ノート:セカイ系/過去ログ6

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セカイ系作品のリストについて

作品紹介で結末まで書かれた文章が多いです。セカイ系の性質上、難しいとは思いますがネタバレになる文章は控えてください。--222.15.219.207 2007年5月21日 (月) 02:01 (UTC)

セカイ系作品のリストについてですが、どうも拡散しているように思えてなりません。Wikipedia:検証可能性に則って明確な掲載基準を定めませんか?

手元の文献をみる限りでは『イリヤの空』『ほしのこえ』『最終兵器彼女』の3作はセカイ系作品の典型例として言及されることが多く、これをセカイ系作品の例としてあげることは問題ないと思います。しかし、他の作品に関して、こうした文献を根拠にした確認は取れるのでしょうか?つまり、「**はセカイ系」であると明確に書かれた文献は存在しているのでしょうか?文献明示できない作品例については、編集者の「独自研究」とみなして削除するべきだと思うのですが、いかがでしょうか?ここでいう「文献」とはWikipedia:検証可能性で認められている情報源を指します。

おーた 2007年5月19日 (土) 16:40 (UTC)

まず、「セカイ系とは?」の定義をはっきりさせるべきでしょう。ただ、本文にもあるように定義が一定ではないのも事実なようですが。定義の定まっていないもののリスト化はナンセンスではないでしょうか?--KoZ 2007年5月23日 (水) 00:17 (UTC)
定義についても、きちんとした文献に基づいて記述を整理したいですね。現在、「参考文献」にあげられている文献をざっと目を通して、現在の記事の中でどの程度の記述について裏が取れるか見ているんですが、大半は「独自研究」でアウトみたいですね。参考文献のリストにも問題があって、例えば『右翼と左翼』の中で「セカイ系」の記述があるのは、p.199の2行だけ。それも大したことが書いてあるわけでもありません。こういうのも含めて、整理作業にかかってみたいと思っています。
ただ、それとは別にリストについては整理できるのでは無いでしょうか。例えば、『リアルの変容と境界の空無化』笠井潔 や『波状言論臨時増刊号 HAJOUHAKAGIX 美少女ゲームの臨界点』などには『イリヤの空』『ほしのこえ』『最終兵器彼女』をセカイ系だと明記しています。西尾維新の作品については『「近代文学の終わり」とライトノベル』笠井潔 では「「セカイ系」の影響が濃厚な舞台設定」としつつも少し違うと書かれています。文献に「セカイ系である」と書かれている作品のみをリストに載せることにしてしまえば、現在の本文記事のリストもかなり整理できるのではないでしょうか。
おーた 2007年5月23日 (水) 14:39 (UTC)
参考文献に上がっていた『「人間嫌い」の言い分』 長山靖夫にも今、目を通しました。これも、「たまたま」セカイ系に言及している箇所が1箇所だけあるという程度で、本全体の趣旨としてはまったく関係の無い本です。こういうのを参考文献にあげるのは間違えているんじゃないでしょうか。
おーた 2007年5月24日 (木) 15:39 (UTC)

現時点で、参考文献に上がっている本と手元にある資料からセカイ系への言及のある箇所を抜き書してみました。(→ノート:セカイ系/参考文献抜書)こうしてみると、『イリヤの空』『ほしのこえ』『最終兵器彼女』をセカイ系だとするのは多くの論者が一致して書いています。ただ、元長柾木論文ではセカイ系の根幹概念は「世界をコントロールしようという意志」と「成長という観念への拒絶の意志」の二つであるとして、その源流をそれぞれ清涼院流水と上遠野浩平に求め、高橋しん、新海誠、秋山瑞人、木城ゆきと、川上稔、大暮維人、西尾維新、うえお久光などをその影響下にあるセカイ系作家としています。ただし具体的な作品名はあげていません。

現在、東浩紀編集の「波状言論」の完全版(『S改』でも『F改』でもない、コンプリート版です)を取り寄せています。色んな論者が発言している本ですから、抜書きもかなり増やせるんじゃないかと思いますが「文献に基づいた記述」という観点からするとやはり現在の作品リストは大幅に削らざるを得ないのではないかと考えざるを得ません。

