octane-magazine-carrol-shelby-ford-gt40-name.22345/
リメイク版の名称について
https://www.autoweek.com/news/a2114981/how-fords-gt40-became-just-gt-automaker-shifts-gears-name-after-negotiations-stall/--哲学機会話2021年6月19日 (土) 14:28 (UTC)[返信]

ロードバージョンの製造はグランドツーリングカーの公認を取得する目的であるとする記述と出典について[編集]

GT40がスポーツカー公認を取得した1966年においてグランドツーリングカー (GT) 公認を取得するには、連続12月間内に最少500車両の製造が必須であり、ロードバージョンを数十車両製造したところで公認されるものではありません。事実GT40がGT部門にエントリーしたことはありませんし、そもGT公認を取得していないのでできません。GT40にロードバージョンが存在するのは、スポーツカー公認に必要な50車両の売却を容易にするためです (これは「4.7LV8」から内部リンクで飛べる「フォード・チャレンジャーV8」にも記述しています。)。また公認取得とは同一型式を要件数「製造」することであり、ロードバージョンであるかどうか、販売されたかどうか、ナンバー取得できるかどうか、などは一切関係ないのです。よって、出典内容は極めて信ぴょう性に乏しいと言わざるをえません。Fédération Internationale de l'Automobile (1966年). “Fédération Internationale de l'Automobile Annexe J au Code Sportif International 1966” (PDF) (français). FIA Historic Database. Fédération Internationale de l'Automobile. 2021年10月2日閲覧。--COPPINO会話2021年10月2日 (土) 09:24 (UTC)[返信]

重要なご指摘ありがとうございます。グランドツーリングカー(GT)との表記は、65年までのGTクラスと66年のグループ4スポーツカークラスを混同したためでしょう。編集者である私も錯誤していました。ロードバージョン製造目的についても異議はありません。記述を訂正いたします。私の調べた限りではGT40ロードバージョンの情報は少なく、やむを得ず現在の出典となっています。もし当時の資料や、高次出典をお持ちでしたら、お手数でなければ出典の差し替えや追加、加筆などお願いいたします。
また話は変わりますが、レプリカであるとの理由で画像の変更をされましたが、現在トップ画像のマークIIもレプリカです。一応記述を「優勝"仕様"車両」とだけさせていただきました。Shelby Distribution commemorative Ford GT40 MkII”. 2021年10月6日閲覧。--哲学機会話2021年10月5日 (火) 15:45 (UTC)[返信]
出典を差替えて、一部改稿しておきました。出典のR.スペインと檜垣和夫によれば、1000から始まるGT40Pのうち、GT40の非完成車 (エンジンレスやキット販売など) とGTマークIIを除くとホモロゲーション用に製造された50台は1070までであることが判ります。1071から1073はホモロゲーション取得以降に注文対応した車両で、1074からウェズレイクヘッドのバリアントです。この辺りは檜垣和夫と符合します。そのうえで1000から1070までのロードカーをR.スペインで数えたところ、24台がロードスペックのロードカーで、1049のみレーシングスペックエンジンのロードカーということでした。31台というロードカーの数がどこから出てきたのかは存じませんが、JWAがフォードとのGT40事業受託契約が終了した後に、残ったシャシで完成車を数台売却したようなので、それらを足すと31台になるのかもしれません。--COPPINO会話2021年10月6日 (水) 16:36 (UTC)[返信]
シェルビーアメリカンGTマークIIの認識誤りのご指摘ありがとうございます。--COPPINO会話2021年10月6日 (水) 16:38 (UTC)[返信]