ノート:キリスト教/過去ログ4

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かなり大量に削除させて頂きます(継続中)

Giant2007さんにより、出典も示されずに大量の投稿がここ数ヶ月でなされましたが、正直言って酷い水準です。論拠をここに示しつつ、大幅に削らせて頂きます。

まず、概容節について
キリスト教は紀元前4年頃に生まれたイエス・キリストによって開かれた一神教である。ユダヤ教をその前身とするが、キリスト教の教義はユダヤ教のそれとは大きく異なる為、今日では両者は異なる宗教とみなされている。
キリスト教側は「イエス・キリストが開いた(開始した、創始した)」とは看做して居ません。「旧約聖書に書かれた神の民の教えの正統な継承者」を自認します。これは完全にユダヤ教POVです。
そもそも「概要」は、冒頭に書かれています。はっきり言って余計な項目としてしか現状では機能していません。もっと記事を整理しなければなりません。取敢えず全削除しました。
西ローマ帝国に起源をもつ教派を西方教会といい、東ローマ帝国に起源をもつ教派を東方教会という。
東西教会の分裂はどんなに早く見積もっても8世紀頃と見るのが普通だと思うのですが、西ローマ帝国が滅亡したのが5世紀末。300年から400年(1054年に東西教会分裂を見出せば500年)以上もの間に、「東西ローマ帝国の分裂」を直接的な因果関係として書くのは、事典としての水準を全く満たしません。
その上、Giant2007さんは、土井かおるの出典付の文章を丸ごと削除しています。出典付の文章を丸ごと削除された上に、より杜撰な文章を書かれるというのは、事典執筆者としていかがなものかと思います。出典付の文章を冒頭近くに復帰しました。
東方諸教会は最初期に分派した教派なので、キリスト論の理解が他の教派とは異なる。
「最初期に分派した教派なので、」が中立的観点に違反していますし、そもそも「最初期の分派だから理解が異なる」の因果関係も誤りです。現代に至るまで、三位一体論やキリスト論において理解が異なる派は幾らでもあります。この部分は削除しました。
それから全く意図不明なのですが、分かり易い樹形図も削除されてしまっているのですね。で、削除された後に
分裂の時系列としては、東方諸教会が主流派から分離(431~451年)→主流派がカトリックと正教会に分離(大シスマ、1054年)→宗教改革でカトリックからプロテスタント等が分離(16世紀)の順である。
西方教会にはカトリック教会と、そこから分裂した教派であるプロテスタント聖公会アナバプテストがある。(聖公会やアナバプテスト系統(の一部もしくは全て)の教派をプロテスタントに含める場合もある)。カトリックからこれらの教派が分裂したのは宗教改革のときである。
という文章が入れられていますが、図だけで事足りるでしょう。ただでさえ膨大な分量になってしまった記事に不要な二重説明です。これも削除しました。
「イエス・キリストの生涯」について→全削除
申し訳ありませんが、「悔い改め」のキーワードも無く、受難についての説明も無い「要約」の中で、「形式主義への反対者」という像だけを強調するのは、これまた偏向です。現代の聖書学者の中には「悔い改めよ」について、「後から付け加えられたものであってイエス本人は言っていない」という、所謂主流派教会の教説に反対する学説を言う人が少なからず居ますが、態々「キリスト教における見方」「新約聖書に書かれたもの」を説明するのにあたって、「洗礼」「悔い改め」の両方を無視するのはいかがなものでしょうか。
キリスト教が当時としては画期的だった事の一つとして、キリスト教の教えをユダヤ人以外の民族にも説いた事
当時の多くの宗教はいわば民族宗教で、自身の民族のみに教義を伝えていたのに対し、キリスト教ではこのような民族の制限を撤廃したのである。これによりキリスト教が世界宗教へと発展する道が開かれた。
「旧約聖書を正典とする宗教としてはそれなりに画期的」でしたが、異民族も割礼を受けて受け入れられる事はありましたし、1世紀から4世紀位までの当時の宗教で「民族限定」的なものの方がむしろ稀です。グノーシス主義もミトラ教も、別に民族限定などしていませんし、何よりローマ皇帝は神聖な存在として全民族から扱われる事が想定されていました。ドミナートゥス制は随分後代の事ですが、アウグストゥス時代に既に「神の子」(Divi Filius)の称号が与えられて居ます。ティベリウス時代以降のキリスト教の「他民族への宣教」が「画期的」とは、むしろ誇大宣伝ですらあるでしょう。
それから、どうも多くの方が誤解しているのですが、「教義」という言葉自体が特定の宗教の見方を示してもいるのです。「教え」と「教義」は、語義としてそもそもイコールではありません。(「神道には『教え』が無い…?」について(神主・神道学者による)
ここに限らず、Giant2007さんは「教義」という言葉をこの記事の様々な箇所で簡単にお使いですが、そもそも「教義」(dogma)という言葉を使う事を避ける教派(プロテスタントの少なからず)すらあるのです。このような無自覚なPOVを、総合記事でまき散らす事は慎んで頂きたい。これは切にお願い申し上げます。それだけこの領域の執筆者は気を使わなければならないのです。
ユダヤ教から分派したキリスト教が誕生する
キリスト教は厳格な一神教であるユダヤ教から分派したものだが、一方でキリスト教には父なる神以外にもキリストと聖霊という神聖な存在がある。
先に述べた「ユダヤ教POV」であり、同様の理由で削除しました。
「霊魂の源泉」節を全削除
何故、執筆された中にもある通り、所謂主流派からは否定され、その後継者は現代にも殆ど居ないオリゲネス主義の見解を、「キリスト教」の解説記事のメインに据えられたのか、理解に苦しみます。全削除しました。「キリスト教」の説明ではなく、オリゲネスについての説明記事に入れれば(あるいは個別公会議の記事に入れれば)事足ります。総合記事には煩瑣でありかつ不適当です。
ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡してしまう。こうした影響もあり西ローマに拠点を置いていたキリスト教会と東ローマに拠点を置いていたキリスト教会は次第に教義上の差異や政治的対立が激しくなり、1054年に分裂してしまう(大シスマ)。
全削除しました。500年の時間をこのようにすっ飛ばすのは、「関ヶ原の戦い(1600年)が起きて徳川幕府が成立し、様々な政治的対立が起きた後に明治政府が成立した」(これですら300年未満の記述なのですがね)的な、事典にあるまじき杜撰さです。
後段も色々問題があるのですが(特に悪魔と悪霊の項目など、どんなキリスト教会でも亜流か蛇足くらいにしか扱われて居ないものを大量に書かれていて理解に苦しみますし、教派節に至ってはもう手の付けようが無い…多分大量削除せざるを得ません)、これについては後日、手を入れて行きます。その前に出典の明記タグを随所に入れました。
それからコメントアウトの形式とは言え、「執筆のためのメモ」を大量に入れるのはお止め下さい。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 10:01 (UTC)