皆様がお持ちの文献からノート:セカイ系/参考文献抜書を充実させていただけると、もう少し議論が進むのではないかと思います。よろしくお願いします。 --おーた 2007年5月29日 (火) 15:05 (UTC)

「波状言論」が手に入ったのでノート:セカイ系/参考文献抜書に書き足しました。それを元にして、現在のリストに上げられている作品がどの程度、文献に裏付けられているのかをカウントしてみました。ノート:セカイ系/作品リスト作業ページをごらんください。『エヴァ』『ブギーポップ』『イリヤの空』『ほしのこえ』『最終兵器彼女』以外は壊滅です。この結果に基づいて、現在の本文ページのリストを大幅削減しようかと思います。文献の裏づけが取れたらリストに加えるというルールでいかがでしょうか?おーた 2007年6月3日 (日) 14:11 (UTC)

作品リストを追加する人の大多数はセカイ系だから載せようと言うより、自分の好きな作品だから載せようと考えています。アニメや漫画などでの作品例や代表キャラはどこもそんな感じです。削除自体には賛成ですが、削除してもまた根拠のない作品がどんどん追加されていくでしょう。削除と同時に作品を追加するためのローカルルールも決めておくべきと思います。例えば作品を追加するときは参考文献を提示する。定時のない作品追加は即削除対象とするなど。--222.15.221.4 2007年6月4日 (月) 06:56 (UTC)

そのとおりですね。そのローカルルールに賛成します。リストの先頭にコメントアウトの形で明記しておきました。リスト追加しようとした人には、これで分る筈です。(が、似たようなことを過去にやってますが、それでも読まずに書き込む人はやっぱりいたりします。その程度は仕方ないということで。)おーた 2007年6月4日 (月) 14:14 (UTC)
現在の作品リストに参考文献が併記されていません(他の項にあるのでは不十分。作品リストの項目内に無いと言うこと) これだと俺が選んだのは文献無しでいいけど俺より後は文献出せと言うルールになってしまいます。書かれた方は参考文献を併記してください。--61.202.87.26 2007年6月6日 (水) 09:11 (UTC)
ご意見、ありがとうございます。文献の提示はノート:セカイ系/作品リスト作業ページで示せば十分と思ったのです。つまり、後からリストに書き込みたい人はノート:セカイ系/作品リスト作業ページノート:セカイ系/参考文献抜書に文献を示せば良い、ということなのですが。--おーた 2007年6月6日 (水) 14:32 (UTC)
それは本文を見てノートを見て抜書まで全て見てから編集することが前提になっています。しかし多くの編集者はそこまでしないでしょう。ノートすら見ずにいきなり編集する人も多いと思われます。もし作品例と同じ場所に参考文献が併記されていないとその気軽な編集者は自分も併記せずに作品を追加してしまうでしょう。作品が無闇に追加されるのを防ぐ意味でも作品例のところに参考文献を書いておくべきと思います。また作業ページはあくまでも一時的なものです。最終的には作業ページ無しで本文のみでも成り立つような構成が望ましいです。--222.15.219.245 2007年6月7日 (木) 13:11 (UTC)
なるほど。お気軽な編集者が相次ぐようでしたら、そのような処置を考えましょう。作業ページは編集が続く限り、あって構わないと思いますけれど。--おーた 2007年6月8日 (金) 14:41 (UTC)
いきなり除去の編集があったのでやはり出典があることがわかりづらいのだろうと判断して、すべてに出典を追記しました。もっとも除去された作品はいったん復活させたものの「複数著者の複数論文」という条件を満たさないことが判明したので結局再除去しました。--emk 2008年1月11日 (金) 22:42 (UTC)

(インデント戻します)出典明示作業・整理作業ありがとうございます。ただ、編集履歴を追いかけてちょっと気になることが出てきました。というのは現在のリストにある「複数の著者の複数の論文(後述の参考文献参照)にてセカイ系であろうと言われている作品をここに挙げる。」という注意書きはKozさんの2007年8月30日の編集によるものなんですが、このノートに書かれている「ローカルルール」のどこにも「複数著者の複数文献」とは書かれていません。私の記憶でもそれは議論されなかったように思います。 確かに「複数著者の複数文献」というシバリを入れておいた方がリストが膨張しなくて良いのですが、ここは合意を取っておいた方が良いかなと思った次第です。皆さんの考えはいかがでしょうか。--おーた 2008年1月12日 (土) 03:50 (UTC)

