ノート:スターリニズム

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アジア的専制[編集]

  • 中国や北朝鮮はスターリン主義の影響に加えて、内的なアジア的専制という歴史的体質が加味され、スターリン主義よりもさらに露骨な独裁体制となり、北朝鮮の個人崇拝世襲体制は国家や社会の金日成-金正日一族による私物化であり、社会主義とは無縁であるばかりか反社会主義的であり、さらにスターリン主義的独裁体制ですらない専制体制といえよう。

2006年4月6日 (木) 05:28にコメントアウトとした1段落を上に載せておきます(差分)。あとから書いたのに一番上に持ってきていますが、読みやすくなるだろうと考えてです。お許しください。Iosif 2006年4月6日 (木) 09:28 (UTC)[返信]

沢田様:疑問に思うことがあり、いったん上の1段落コメントアウトしました。以下3点の理由によるものです。しかし圧倒的に沢田さんがお詳しいはずですので、事実上、質問です。ご教示いただければ幸いです。

  1. 「アジア的専制」と、アジアにおける実際のスターリニズムの形態を結びつける議論は、たしかにあったと思いますが(アジア的生産様式で説明しようとして大著を記した人がいましたが名前を失念しました)、そのように論じる人は(有力な人物であっても)何人かに限られているのではないのでしょうか?。(A)「アジア的専制」を実際に中国や北朝鮮の歴史体質だと言ってしまっていいのか議論の余地があり(私にそれを論じる能力はありませんが)そもそも「歴史体質」とは何なのかという規定さえ難しいこと、(B)「アジア的専制」概念に拠らないとしても、中国や朝鮮の歴史体質と「さらに露骨な独裁体制」とを結びつけるのは多くの地域研究者が挑戦しているがなかなか困難であること(せいぜい後進性による説明でしか一致しないこと)、(C)そもそも(A)のポイントと(B)のポイントを結びつけるのも容易な仕事ではない……と認識しています。そのため、「中国や北朝鮮はスターリン主義の影響に加えて、内的なアジア的専制という歴史的体質が加味され、スターリン主義よりもさらに露骨な独裁体制となり」という表現はバッサリやりすぎている気がします。編集意図をお聞かせいただけますと幸いです。
  2. 北朝鮮が実際に指導者の恣意的決定がすべて実現する完全個人専制であるのか、ポストスターリン主義体制であるのかは、まだ議論の分かれるところだと思います。私個人には、金正日と言えど、スターリンと同じように公式のイデオロギーとこれまでのプロパガンダに拘束されてしまうことから、まだ完全には脱していないように見えます。
  3. 「社会主義とは無縁であるばかりか反社会主義的であり」という記述についてですが、これは北朝鮮のみならずソ連に対してもそう考える人が多くいます。そもそもスターリニズムという用語自体がソ連に対して社会主義とは無縁と考える立場からのものだという“誤解”が多く生じているくらいですから(つまり、ソ連に対して、批判的であっても社会主義に向かっていることは認めて労働者第二革命を期待するという立場の存在など一般的には忘れられていたり/←それをきっちりわかっていたうえでそんな立場を全否定している人も多いせいで)、スターリン主義は社会主義とは無縁と考える人は多くいると認識しています。にもかかわらず、北朝鮮に関する記述でのみ「反社会主義的」と書くと、反スターリン主義者のほとんどがソ連・東欧については反社会主義的とは考えていなかったかのような記事になってしまうと思います。

ぜひご意見ください。--Iosif 2006年4月5日 (水) 20:46 (UTC)--大きく修正。--Iosif 2006年4月6日 (木) 01:00 (UTC)--小さく修正。--Iosif 2006年4月6日 (木) 01:12 (UTC)[返信]

Iosif追記:名前失念と書いた人物について、思い出しました。
難しくて歯が立たなかった遠い昔の記憶があるのみですが、スターリン主義解釈において「アジア的専制」概念を用いた人の代表として真っ先に思い浮かべました。ウィットフォーゲルは、中国はともかく、北朝鮮まで論じるのには無関係かもしれませんが、「アジア的専制」として議論をする人はそうとう限られているだろうと思って、上に書いていました。あと「アジア的スターリン主義」という語もしばしば用いられますが、論者によって概念規定がまったく違うようですし、合意に向けて議論されたりもしていないのではないでしょうか。Iosif 2006年4月6日 (木) 09:28 (UTC)[返信]