帰宅しました。さっき会話ページに書いた事はキリスト教の項目とそのノートに変更があった事に気づかずに書いたものなので、その辺はお許しください。

こちらを見て、私とKinno Angelさんの間に発生していた誤解をやっと理解しました。 この記事(の私の書いたバージョン)は

  •  全力を尽くして調べた部分
  • とりあえずザザッと書いたまま時間がなくてほったらかしにしてた部分

両極端なのですが、Kinno Angelさんの記述を見る限り、基本的に後者について問題視してますね。

それなら同意です。

とくに概要節に関しては、とりあえず冒頭から書かないと記事の全体像が描けなかった関係上、ざざっと書いた程度のしろものなので、善削除に同意です。(だからここは出典がない)。


以下、順不同に返答します。

以下は同意です

;まず、概容節について
:これは完全にユダヤ教POVです。取敢えず全削除しました。
;「イエス・キリストの生涯」について→全削除
:>キリスト教が当時としては画期的だった事の一つとして、キリスト教の教えをユダヤ人以外の民族にも説いた事
:むしろ誇大宣伝ですらあるでしょう。

同意です。 ただ、キリスト教の項目なのにユダヤ教についてもイエスの公生涯についても記載がない、というのはさすがにどうなんだろう、と思うので、最終的にはどこかに書き加えたいです。だれか書いてくれませんかねぇ…(Kinno Angelさんの方を見つつ)。

:>分裂の時系列としては、東方諸教会が主流派から分離(431~451年)→主流派がカトリックと正教会に分離(大シスマ、1054年)→宗教改革でカトリックからプロテスタント等が分離(16世紀)の順である。
:という文章が入れられていますが、図だけで事足りるでしょう。

これも削除してOKです。将来拡張する予定で書いただけです。

:>ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡してしまう。こうした影響もあり西ローマに拠点を置いていたキリスト教会と東ローマに拠点を置いていたキリスト教会は次第に教義上の差異や政治的対立が激しくなり、1054年に分裂してしまう(大シスマ)。
:全削除しました。

これもOKです。

:土井かおるの出典付の文章を丸ごと削除しています。

そうでしたか。これは私のミスです。すみません。

:それから、どうも多くの方が誤解しているのですが、「教義」という言葉自体が特定の宗教の見方を示してもいるのです。
:ここに限らず、Giant2007さんは「教義」という言葉をこの記事の様々な箇所で簡単にお使いですが、そもそも「教義」(dogma)という言葉を使う事を避ける教派(プロテスタントの少なからず)すらあるのです。

なるほど。これは知りませんでした。これについては完全に私の勉強不足です。不快な思いをさせてしまったようで申し訳ございません。ただ、だとしたら「教義」の代わりになんと書いたらよいでしょうか?

「教義」ないしそれに類する言葉がないと、そもそも記事が書けなくなってしまうのですが、POVにならずに、教義、教理、教え等に相当する言葉づかいをご教授してください。(可能であれば出典つきで)。

;「霊魂の源泉」節を全削除

これもよいです。項目を立てるほど長くならなかったので、後で章立てが固まってきたら、「霊魂の源泉」ともども別項目に回そうとおもっていたので。

:それからコメントアウトの形式とは言え、「執筆のためのメモ」を大量に入れるのはお止め下さい。

はい。すみません。。。


で、ここからは私の意見はKinno Angelさんと異なります

:>西ローマ帝国に起源をもつ教派を西方教会といい、東ローマ帝国に起源をもつ教派を東方教会という。
:「東西ローマ帝国の分裂」を直接的な因果関係として書くのは、事典としての水準を全く満たしません。

そんな事は一言も書いてませんよ?東方教会、西方教会は東ローマ、西ローマに起源をもつと書いただけで。 東方教会、西方教会の主な拠点がそれぞれ東ローマ、西ローマにあった事はKinno Angelさんも否定しないと思います。

おっしゃるとおり、東西ローマの分裂は東西教会の分裂の直接的原因ではありません。 だから言葉を選んで「起源をもつ」としました。

東西教会の非常に複雑な関係を全部この記事に書くのは不可能です。 かといって東西教会について一切触れないのも、キリスト教の記事としてどうだろう、と思います。

そこで色々考えて今の形にしました。

:「最初期に分派した教派なので、」が中立的観点に違反していますし、そもそも「最初期の分派だから理解が異なる」の因果関係も誤りです。現代に至るまで、三位一体論やキリスト論において理解が異なる派は幾らでもあります。この部分は削除しました。

「最初期の分派だから理解が異なる」と書いただけで、「理解が異なるのは最初期の分派のみである」とは書いてませんよ?逆は常に真ならず

:それから全く意図不明なのですが、分かり易い樹形図も削除されてしまっているのですね。で、

?そんなことしてませんよ?むしろ樹形図ありきで書いてますから。別の人とごっちゃにしてませんか?

:>ユダヤ教から分派したキリスト教が誕生する
:>キリスト教は厳格な一神教であるユダヤ教から分派したものだが、一方でキリスト教には父なる神以外にもキリストと聖霊という神聖な存在がある。
:先に述べた「ユダヤ教POV」であり、同様の理由で削除しました。

うーん、ここなんですよねぇ。モナルキア主義の項に(私以外の誰かが)書いた言葉づかいをPOVを減らしたうえで真似させていただいたのですが、これでもダメですか。

ただ、この種の文章がないと、そもそもなんで三位一体関連であんなにも激論がかわされたのか分からなくなってしまうので、これにかんしては削除するのではなく改善する形にしていただけませんか?

最後に私の意見を。

さすがに全セクションに「出典の明記」を貼るのはやめていだたけませんか? というか、出典いっぱいのセクションもありますよね? 問題あり、と思う場所だけに貼ってください。

結局、全ての国の全ての教派に完全に精通している人がいない以上、みんなが少しずつ改善する事で、POVを減らしていくしかないと思うのです。

このノートを見る限り、私の件に限らず、Kinno AngelさんはPOVを削除する形で問題を解決していますが、削除するのではなく文章を改善する形でPOVを解決していただけないでしょうか。冷静に考えると失礼なんで削除。すいません。

おっしゃる通り、私の力量不足でまだまだ至らぬところが多いですが、POVになっているところの改善にKinno Angelさんのお力を貸していただけないでしょうか。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 12:04 (UTC)

記事の方の確認もしました。改善ありがとうございます。上で書いたもののすでに修正済みのものもありますね。上にも書きましたが、章ごと「出典の明記」をつけるのではなく、内容に問題がある部分は個別に「要出典範囲」をつけていただけないでしょうか。上にも書きましたが基本的に日本語版・英語版の要点を要約するという編集スタイルなので、関連記事を探して出典を見つけてみます。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 13:25 (UTC)