一覧を見直して気づいたのですが、現在一覧に含まれている作品はすべて本文中でも言及されています。WP:TRIVIAが正式化されたこともありますし、本文に組み入れ済みなら一覧を維持する必要はないと思うので、さらに一歩進めて一覧そのものの除去および作品を追加するときは文脈を持った文章にすることを提案したいのですがいかがでしょうか。日本語版からの翻訳で作られたらしいzh:世界系でも一覧は省略されているようです。--emk 2008年1月12日 (土) 12:54 (UTC)
「複数著者の複数文献」たぶんに最大公約数的な一覧にしたかったのだと思います。評論者によって定義の統一が取れていない以上、作品Aが評論Bではセカイ系だが評論Cでは異なるというのが出てきますし、それを一覧化するのは不可能と判断しました。--KoZ 2008年1月16日 (水) 11:31 (UTC)
印象として、評論A,B,Cの論理和でリストを構成してもたいして膨れ上がらないと思いました。最大公約数で絞り込むこともなかったんじゃないかな、というのが正直なところです。が、Emkさんがいうようにリスト自体を削除しちゃうのが、判りやすくて良いかもしれませんね。--おーた 2008年1月16日 (水) 15:24 (UTC)
反対はなさそうですし情報量が減ることもないので、リストの除去を実行しました。蛇足ですが多少出典が怪しくてもいいのでセカイ系と呼ばれることがある作品を知りたいだけなら、リンク元を見れば済みます。--emk 2008年1月19日 (土) 17:20 (UTC)

本文記事の文献の裏づけについて

現在のセカイ系本文記事についてノート:セカイ系/参考文献抜書からどれだけ裏付けが取れるのかやってみました。ノート:セカイ系/本文記事整理作業をごらんください。現時点での本文記事の大半は文献的な裏付けが取れない文章、つまり独自研究の領域であると私は考えます。

もちろん、参考文献の集め方に問題があるのかもしれません。しかし、百科辞典編集としては、裏付けが取れない文章はまず削除して、裏付けが取れた時点で復活させていくという手続きが適していると考えます。今まで執筆に寄与していただいた方々の労苦に対して大変心苦しくは思うのですが、現在のノート:セカイ系/本文記事整理作業の結果や、ノート:セカイ系/参考文献抜書に基づいてセカイ系本文を書き直させてください。

その後は、セカイ系に関する文献があれば、それをノート:セカイ系/参考文献抜書に加えた上で、記事を書き足して行くというルールで進めていくというのではいかがでしょうか?

おーた 2007年6月3日 (日) 22:02 (UTC)

本文記事を大幅に書き直しました。Wikipediaのガイドラインに沿って、より良い記事にしていくための皆様の参加を歓迎します。おーた 2007年6月4日 (月) 14:16 (UTC)

表現を戻しました

Zooey7788さんには悪いのですが、Zooey7788さんの手の入る前の表現に戻しました。納得できないかもしれませんので、一応、問題の箇所と理由を書いておきます。

「セカイ系は、アニメ漫画ゲームライトノベルなど、サブカルチャー系作品におけるストーリーの類型の一つ」→アニメ・マンガ・ゲーム・ライトノベルは「作品」ではありません。

「『セカイ系』という言葉は、明確に定義されないままインターネットなどを通じて広がった。そのため、言葉の意味に関してはさまざまな説があり、社会学現代文学論、サブカルチャー論などの分野で言及されている。 」→言葉の意味についての様々な説が社会学や現代文学論、サブカルチャー論などの分野で言及されている、という内容になっています。以前の文章では、意味について色々な説があるけれども、「セカイ系」という言葉は社会学や文学、サブカルチャー論などで言及されているという内容でした。