反スターリン主義、その他[編集]

体系としての反スターリン主義は日本にのみ現れた傾向・潮流なので「日本においては」を復帰させました。あと、「アジア的専制」が反復していたので、文章を整理しました。--以上の署名のないコメントは、219.45.61.28会話/Whois)さんが 2006年6月24日 (土) 09:33 に投稿したものです。署名補填はIosifによる

発言順に並べるため、この小節と上の発言の位置を移動しました。--Iosif 2007年3月11日 (日) 18:54 (UTC)[返信]
はじめまして。Iosifと申します。1点質問、1点ご意見をしたためます。
  1. 「体系としての反スターリン主義」となるとそうなのかもしれないですが(よくはわからないのですが)、となるとリンク先(反スターリン主義の項目)の説明と食い違ってこないでしょうか? そこが気になるので「日本においては」の部分をコメントアウトしたのですが、「日本においては」の部分について、ノートもしくは本文中でもう少し解説していただけると助かります。リンク先と読み比べて「どっちなんだ?」となってしまうのです。というのも、トロツキー支持者(またはシンパ)に言及している部分も「反スターリン主義」に書き換えた方もいらっしゃいましたから。
  2. 「アジア的専制」に関してコメントアウトした部分を復活なさって「アジア的専制としてのスターリニズム」という表題で節を設けられていたので、加えて私のほうでは、「アジア的専制」の語でスターリン主義を説明しようとした人を挙げて、そのあとに北朝鮮に関する言及をつづける体裁にしてみました。中国・北朝鮮がとりわけ過酷な体制だる云々というのは比較基準がないため削りました。……しかし、ウィットフォーゲルが「アジア的専制」概念を適用したのはあくまでソ連を中心にしたスターリン主義全体に対してですし、中国の政治体制を別類型するのに成功したわけではありません。まして、北朝鮮ともなると、言及していた記憶もありません。私が北朝鮮を、世に言われるほどユニークな国家だと思っていないというのもありますが、「アジア的専制」の語をもちだすならもう少し厳密に切り分けたほうがいいと思います。具体的には、現段階では中国・北朝鮮への言及と、この用語を結び付けないほうがいいと思っています。ご意見をお聞かせください。「アジア的専制」概念を持ち出すなら、「共産主義のアジア的受容形態/マルクス主義運動のアジア共通受容形態」に関する論考(各国に関する地域研究個別にしか存在しないと思いますが)や、「アジア的スターリニズム」論(吉本隆明だったでしょうか?)にも言及しないと変だと思いますが、それは「独自の研究」だということになりますよね。 --Iosif 2007年3月11日 (日) 18:54 (UTC)[返信]
失礼しました。218.180.224.17さんと219.45.61.28とIPが違うのを区別していませんでした。上記は218.180.224.17さんが修正なさったと思って書いたものですが、同じ方でしょうか?--Iosif 2007年3月11日 (日) 20:09 (UTC)[返信]
現在の記述だと「アジア的専制」論の対象が曖昧になっています。中国や北朝鮮が対象なのか、ソ連も含めたスターリン主義体制一般なのか。いずれにせよ「アジア的専制」論はそれほど有力な説ではないので、独立した節で紹介する必要はないと思います。--Kazhik 2007年3月12日 (月) 13:03 (UTC)[返信]

こんにちは。「反スターリン主義」に関してですが、これは黒田寛一が提唱した特定のイデオロギーと運動です(アメリカのシャハトマン派など「反スタ主義」に近い考え方はありましたが、黒田理論のように体系化されることはありませんでしたし、「反スターリン主義」のような呼称もありません)。黒田は「世界に冠たる(あるいは「唯一の」)反スタ主義」を自称していましたし、実際に「反スターリン主義」を掲げ実践しているのは、世界で日本の革マル派と中核派しかありません。また、「反スターリン主義者」は「トロツキズム」を明確に否定していますので、「スターリンの批判者」イコール「反スターリン主義」という混同は避けるべきと存じます。

「アジア的専制」については、一つの観点として成り立つと思い、コメントアウトされていた部分を「補強」したうえで復帰させたのですが、「ポルポトはどうなんだ?」とこのページの脈絡では複雑で整理しきれなくなってくる観点ではあると思うので、どなたかが消されるならば、それはそれでいいと思います。