まず最初に一つ申し上げます。Giant2007さんの善意は分かりました。またこちらの大量削除にかなりの部分で同意頂けた事にも感謝申し上げます。ですのでこれから申し上げる(分量的には沢山の)批判はGiant2007さんの御人格に対するものではない、事を大前提として下さい。
まず、ノートでの連続投稿は特に特に控えて下さい。会話の順序が追い難くなり、記事以上に困ります。どうか御配慮下さい。
次に本文に入って参ります。
「教義」ないしそれに類する言葉がないと、そもそも記事が書けなくなってしまうのですが、POVにならずに、教義、教理、教え等に相当する言葉づかいをご教授してください。(可能であれば出典つきで)。
単に「教え」で結構です。これはキリスト教に限らず、仏教でも神道でも使える、大変中立的な用語で、汎用性が高く、しかも簡単な言葉です。普段「分かり易い言葉を使え、専門用語を使うな」という風潮が強い日本において、そして宗教系の記事でもそういう風潮はさらに強いのに、どういう訳か「教義」「ミサ」の二語は、大変専門性が高いにも係わらず、安直に使われますね。単に「教え」「礼拝」の方が、むしろ正確であり、かつ分かり易いのですけれどね。
出典については教理に挙げた諸書でも良いのですが、それだと時間もお金もかかるでしょう。先に挙げたこれで取り敢えず十分でしょう。
キリスト教の項目なのにユダヤ教についてもイエスの公生涯についても記載がない、というのはさすがにどうなんだろう、
そもそもまず、ユダヤ教について誤解がお有りのようです。紀元前のユダヤ教・キリスト教の前身と、今のユダヤ教は大分違います。そこに連続性・不変性をどの程度見出すかは議論が分かれるにしても、例えばイエス・キリスト時代のユダヤ教のように、「ファリサイ派」「サドカイ派」が今のユダヤ教に有る訳でもありません。ですから「今のユダヤ教」について本記事で書く必要性は、それほど高くありません。旧約聖書の扱いと位置付けについて書いておけば、書籍レベルならともかく、事典の概容記事としては十分です。
東方教会、西方教会は東ローマ、西ローマに起源をもつと書いただけで。東方教会、西方教会の主な拠点がそれぞれ東ローマ、西ローマにあった事はKinno Angelさんも否定しないと思います。
いえ…「否定的」まで行かずとも「肯定」までは出来ません。理由は以下の通りです。
まず東方の神学の拠点は最初期はアレクサンドリアとアンティオキアでしたが、これらとコンスタンティノープルがいつでも協調的だったかと言えばそうでもなく、もっと言えばローマが介入して来る事も度々ありました。それはローマ帝国の東西分裂以後の事であり、もっと言えば西ローマ帝国が滅亡して以降も、東西教会の交流は暫く続き、かつローマ総主教庁による東方への介入という現象も続いて居ました。帝国の東西分裂と教会の東西分裂を短い文章で結び付ける記述自体、実はもはや時代遅れのステレオタイプになりつつあります。
「最初期の分派だから理解が異なる」と書いただけで、「理解が異なるのは最初期の分派のみである」とは書いてません
そうではありません…「最初期の分派だから」がおかしいのです。そこに因果関係・要因はありません。
むしろ樹形図ありきで書いてますから。別の人とごっちゃにしてませんか?
…まさかこんな所(カトリックと正教会)に残されておいでとは想定外でしたので…アッシリア東方教会からアナバプテストに至るまで書いている図が、何故こんな位置に…?重複しましたので後で消しておきます。
モナルキア主義の項に(私以外の誰かが)書いた言葉づかいをPOVを減らしたうえで真似させていただいたのですが、これでもダメですか。
駄目ですね…元々聖霊を「神聖な存在」とする時点でアウトです。キリスト教において聖霊は「神聖な存在」ではなく「神」「主」ですから。
上にも書きましたが基本的に日本語版・英語版の要点を要約するという編集スタイルなので、関連記事を探して出典を見つけてみます。
…すみません、それ全然専門知識が無い領域でやるのはすごく危険です…それに全然要約になっていませんから…。
そもそもなんで三位一体関連であんなにも激論がかわされたのか分からなくなってしまうので、これにかんしては削除するのではなく改善する形にしていただけませんか?
…正直、初期教理史については、強い人がそんなに居ないのです(私も強いとは到底言えません)。マクグラスのような碩学ですら「…え?」と言うような記述をしているような始末です。
「初期教理に強い碩学が誰か、あるいは初期教理についての公式見解がどこに書いてあるか」を知って居て、かつ「少なくとも正教、非カルケドン派、カトリック、聖公会、プロテスタントの全ての見解を網羅」して書きませんと、NPOVが達成出来ない大変な領域です。
得手でない学者の本を読むと簡単に間違った方向に落ち込んでしまう。割と別分野でしっかりした学者ですら「…100年、年代がズレてますよ」という事をやらかしてしまう(別分野でしっかりしていない学者だったら、500年のズレとか平気でやらかします)。「図解本・概説本を数冊読みました」程度では到底処理できない領域です。そこをどうかくれぐれも、よく御承知おき下さい。
さすがに全セクションに「出典の明記」を貼るのはやめていだたけませんか?
すみませんが、私はこの手の「超教派の記事」には、精緻な出典を複数教派に亘って確保しなければ、NPOVが達成できないと考えております。私が関わってきた超教派系の記事は、僅かな記事の分量に、かなりの分量の出典を添付しています(例:聖霊)。
そもそもこの記事、全体的に、最近のウィキペディアの質からすると、(文化・科学等の付随的話題を除き)かなり劣ってしまっていたのです。ですので充電が済んだら、一気にコンパクトにかつすっきりと書きなおす積りでおりました。ただそもそも、その場合、「原型を残して改善」に止まらず、「殆ど抜本的修正」になってしまいます。
間違いだらけの記述を長期間残す位なら、執筆者の善意という観点からは大変申し訳ありませんが、しかしながら「削除」が次善の策、になってしまいます。そういう意味では「出典の明記タグ」を貼り付けた節の殆どを、実は後日「削除提案」したいところです(これは実際やります)。
正直、もっと充電して居たかったのですが、Giant2007さんのお蔭で目が覚めました。はっきりとNPOVが確保できて、はっきりと超教派の出典が確保できる、最低限の記述に総合的な記事の記述を抑えるべきです。(そのためのMainテンプレです)
この記事の抜本的・根本的な修正とコンパクト化を、キリスト教プロジェクトに提案し、文化・科学等の優れた記述を除き、抜本的に記事を改善する事に着手します。今月中には開始、今年中には終わらせます。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 14:11 (UTC)