「批評誌『波状言論』は「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義している」→『波状言論』は批評誌ですか?批評が載っているとはいえ、メールマガジンを批評誌といってしまってよいものでしょうか?また「批評誌『波状言論』は……定義している」のように人格的な主体として扱うのは適切ではありません。あくまでその編集部あるいは東氏の定義です。

「代表作は、新海誠のアニメ「ほしのこえ」、高橋しんのマンガ「最終兵器彼女」、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』である。」→これら三作品を代表作としてあげる根拠が註で示されていたのに、註より後ろに代表作を提示する一文がきてしまった為、出典が示されていないことになっています。

以上です。--コータ 2007年6月9日 (土) 14:43 (UTC)

本文記事と作品リストの編集についてのローカル・ルール

このセカイ系は、独自研究とされた書き込みが相次いで何度も編集合戦が起きました。また、各編集者の独自判断によって合意なきままに作品リストが膨張した過去があります。 そこで、現在はローカル・ルールが導入されています。簡単に書けば「文献に基づかない編集は行わない、リストの追加は行わない」ということで、Wikipedia:検証可能性を厳密に適用したものです。Wikipedia:検証可能性に明示されているとおり、「個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません」し、「ブログや掲示板の発言」も情報源としては認められていませんので注意ください。

本文記事の編集について

新しい記述には、必ず情報源としての文献を脚注としてつけてください。また、参照した箇所をノート:セカイ系/参考文献抜書に書き加えておいてください。文献に基づかない編集者の意見は「独自研究」として削除されます。「こんなの常識だ」と主張したい場合もあるでしょうが、常識であれば何らかの形で文献に現れている筈ですし、文献なき主張はWikipediaのガイドラインが求める検証可能性を満たしません。

作品リスト追加について

8月20日に西尾維新『戯言シリーズ』をリストに書き加える編集が行われましたが、ローカル・ルールに従よるノートの議論を経ていませんでしたので、コメントアウトしました。

それはともかく『戯言シリーズ』がセカイ系なのかどうかについては難しい問題です。狭義のセカイ系には合致していないことは明らかですが、広義のセカイ系には入ると考える人もいるでしょう。しかし、現時点では『戯言シリーズ』をセカイ系だと明言する文献が見つかっていません。ノート:セカイ系/参考文献抜書にはかろうじて笠井2004bに「四作家のなかで特異な位置にあるのが、西尾維新である。「セカイ系」の影響が濃厚な舞台設定にもかかわらず、…(中略)…西尾のスタンスは微妙に異なっている。」と書かれている程度です。元長にも西尾維新がセカイ系作家であるという記述はあるものの作品名はあげられていません。従って、現段階ではリストに入れられないというのが私の判断です。新しい文献の提示が待たれるところです。--おーた 2007年8月27日 (月) 08:04 (UTC)

「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」について

Swindさんによる「ポストエヴァンゲリオン症候群」の書き込み[1]について、記述箇所を移動しました。「このライトノベルがすごい2005」からの引用ということですので、ノート:セカイ系/参考文献抜書の方へ該当箇所を追記していただければと思います。(私の手元には「このライトノベルがすごい2006」からしかなくて、参照できませんでした。)Wikipediaの一般的水準からすると、参考文献の抜書を作ることは普通しないのですが、サブカル系の記事は「独自研究」やら「検証可能性」などで何かと問題があげつらわれています。こんなカタチで「百科事典としてとやかく言われない記事」として例の一つになればと考えていますので、よろしくお願いします。--おーた 2007年10月8日 (月) 01:22 (UTC)

