ノート:ジャコウアゲハ

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近縁種[編集]

食草がジャコウアゲハと同じというだけで、ホソオチョウを他のジャコウアゲハ類と同等に近縁種として挙げるのは如何なものでしょうか?--61.197.114.105 2012年3月1日 (木) 09:58 (UTC)[返信]

ホソオチョウはむしろギフチョウやシボリアゲハ等に近縁。ジャコウアゲハに近縁であるはずのトリバネアゲハ類が抜けている…というわけで近縁種整理します。--空想癖会話2012年5月14日 (月) 12:29 (UTC)[返信]

幼虫の生態について[編集]

 蛹になる前の幼虫が食草の茎を切り、他の幼虫が食べられないようにしてしまうことの理由に、増えすぎないための自己調整とする表現は、進化は種を残すために有利な方向に働くのではなく、個体(の持つ遺伝子)を残すために有利な方向に働くという現在の考えに反する表現のように思われるがいかがでしょうか。進化が種を残す方向に働くという考え方は現在では否定されています。もし茎を切り取るのが単に餌を食べたことによる偶然ではない行動と考えるならば、その行動の理由を説明するにはその個体にとってどのように有利なのか(例えば同種他個体の競合者を減らすとか)を説明した文にしないといけないと思います。61.86.183.22 2006年11月29日 (水) 15:13 (UTC)[返信]

一応は群淘汰も仮説としては生きているようです。これとは直接関係なさそうですが。いずれにせよ、生物の実際に対する意味づけは、いつの時代も仮説です。ここは、「と考えられる」を「という説もある」に変えるぐらいではいかがでしょう?少なくとも嘘にはならないのではないでしょうか。もちろん、もっともっともらしい説があればそれに越したことはないですが、それもやっぱり仮説です。--Ks 2006年11月30日 (木) 09:42 (UTC)[返信]
群淘汰(という言葉があるんですね)が仮説として残っているとしても、今の主流でなく否定されることの方が多い以上、やはりその群淘汰だけを思わせる表現は、事典に合わないように思えます。せめて群淘汰とする根拠が明示されてあれば良いのですが・・・。

擬態の件[編集]

幼虫がオオバウマノスズクサの果実、蛹がその花に擬態する、というのはどうも嘘くさいですね。対象がニッチすぎる。もちろん、簡単に否定するものではありませんが。ただ、現在の文はそれを前提にしているように読めます。表現を変えませんか?--Ks 2011年8月5日 (金) 01:59 (UTC)[返信]