これから申し上げる(分量的には沢山の)批判はGiant2007さんの御人格に対するものではない、事を大前提として下さい。

はい。最初からそこは疑ってませんよ。こちらもKinno Angelさん個人を批判しているつもりはないです。

「自らの手を動して」云々はもうしわけないです。詳しいはずの人達が誰も手伝ってくれない中数カ月単位で延々直してたんで、つい愚痴がでました。

単に「教え」で結構です。

なるほど。わかりました。

    >モナルキア主義の項に(私以外の誰かが)書いた言葉づかいをPOVを減らしたうえで真似させていただいたのですが、これでもダメですか。
   駄目ですね…元々聖霊を「神聖な存在」とする時点でアウトです。キリスト教において聖霊は「神聖な存在」ではなく「神」「主」ですから。

聖霊が「神」になったのは、三位一体という教えを受け入れた現在からみた視点で、この論争が起こっていた当時は「神」だと決定していなかったはずなのでその表現になりました。

いずれにせよ、Kinno Angelさんの修正バージョンで問題がないと思うので、この件はこれで打ち切る方向で。

…すみません、それ全然専門知識が無い領域でやるのはすごく危険です…それに全然要約になっていませんから…。

いやぁ、それを言われるとキツいのですが。私も自身の専門関係の記事でそれをやられて延々直した事が何度もあるので、その気持ちは分かるのですが、それでもゼロから私が書くよりもずっと楽だったので、その辺はご了承ください。

気になるのであれば、天使の項目も確認してください。おんなじ方法で書いているんで。

---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 14:35 (UTC)

全部チェック入れます

「キリスト教はユダヤ教の分派」という、この主張がユダヤ教POVだという事を御存知無い方が、膨大に出典も示さずに編集された事に、困惑を隠せません。しかも何度も一括投稿のお願いをしているにも関わらず、無視され続けています。全ての記述にチェックを入れて修正していきます。記事全体の骨格を変えるような大規模編集を行う時には、出典をきちんと脚注形式で入れ、またノートで逐一議論の呼びかけを行うなど、今後配慮して頂きたく存じます。特にキリスト教を巡る様々な議論を殆ど御存知無い状態で大量に書かれますと、後で修正する人間の手間が増えます。とても困ります。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 08:50 (UTC)

最後に移しました。問題があれば元の位置に戻してください。

>全部チェック入れます

ありがとうございます。

>後で修正する人間の手間が増えます。

チェックの手間を減らす為に、私が修正していない箇所を述べます。

  • 冒頭の文章:一切編集していない
  • 「教義・教理」の節:「サクラメント」のみ編集。他は編集していない。
  • 「組織」の節:一切編集していない
  • 「キリスト教徒の生活」の節:一切編集していない
  • 「近世までのキリスト教の歴史」の節:一切編集していない
  • 「近現代におけるキリスト教の展開」の節:一切編集していない
  • 「日本とキリスト教」の節:一切編集していない
  • 「キリスト教の文化的影響」の節:「キリスト教に起源を持つ諺や慣用句」を追加。それ以外は一切編集していない。
  • 「キリスト教に基づくとされている習俗」:一切編集してない。
  • 「他宗教との関係」:一切編集していない。
  • 「参考文献」:一切編集していない。

編集していない箇所については、「出典の明記」をはずします。--Giant2007会話2016年1月8日 (金) 13:51 (UTC)

他にも他のページからコピペしただけで対していじっていない箇所があります:

これらに関しては、多少変更している可能性もあるので、気になるのであれば確認してください。また可能であれば念の為、コピー元に関しても確認してください。POVの原因が私でなくコピー元がである可能性もあるので。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 13:57 (UTC)

編集していない箇所については、「出典の明記」をはずします。
?謎な御対応ですが、すみません、外さないで頂けませんか?別にGiant2007さんによる編集だから問題だ、として貼っている訳ではありませんので。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 14:12 (UTC)

理解しました。すでにはずしてしまいましたが、戻しました。--Giant2007会話2016年1月8日 (金) 14:15 (UTC)

もう一点。「キリスト教における神」の節の冒頭ですが、en:Attributes of God in Christianityに書いてある神の属性の一覧に、簡単な説明を加えながら並べ立てる事で作りました。

ですので、ここを直す際にはen:Attributes of God in Christianityの属性を全て残す形でお願いします。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 14:43 (UTC)

あの、すみません。英語版を何故そこまで「出典」扱いされるのでしょうか?(他言語版は出典と出来ない、というウィキペディアの各種方針は御存知でしょうか?)
英語版だったらキリスト教記事が優れているだろう、と考えるのは大間違いで、カトリックの記述は結構弱いですし、正教会に至っては極めてお寒い状況です。
en:Attributes of God in Christianityの脚注部分、ざっと見ただけでも、ルイス・ベルコフアリスター・マクグラスといった名前が並んでいますが、いずれも改革派教会聖公会の重鎮ではありますが、決して「中立的」な人達ではありません(その辺までちゃんと把握しての御発言ですか?)。
ですのでこれらの属性一覧云々を残す、と言う事も、予定しません。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 14:50 (UTC)

そうではなく、「英語版の方が出典が明記されている事が多いので、英語版を参考にしている」という事です。

そして一般論では、英語版の方がやはり質が良いです。編集者の人数が全然違いますので。

神の属性に関しても、大半の属性に出典がついており、属性のテンプレートが作られて色々なページに貼ってある(ので多くの人の目に入ってこの属性でよいかチェックが入っている)はずなので、英語版を参考にしてほしい、という話です。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 14:55 (UTC)

>決して「中立的」な人達ではありません

wikipediaの原則的には、出典のない中立と主張している意見よりも、出典のある記事が重視されるのだと思います。なお、en:God in Christianityの方にもこの属性が書いてあるので、英語版では「神」の記事にこの属性があっても問題ないと思われている、という事でもあります。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:00 (UTC)

---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:00 (UTC)

…何度も申しますが、せめてノートページで連続投稿は止めて頂けませんか?また編集競合を起こしましたよ。
…私の話をちゃんと読まれましたか?そんな事を仰るのなら、「ロシア語版も編集者が多いですし出典も付いている記事も結構ありますしキリスト教の初期教理については割としっかりしていますから、ロシア語版を元にして書きます」と私が言い出してもOK,と言う事になりますよ?(やりませんが)
ロシア語版が無かったのでウクライナ語版を見ましたが(タイトル位しか分かりませんが)、英語版よりももっとスッキリした内容になっています。「キリスト教ならどこも同じだろう」「どこでも列挙すれば同じ結果になるだろう」という思い込み、払拭して下さい。前提が違い過ぎる。
教義・教理史を扱うのにルイス・ベルコフだけを出典にする文章が複数ある事典で、もう完全にPOVなのです。プロテスタント内でも今では「古い」「いやあれでいい」と意見が分かれる人の上に、彼の東方教会理解はアドルフ・フォン・ハルナック時代から変わっておらず、ヤロスラフ・ペリカン登場以降はかなり「一時代前の人」扱いです。
特にこの領域、出典は「あればいい」ではありません。それは英語版でもロシア語版でも、事情は同じです。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 15:02 (UTC)