出典は「このライトノベルがすごい!2005」のライトノベル読み解き辞典です。「セカイ系」の項は200字あるかないかといった極めて簡潔な解説ですが、『またの名を「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」。』(p.140 最下段3-4行目)と明記されておりましたので、出典を明らかにしつつ記事のほうへ追記いたしました。WP:Vは十分満たしていると考えております。ノート:セカイ系/参考文献抜書のほうにも追記しようとは思ったのですが、ページ自体が著作権法的に危なそうなので躊躇しております。このようなページの必要性や法的正当性に関して、何らかの根拠・議論があればお示し頂きたいと思うのですが……--Swind 2007年10月8日 (月) 02:32 (UTC) 一部追記 Swind 2007年10月8日 (月) 02:38 (UTC)
回答ありがとうございます。抜書が著作権に触れるかという点ですが、引用に該当するので触れないであろうという判断の元に作成しております。それから、引用箇所のページ数などは本文の脚注の中に書いておいていただけると有り難いです。最後に、この引用の信頼性についてなのですが、著作者が不明なのでそこが弱いですね。編集部のどなたかが書いたにせよ、匿名者による著作になってしまうのでその点は「週刊誌の無署名記事」と同程度になってしまいます。例えば大森望さんあたりが書いておられるのなら、それなりの専門家として認められるのですが、引用箇所に署名はありませんでしたか?--おーた 2007年10月8日 (月) 05:05 (UTC)
残念ながら署名は見当たりませんでした。ただ、たかだかと言っては御叱りを受けるかもしれませんが、単に別称のことに言及するのにそこまで神経を使う必要がありますでしょうか。こういった書籍ですと署名が無いものも多く、そこまで求められてしまうと編集がやや難しい状況になってしまいます。しかしながら、確かに、出典元として信頼度はそれほど高いものではないというのにも同意いたしますので、より良い出典があれば付け加えて頂ければ幸いです。
私がノート:セカイ系/参考文献抜書に関して心配しているのは、主に「主従関係」を満たすのだろうかという点にあります。主たる文章が当該ページにありませんので、引用の要件を満たさないのではないか、ということです。著作権法上の主従関係について詳しく知っているわけではありませんので合法かどうか判断できず、とりあえず参加見送りという形を取らさせて頂いております。なお念のため言っておきたいのは、私の言はノート:セカイ系/参考文献抜書を問題視するものというよりも、単に私がノート:セカイ系/参考文献抜書に何かを書き加えることに躊躇する理由であるということです。したがいまして、削除するべきだとか、そういう意図は一切ございません。--Swind 2007年10月8日 (月) 06:40 (UTC)

引用部分が分かるようにしてください

今はどこからどこまでが引用された文章かわからず、編集しようと思っても どこからどこまでが改変可能な範囲なのか分かりません。 引用を大きく書き換えてしまう可能性が高いです。 引用した部分と参加者が執筆した部分ではフォント変更(ボールドやイタリック)等を 使いわけてください。--61.117.105.168 2007年12月22日 (土) 21:53 (UTC)

今の本文は個人論文の形式ですね。wikipediaの長所である、大勢で加筆していくことを完全に拒否したものとなっています。上で言われているとおりこのままでは編集で引用部分を書き換えてしまう恐れがあります。となると引用がないまま出典表記のみ残ってしまい、羊頭狗肉になります。最悪一度記事を削除して白紙にするか、かなり前の版まで戻すことも検討すべきでしょう。--210.224.16.100 2008年1月22日 (火) 03:05 (UTC)

私が今の本文の元型を執筆しました。既存論文を参照してまとめたレビューですが、これが何故問題なのか判りません。既存の百科事典を見てもらえば判るように、百科事典としてはごく普通の書き方です。また、加筆していただくことには何の問題もありません。Wikipediaのガイドラインが定める、信頼性があって、検証可能性を満たす文献を出典として、論理の破綻なく書いていただければよろしいだけです。白紙化については、一度Wikipedia:削除依頼/セカイ系で削除提案が却下されていますのでご参考にどうぞ。前の版に戻すことは、独自研究の記述だらけの版に戻すということですからWikipediaのガイドラインに逆行するので賛成できません。 ところで、何か書き加えたいことがあるのでしょうか?ここでそれを書いていただければ、皆で議論して加筆に値する内容ならどのように本文に挿入するのか考えることが出来ると思いますけれど。--おーた 2008年1月22日 (火) 16:07 (UTC)

+「既存論文を参照してまとめたレビュー」と言うのは、既存論文の主張とあなた個人の主張が混じっているわけです。そして第三者にはどこが既存論文の主張でどこがあなた個人の主張なのか区別がつきません。既存論文の内容を編集してしまえばそれは偽造捏造になってしまいます。それを恐れるとなにひとつ編集できないわけです。文章の中身ではなく、引用と個人の主張が非常にあいまいであることが問題になっているわけです。

