ノート:ファルマン III

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初稿のノート[編集]

今後の記事の発展のため、現段階でいくつか気付いたこと・不明な点などメモ程度ですが、こちらに書いておいてみます。

特に詳しい方、資料をお持ちの方、お気軽にお書き添えください。 --Tokorokoko 2010年12月31日 (金) 11:16 (UTC)[返信]

Farman IV の定義[編集]

当機種 Farman III の後続の型として、Farman IV というのがあります。
が、輪郭がいまいち不明瞭なように思います。IIIIV の明確なちがいは何か、

  • 特に1910年後半につくられた機体については、どこまでがIIIでどこからがIVなのか、
"Farman IV" の記述は、おもに旧ロシア圏や中国などに多いようです。そもそもこの呼称は、フランスのファルマン社がオフィシャルにそう呼んでいた名前なのか、それとも後年一部地域のみで通用している呼称なのか、このあたりがよく分かりません。

代々木錬兵場の「初飛行」について[編集]

 諸説 見解が分かれる部分です。ともすれば例によって徳川・日野「どっちが先だったか」ばかりに重点が置かれ無益な編集合戦の末に読みづらい記事に成って行ってしまう可能性も孕んでいそうです。 第一に、本項はファルマンIIIという機体(機種)についての頁であること、と、資料により立場により記述が相違してる部分なので あまり単独の資料に根拠る数値や詳細の記述は 見方によっては著作権を侵害してしまう可能性があるかなと考え、少なくとも2点以上の資料で確認のとれる必要最低限の記述にしました。 この部分の編集をされる方は 以上の点もご留意の上、Wikipedia:中立的な観点になるよう、より良い方向にお願いいたします。

  • 今後、たとえば、ですが「日本初の公式動力飛行 (1910年12月)」とか、「日本における初飛行」などの記事名で、この数日間についての記事を別に立てて、そちらで経緯を詳しく(実際に起こった事を時系列で)言及し、本項や各関連項からは、詳細は「○○(記事名)」を参照。とリンクする方が、もしかしたら適切で、全体的により良くなるかも知れません。
現在は、徳川好敏日野熊蔵 の「経歴」欄と、12月19日の項に多少関連する記述が散見される状態です。
分割や統合が必要な場合は、Wikipedia:ページの分割と統合の手順に従って行ってください。

プロペラの行方[編集]

ファルマン機のプロペラについては疑問も多く、ある程度の記述は必要かもしれません。
ただ、wikipediaの規定上では「独自研究」で片付いてしまうかも知れません。

―購入時に2本の予備プロペラ付で買ったはずのファルマン機ですが、後に、プロペラの換えがない、と困ってしまっています。徳川班は(当初の公式飛行の初日だった)15日に、突風で煽られ着地に失敗してプロペラを折ってしまいました、という下りがあります。機体はすぐに修理しましたがプロペラだけは替えが無くて、翌16日は飛べませんでした。―

整理するために、まず "ファルマン号"に最初からついていたプロペラを A 、予備の2本を B1, B2 、奈良原さん提供のものを C としてみます。

  • このうち15日に折ってしまったプロペラがどれなのか、つまり当初この公式飛行に際し付けていたプロペラがどれなのか、分かりません。
    • A については、機体が横浜港に到着した時点で既に、「輸送中にインド洋通過時の熱で接着剤が剥がれ 使い物にならず、予備のプロペラも到着予定がわからず、」(『初飛行』村岡正明)とあります。2本の予備 B1,B2 は公式飛行前には届いたのか、同じように使用不能になってしまったのか、インド洋を通過しない別のルートで送られてきたのか、それとも結局Aをボンドか何かで接着しなおして使用にあてたのか、そのあたりは分かりません。
    • 結果的に19日に付けて飛んだのは、奈良原さん提供の、上野の国立科学博物館に現存するC(船を漕ぐパドルのような形状のプロペラ)です。これは彼の東京製作所製というわけではなく、彼の私物のGnome社製エンジンについていたものを嵌めてみたらぴったりだったとのこと。C1,C2と複数あったのかは不明です。
    • ちなみに4月以降、所沢飛行場で喜多川秀雄さんが撮影された写真群の中のファルマン機には、木製流線型の純正プロペラ(のように見えるもの)がついています。これがB1,B2かなとも推測されます。Aと同様に輸送時の熱でやられなかったのか?フランスから後に別の航路で再送してもらったB3,B4,,などだったのか、は分かりません。