>ロシア語版を元にして書きます

はい。かまいませんよ。少なくとも、出典がないよりは。実際、今現在、私が英語版の出典を明記したからこそKinno Angelさんは改革派教会聖公会の意見に基づいていると分かったわけで。出典がないとそれすら分かりません。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:08 (UTC)

ロシア語版を元にして書きます はい。かまいませんよ。
…あの…仮定法として「やりませんが」と言っているのに、何でそう取るんですか?あまりに相手の話が読めませんと、コミュニケーションが取れないという事になり、「対話不能」と看做されますよ?
箇条書きにします(最初の二つはもう何度も言ってます)
  • 問題は「中立的観点」
  • 出典は「あれば何でもいい」ではない
  • 出典を加えるために中立的観点を崩すのは本末転倒
私の申していること、分かりましたか?--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 15:13 (UTC)

>仮定法

はい。分かってますよ。 Kinno Angelさんが理解していないのは、私の返答も「もしロシア語版をみて編集するならそれはそれでかまわないよ」という仮定法だという事です。

>箇条書きにします

こちらも分かってますよ。私が気にしているのは、誰がどういう手段でその「中立」を決めるのか、という事です。----Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:18 (UTC)

私が気にしているのは、誰がどういう手段でその「中立」を決めるのか、という事です。
初めて出て来た論点に驚いております。
中立的観点において、【文によって、改革派教会の一傾向の持ち主、聖公会の一傾向の持ち主しか出典が記されて居ない記事】劣<優【全ての主要な文に、正教、非カルケドン派、カトリック、聖公会、プロテスタント(ルーテル、改革派、メソジスト、バプテスト)の出典が記されている記事】
上記は御理解頂けますよね?--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 15:21 (UTC)

>上記は御理解頂けますよね?

はい。ではそれを前提としたうえで次の質問ですが、「正教、非カルケドン派、カトリック、聖公会、プロテスタント(ルーテル、改革派、メソジスト、バプテスト)の出典」を誰がどこからもってくるのですか?Kinno Angelさんがこれら全ての出典をもっているというなら話は別ですが。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:25 (UTC)

…あの、さっき例に挙げました聖霊、ちゃんと見ました?自分で言うような出典くらい揃えた上で書きましたよ。
他にも復活祭復活 (キリスト教)神の子イエス・キリスト三位一体…何冊も机に積み重ねてやったこさ書いたものばかりです。
それを「Kinno Angelさんがこれら全ての出典をもっているというなら話は別ですが。」って、失敬にも程があるのではないですかね?--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 15:31 (UTC)

なるほど、つまりKinno Angelさんはこの分野に絶対的な自信を持っていて全ての教派に通じている、という事ですね。それであれば了解です。(いや、私とは比較しちゃ悪いレベルで詳しいのは最初から分かっていますが)。

ただ、私の論点が理解できなかったようなので、そこだけは補足しておくと、ようするに出典には出典で対抗するしかないという事がいいたかっただけです。出典つきの文章が「偏っている」というなら、別の出典つきの文章を出す事で偏りを修正するしかないのだと思います。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:42 (UTC)

つまりKinno Angelさんはこの分野に絶対的な自信を持っていて全ての教派に通じている、という事ですね。それであれば了解です。
誰もそんな事は申しておりません。先にGiant2007さんの会話ページで「善意にとります」と申しましたが、これを撤回します。継続的に馬鹿にされていると判断させて頂きます。
出典つきの文章が「偏っている」というなら、別の出典つきの文章を出す事で偏りを修正するしかないのだと思います。
何故貴方がそう仰るのか皆目分かりませんが?
私も全く同様に、最初から「偏っているから、別の出典付の文章で一からやり直します」と申しているのですが?それを「偏っていても英語版だし云々」と仰っていたのはGiant2007さんの方ですよ?--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 15:46 (UTC)

いや、別に皮肉で言っているわけではないのですが。一応いっておくと、こちらもイラっとしても全てスルーしているので、Kinno Angelさんのスルー力が足りないです。

>「偏っているから、別の出典付の文章で一からやり直します」

そうですか。それであれば了解です。

>「偏っていても英語版だし云々」

正しくは「偏っていても英語版だし」ではなく、「偏っていても出典つきだし」ですね。

まぁ、それはよいです。出典つきで直してくれるなら、それで問題ないです。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 15:54 (UTC)

一応いっておくと、こちらもイラっとしても全てスルーしているので、Kinno Angelさんのスルー力が足りないです。
この御言葉が、ウィキペディアのルール・マナーとしては相当問題であるという事は指摘しておきます。ここはSNSではありません。似たような事が繰り返されれば、別のステップに進む事になる蓋然性が出て来ますので(いや既に出ていると思います)、お気を付け下さい。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 15:57 (UTC)

ようは「まぁ落ち着いて」と言いたかっただけです。

文章のコミュニケーションって難しいですよね。表情が見えないので、相手の意図が読めずに誤解する。

私が感情的になってKinno Angelさんを怒らせないようにと、ずっと平たい言葉で話しかけていたのですが、Kinno Angelさんにはそれがかえって小馬鹿にされているように感じられたようで、申し訳ないです。

いずれにせよ、論点になってたところは、全て集結したようなので、この辺で終わりにしたいのですが、それでよいでしょうか。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 16:05 (UTC)

膨大に間違った編集をして、「手を動かせ」と云い、「英語版を元にせよ」という主張を「出典には出典で対抗せよ」と(出典を付けまくっている私に)変更し、「まぁ落ち着いて」と結ばれた事は、貴方の姿勢の問題ですから、今後、会話ページに場が移る事になるでしょう。ということでGiant2007さんは「英語版の大枠を残せ」という主張は撤回されたと理解し、ここでは私も終わりにします。--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 16:11 (UTC)

  • >さっき会話ページに書いた事はキリスト教の項目とそのノートに変更があった事に気づかずに書いたものなので、その辺はお許しください
  • >そうでしたか。これは私のミスです。すみません
  • >なるほど。これは知りませんでした。これについては完全に私の勉強不足です。不快な思いをさせてしまったようで申し訳ございません
  • >はい。すみません。。。
  • >批判はGiant2007さんの御人格に対するものではない、事を大前提として下さい。>はい。最初からそこは疑ってません
  • >全部チェック入れます>ありがとうございます
  • >私が感情的になってKinno Angelさんを怒らせないようにと、ずっと平たい言葉で話しかけていたのですが、Kinno Angelさんにはそれがかえって小馬鹿にされているように感じられたようで、申し訳ないです

みたいな感じで、対応させていただいたつもりなのですが、申し訳ないです。では。---Giant2007会話2016年1月8日 (金) 16:25 (UTC)