  • 既存論文からの完全な引用(一字一句そのままな引用)
  • 既存論文の内容を短くまとめた上での引用(まとめ方が適切とは限らない)
  • 単一の論文を読んで導き出した解釈(論文発表者の意見とは限らない)
  • 複数の論文から導き出した解釈

ぱっとあげただけでもこのようにいろいろな区別があり、それぞれ改変してよいかどうかは異なります。その区別をはっきりさせなければいけないということです。--202.209.212.100 2008年1月24日 (木) 03:20 (UTC)

よく判んないんですけど、「完全な引用箇所」が特定できたとしても、「既存論文の内容を短くまとめた」部分の特定も、既存論文の内容も知らなければ、まともな加筆修正なんて出来ないんじゃないの?そのために、執筆者は出典明記するんでしょ?「元ネタはここですから、どうぞ検証してください」って。で、加筆修正者はその文献に目を通した上で、現行記事に独自研究が入っていないかどうかをチェックするんじゃないの?
もちろん、手に入りにくい文献っていうのはあるんだけどさ、そういうのは言っていただければできるだけ協力しますよ。でも、大半は図書館などで簡単に調べられる本なので、何でそういう調べ物を自分でしないで人に要求するのかなぁ、と不思議な気分です。
ただ、そういうことを言っていても始まらないので、やるなら具体的な話をしませんか?現行のどこの部分が問題だと考えておられるのでしょうか。私が書いた部分であれば、具体的にお話ができるのですが。--おーた 2008年1月26日 (土) 05:14 (UTC)

「編集前の注意」除去の提案

{{編集前の注意}}は、その名が示す通り調べ物をしているだけの閲覧者にとっては意味のない、邪魔なだけのテンプレートです。編集者にしか関係ないなら、ソース中にコメントで注意書きを入れておけば十分ではないでしょうか。コメントを無視して編集する人は、何が入っていても結局無視するでしょう。実際このテンプレートが入ってからもローカルルールに基づかない加筆のリバートやコメントアウトが何度も行われており、実効性に疑問があります。--emk 2008年1月22日 (火) 21:41 (UTC)

特に意見はなさそうなので実行しました。--emk 2008年1月27日 (日) 07:13 (UTC)

9月24日と25日のIP氏の加筆について

掲題の件、IP氏よりリバートの理由を明らかにせよと要約欄にありましたので書いておきます。 IP氏が書き入れたのは

(情景としては「無敵超人ザンボット3」と正反対)

ですが、この部分は[2]を出典として書かれた部分なので、このような書き込みはあたかも[2]にそのような言及があると読者に誤解されるので認められないと判断しました。IP氏にお願いしたいのは

  • 継続して編集に参加する気があるのであればアカウントを取る。
  • 書き込みたい部分の出典を明らかにする
  • 既存の記述が何を出典として書かれているのかを把握して、その参照関係を破壊しないような編集で書き込みを行う

の三点です。ノートの過去ログを参照していただければお分かりになると思いますが、この項目は過去に相当に荒れましたので出典はかなり厳しく要求されています。そのあたりを斟酌いただければと思います。--おーた 2009年9月25日 (金) 10:29 (UTC)

2009年10月11日(JST)の大幅改稿について

セカイ系についても、ようやく一般書籍の形で文献が出てきました。それらを受けて改稿しています。主な要点は下記の通りです。

  • 笠井潔の論文は『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』に概ね収められましたので、そちらを出典としました。本文もいくらか修正しました。
  • この他ムックや雑誌を出典としていたものに対して、一般書籍で同様の記述が見つかった場合は出典を変更しました。
  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』でのセカイ系批判は、取り上げておくべきだろうと考えて本文で言及しました。
  • 久美沙織の批判も取り上げておきました。これは笠井潔も言及していますので。
  • 脚注ですが、ref nameタグを使って文献をまとめるのをやめました。本文を書き換えるときにとても苦労したからです。確かに見てくれは悪いのですが、今後の加筆やメンテ作業の事を考えると、こちらの方が良いと判断しました。

--おーた 2009年10月10日 (土) 16:30 (UTC)