抜本的改稿提案

記事「キリスト教」の抜本的修正を提案します。具体的方針は以下の通りです。

  • 「キリスト教の文化的影響」節以外、出典の無い記述をどしどし除去します。
    • 除去の割合は聖霊抜本的修正に匹敵するものと見込んで居ます。つまり「物凄く大規模」です。
    • 歴史節につきましては、申し訳ありませんが私からは「概略節だけ僅かに書き、残りは全除去」を考えて居ます。
      • 日本キリスト教史キリスト教の歴史の記事もあるのに、数節を擁する大きな節を作ってしまって、却って全体の見通しが悪くなっています。
      • 「統合」という手続きも考えたのですが、あまりに膨大な内容の上に、両記事との重複も多く、しかも両記事の方がそれなりに良質かつ豊富な内容になっている(それでも出典がとてもとても弱いのですが、あくまで本記事の該当項目に比べれば、ということです)ところへ、わざわざ「概略」しか書いていない本記事の節を統合する意義が見当たりません。
    • 「キリスト教の文化的影響」節だけは、他に記事もありませんから、9割以上を残すとは思いますが、それでも出典が必要と思われる所には要出典範囲を貼っていきます。

--Kinno Angel会話2016年1月8日 (金) 14:35 (UTC)

現時点で検討・予定中の記事改善の方向性を申し上げます。

  • まず、「キリスト教における神」「神の名前」「世界観」「キリスト教における天使」「キリスト教における悪魔」「教派」といった節は、大幅に圧縮もしくは削除しようと考えております。
    • (理由):三位一体論・神の属性といった問題は、中立性を確保しつつきちんと書こうとすればそれだけで一記事として膨大な分量になり、概論記事には肥大化の原因になる(実際、なっています)
  • 参考文献は、今回の大幅編集で、実際に脚注入りで記事に使ったものに絞る。
  • 以下が、現時点で考えている目次です。
    • キリスト教の成立
    • 教派の概要
    • 教えの源泉(「教義・教理」といった用語は、こうした見出しレベルでは厳に避けなければなりません。教義、教理といった用語は立場によって語義が違うからです。詳しくは教理を参照下さい。)
    • ニカイア・コンスタンティノポリス信条にみる信仰内容(内容については全教派が認めるニカイア・コンスタンティノポリス信条をベースに展開)
      • 三位一体の神
      • 天地創造
      • イエス・キリスト
        • 神人イエス・キリスト
        • イエス・キリストが何をする(した)と信じるか
      • 聖霊
        • 聖霊を何者と信じるか
        • 聖霊が何をする(した)と信じるか
      • 教会
        • 教会とは何か
        • 教会組織のあり方の種別
        • 職制
      • 洗礼
      • 来世における復活
    • 聖書
      • 聖書の位置付け
      • 聖書の内容
    • サクラメント(秘跡・聖奠・礼典・機密)
    • 教派による違い
      • 教えの違い
      • 日本語訳の違い
      • 超教派・エキュメニズムの取り組み
    • 信徒数
    • 歴史(Mainテンプレによる、キリスト教の歴史日本キリスト教史への誘導のみにとどめる)
    • キリスト教の文化的影響
    • キリスト教に基づくとされている習俗(ハロウィンは削除)
    • 非主流派による主張内容
    • 他宗教との関係
    • 参考文献
    • 関連項目(関連項目と外部リンクはかなり整理された内容になっていますので、2016年1月24日 (日) 07:37 (UTC)時点での内容を9割以上踏襲する予定です)
    • 外部リンク

御覧の通り、かなりの量の削除を伴う大幅修正になります。これまでの記事の中でほぼそっくり残りますのは、「教派の概要」「信徒数」「キリスト教の文化的影響」「キリスト教に基づくとされている習俗」に限られます。

これまで記事作成に御尽力下さった皆様には大変心苦しいのですが、しかし脚注出典の改善も遅々として進まず(これは決してこれまでの執筆者の皆様を責める意図はありません、かつての執筆者の皆様はおそらくプロの研究者になられるなどして、日本では時間的制約も立場的制約もキツくなられておいでと拝察します)、このまま膠着状態が続くのを避けるために、校正も含めた抜本的修正も止むを得ないと判断せざるを得ません。

ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、全教派が認める内容であり、全教派の見解を併記しながら進めるにしても、「併記」がし易いというメリットがあります。このため、記事前半の構成をこれに則る方針を立てて計画中です。

1月29日一杯(JST)までに御異議が無ければ、上記の方向で進めさせて頂きたく存じます。宜しくお願いします。--Kinno Angel会話2016年1月24日 (日) 07:37 (UTC)

追記:申し訳ありません、「非主流派による主張内容」と「他宗教との関係」を失念しておりました。前者には、三位一体の否定、神人両性論の真向否定(現代では「異端」とまでは言われる事は少ない非カルケドン派については、むしろ上の方に入れて行きます)をした派の見解を盛り込んでいきます。--Kinno Angel会話2016年1月24日 (日) 07:42 (UTC)

お待たせしておりまして申し訳ありません。御異議がありませんでしたので、間もなく着手致します。既に骨格となるニケア・コンスタンチノープル信条文のベースを作成し終わりました(実は正教会訳部分は全てルビを振って居ましたので、これに時間がかかりました)。節ごとにこれを分割しつつ、使って行く予定です。--Kinno Angel会話2016年2月25日 (木) 16:22 (UTC)
報告 「教えの源泉」を加筆大量除去を行いました。抜本的な編集作業を継続中です。--Kinno Angel会話2016年3月7日 (月) 10:46 (UTC)

報告 修正作業が停止しているため、告知テンプレートを除去しました。--121.102.52.249 2016年9月30日 (金) 09:03 (UTC)

過去の提案の周知のため、リンクによる案内を除去して「プロジェクト‐ノート:キリスト教/過去ログ4#記事「キリスト教」の抜本的修正(大量の削除・除去を含む)」をコピーし、見やすいように{{quotation| }}を追加しました[1]。--Lmk2019会話2020年5月28日 (木) 21:14 (UTC)

編集提案

歴史節について

歴史の古代について下記のように編集したいと思います。

古代


紀元前6年ないし紀元前4年ごろナザレのイエスはベツレヘムに生まれる。

26年ごろナザレのイエスはガリラヤで宣教を開始する。山上の垂訓の中核に位置するものとして、主の祈りがある。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P91) ナザレのイエス参照。

紀元後30年ごろ(注[http://global.britannica.com/biography/Jesus Jesus | Britannica.com])刑死によってナザレのイエスは他界する。

イエスの復活信仰の確立

50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、生ける真の神によって、死者たちの中からナザレのイエスが復活したことを表明した。(注、テサロニケ人への第一の手紙1-9)テサロニケの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。

54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明した。(注、コリント人への第一の手紙15-4)コリントの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。

70年ころ無名の著者はマルコによる福音書を記し、(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P9915 )イエスの死後女性信者たちに何らかの事象が起きたことを表明する。(注、マルコによる福音書16-5、南シリアの信者はこれより、イエスの生涯を福音的視座をもって眺めることとなる。)

80年代無名の著者はマタイ福音書を記し(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 )、死人の中からナザレのイエスが起こされたことを表明した。(マタイ福音書28-9) 西シリアの信者は 死人の中からナザレのイエスが起こされたという信仰を始めた。

80年代無名の著者はルカ福音書を記す。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 )(注、イエスの復活信仰が確立した。)

イエスの死を通しての贖罪信仰の確立

50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明した。(注、テサロニケ人への第一の手紙1-10)テサロニケの信者は神の怒りからイエスが救い出してくれるという信仰を始めた。

54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明した。(注、コリント人への第一の手紙15-3)コリントの信者はイエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだという贖罪信仰を始めた。 また、パウロはコリント人への第一の手紙を記し、アダムにおいてすべての者が死ぬように、そのようにキリストにおいてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明した。コリントの信者はイエスによってアダムの罪による自分たちの死が神の御子により蘇りに転換したという信仰を始めた。(注、コリント人への第一の手紙15-20)

80年代無名の著者はマタイ福音書を記し(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 )、イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であることを表明した。(マタイ福音書1-18)そしてかれの民をもろもろの罪から救うことを表明した。(マタイ福音書1-21) 西シリアの信者は イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であるという信仰を始めた。そしてかれの民をもろもろの罪から救うという信仰を始めた。

また、山上の垂訓の中に主の祈りを記した。(注、これにより西シリアの信者は 信仰の行としての毎日の祈りの中で怒りの神とは異なる父なる神の信仰を始めることとなる。信者は個人として主なるイエス・キリストとの関係を深めることとなり、イエスの死を通しての贖罪信仰を深めることとなる。)


80年代無名の著者はルカ福音書を記す。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 )(注、イエスの死を通しての贖罪信仰が確立した。)

主イエス・キリスト信仰の確立

・50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明した。(注、テサロニケ人への第一の手紙3-13)テサロニケの信者はナザレのイエスは主イエス・キリストであるという信仰を始めた。

54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは私たちの主なるキリストであるということを表明した。(注、コリント人への第一の手紙15-27)コリントの信者はイエスは私たちの主なるイエス・キリストであるというキリスト信仰を始めた。

  ・80年代無名の著者はマタイ福音書を記し(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 )、イエスの父ヨセフは、アブラハム、ダビデの子孫であり、ヨセフの子であるイエスは予言されていたキリストであることを表明した(マタイ福音書1-1)。西シリアの信者は、イエスはヨセフの子であり、予言されていたキリストであるという信仰を始めた。

80年代無名の著者はルカ福音書を記す。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 )

90年代無名の著者は使徒行伝を記す。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916 ) ステファノが死の直前に聖霊に満たされてイエスが神の右に立っているのを見たことを表明する。(使徒行伝7-54)信者は神の右にイエスが立っているという信仰を始めた。(注、ユダヤ教に伝承されてきたキリストが主イエスであるという信仰が確立した。)

終末信仰の確立

50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P920 )(注、この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている。出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P495)テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めた。

・パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。

・パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる 。

・パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。

・パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。

・パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる。 (注 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。テサロニケ人への第一の手紙第4章 15 )

54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。((出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P921)コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた。(注、 コリント人への第一の手紙第15章 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。)

95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される。((出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P939) (注パウロの他界した年は65年ころとされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為された。)小アジアの信者は天にてキリストの支配がはじまったという終末信仰を始めた。(ヨハネ黙示録12-10今やわれらの神の救いと力と王たる支配と、彼のキリストの権威による統治が始まった。)(注、キリスト教的な終末信仰が確立した。)

ユダヤ教からのキリスト教の自立

60年代ヤコブ、ペトロ、パウロが刑死によって他界する。

66年から70年第一次ユダヤ戦争の結果としてエルサレム神殿が崩壊したころ、ユダヤ教からキリスト教が自立した。

中世

近世

--Tokinokawa会話) 2020年4月15日 (水) 14:48 (UTC)--Tokinokawa会話2020年4月16日 (木) 00:13 (UTC)

問題が無いようですので本文に移行しました。--Tokinokawa会話2020年4月28日 (火) 11:11 (UTC)

項目の入れ替えについて

・「キリスト教に基づくとされている習俗」を別ページに、また、「 キリスト教の文化的影響」も別ページに作成し、内容は変えずに項目の順番を下記のように変えることを提案します。

1 キリスト教の成立

2 歴史

3 教えの源泉(特徴)

4 ニカイア・コンスタンティノポリス信条にみる信仰内容

4.1 ニカイア・コンスタンティノポリス信条の位置付け

4.2 ニカイア・コンスタンティノポリス信条の全文

4.3 三位一体の神

5 教派の概要

6 信徒数

.1 世界全体

.2 アジア地域

.3 日本

7 教派による用語の差

8 聖書 正典、続編、外典、偽典など

9 他宗教との関係

10 脚注

--Tokinokawa会話) 2020年4月17日 (金) 04:33 (UTC)--Tokinokawa会話2020年4月18日 (土) 02:42 (UTC)

・「キリスト教の影響」というページに「キリスト教に基づくとされている習俗」と、「 キリスト教の文化的影響」を移動しました。カテゴリは キリスト教 キリスト教と社会にしました。--Tokinokawa会話) 2020年4月29日 (水) 09:06 (UTC) ・移動の方法が誤っているとの指摘があり、「キリスト教に基づくとされている習俗」と、「 キリスト教の文化的影響」の本文はそのままとなっております。--Tokinokawa会話2020年5月2日 (土) 02:35 (UTC)

福音書等の成立年代と著者の追加

「聖書」の項目の ヨハネの黙示録 、の次に「福音書等の成立年代と著者」を追記したいと思います。

新約聖書は、以下の文書群を含んでいる

  • 福音書:イエスの伝記。全部で4つあり、内容には重複が見られる。
  • パウロ書簡:精力的に布教をした弟子であるパウロが各地の教徒に向かって書いたとされる手紙。
  • 公同書簡:キリスト教徒一般に向けて信仰のあり方を説いたとされる書簡。
  • ヨハネの黙示録:ユダヤ教でいう黙示文学に属する文書で、終末論についてかかれている。

福音書等の成立年代と著者

マタイによる福音書  成立年代は80年代、場所は西シリア、著者は異邦人出身の無名のキリスト者とされる。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P916)

マルコによる福音書  執筆年代は70年代、場所は正確には不明(南シリア説が説得的)、著者は異邦人出身の無名のキリスト者で、便宜的に伝説上のマルコという名前を使ったとされる。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P915)

ルカによる福音書 執筆年代は80年代、場所は地中海沿岸の都市(エジプトとパレスチナ以外)、著者は異邦人出身の無名のキリスト者で、便宜上伝説にしたがって「ルカ」と呼ぶ。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P917)

ヨハネによる福音書 執筆年代は90年代、場所はシリアかエフェソで成立したようである。著者は無名の作者で、彼をよく理解した別の人物が今の形に成したとされる。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P918)

使徒行伝執筆年代は90年代、場所は地中海沿岸の都市のどこか、著者は異邦人出身の無名のキリスト者で、彼を「ルカ」としたのは古代教会の俗説。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P919)

パウロ書簡 パウロ自身が記したのは、テサロニケ人への第一の手紙(執筆年代は50年頃)、コリント人への第一の手紙(執筆年代は54年頃)、コリント人への第二の手紙(執筆年代は54年から55年頃にかけての手紙の集合体とされる)、ガラテヤ人への手紙(執筆年代は54年頃)、フィリピ人への手紙(執筆年代は54年後半頃)、フィレモンへの手紙(執筆年代は54年から55年頃)、ローマ人への手紙(執筆年代は55年から56年頃)、これら以外はパウロの名を使った偽書である可能性が高いとされる。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P920~P933)

公同書簡使徒の名前を付けているが、各々の書簡を名前も人物も不祥の別々の者が書いたとされる。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P934~P938)

ヨハネの黙示録著者は小アジアに住み着いた無名のパレスチナユダヤ人、執筆年代は95年から96年頃とされる。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P939)

--Tokinokawa会話2020年5月1日 (金) 01:54 (UTC)

キリスト教が影響した出来事、の作成について

脚注の上にキリスト教が影響した出来事という項目を作成したいと思います。

キリスト教が影響した出来事下書きです。

国教としての一神教関連

・1096年、民衆十字軍、東上の途中でユダヤ人を各地で虐殺

・1096年 - 1099年、 第1回十字軍 イスラム教徒やユダヤ教徒の虐殺と略奪を行う。

・1107年 - 1110年、 ノルウェー十字軍、聖地へと航海をし各地でイスラム勢力と交戦・略奪を繰り返す。

・1204年第四回十字軍コンスタンティノープル包囲戦 (1204年)ギリシア人住民 2000人以上死亡

・北方十字軍

・1493年コロンブスの率いるスペイン軍数ヶ月で5万人以上のインディアンの死、以後10年間毎回数千人の住民の死

・1531年コンキスタドール、フランシスコ・ピサロ、インカ帝国を滅ぼした。

・エルナン・コルテス、メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した。

・ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への入植

正統派信仰と異端信仰関連


・1204年第四回十字軍コンスタンティノープル包囲戦 (1204年)ギリシア人住民 2000人以上死亡

・1309年 貧者十字軍各地で強盗掠奪騒動を起こした

・1209年 - 1215年、アルビジョア十字軍十字軍は約1万人の住民をアルビ派であるか否かにかかわらず無差別に殺戮した

・エホバの証人、モルモン教等が異端とされる。

--Tokinokawa会話2020年5月5日 (火) 00:27 (UTC)

「編集提案」について

  • 歴史」節についてコメントします。以前、私は「歴史」節に「{{リンクのみの節}}」のテンプレートを貼って置いたのですが[3][4]この編集で(ついでに?)除去されてしまいました。除去は意図的なのか否かは分かりませんが、私としては「{{リンクのみの節}}」の注意書きにあるように「リンクされている記事の要約」すなわち「キリスト教の歴史」と「日本のキリスト教史」の要約を本記事「キリスト教」の「歴史」節に書くとよいと思います。そうすれば「Wikipedia:サマリースタイル」の趣旨にかなうと思うのですが、いかがでしょうか。--Lmk2019会話2020年5月25日 (月) 22:53 (UTC)
なお、Tokinokawaさんが編集提案され歴史節に加筆したあと私が修正したのですが、修正せずにTokinokawaさんの編集提案または加筆時に「Wikipedia:サマリースタイル」をご案内すべきだったかも知れません。私としては「サマリースタイル」はガイドラインになっているものの、日本語版ウィキペディアは必ずしもガイドライン「サマリースタイル」にそった運用・編集がなされていないように感じたことなどのためご案内に躊躇していました。--Lmk2019会話2020年5月26日 (火) 21:00 (UTC)
  • Lmk2019さんのご意見に同意します。キリスト教の記事はこれまで様々な人々によって議論と加筆と削除を繰り返してきましたので、出典を明記しない箇条書きで記事の質を劣化させるのは、これまでの編集参加者に対する一種の侮辱みたいなものであると考えておりますので、そのあたりをTokinokawa様には考えていただきたく思います。--おーた会話2020年5月27日 (水) 09:54 (UTC)
  • キリスト教が影響した出来事の出典については、下記のような形を考えています。例、・1493年コロンブスの率いるスペイン軍はアメリカ海域の発見時にインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。数ヶ月で5万人以上のインディアンが死んだとされる。以後10年間で毎回数千人の住民が死んだとされる。 この出来事の詳細はクリストファー・コロンブスを参照。--Tokinokawa会話2020年6月6日 (土) 14:07 (UTC)
  • 歴史の項は、沿革を書くときの年代別に区切られた短い文章を用いました。例えば「福音」という語を使って文章を書くときに、ナザレのイエスが説いた福音とエルサレム教会での福音、パウロのキリストの福音がちがっているようでありますし、意味も聖書の翻訳者によっては、福音の中で信ぜよ、というように大きく異なっているようです。岩波の新約聖書のはしがきには歴史資料としても取り扱っているという記述がありますが、これを見ると、聖書の文章にも後代の加筆によって意味が大きく変わっているところが見受けられます。そのため、教会員の人が納得するような美文をつずることは、歴史の項目の記述としてはかなりハードルが高いように感じています。年代別に短い文章を用いたほうが、客観性を保ちやすいのではないかと考えています。また、岩波の新約聖書には、マタイ福音書の作者が、イエスの系譜の部分において処女降臨の部分と齟齬をきたしているが、作者はそれを気に留めている様子がないという注があるのですが、福音書だからといって、それをそのまま引用したのでは、辞典的には個人研究に分類されるようにも感じられます。キリスト教の歴史のページの要約が困難であったのは、歴史の始まりが『「キリスト教」の発生時を決定するのは難しい。』という記述等から始まっていて、ナザレのイエスの死去という歴史が抜けていたためです。また、岩波の新約聖書には主の祈りが中核にあるという記述があり、主の祈りは現在も使用されているようですので、主の祈りが説かれた時点がキリスト教の始まりに該当するとも読み取れます。この部分も欠落していましたので、出だしからキリスト教の歴史のページの要約が困難と感じられた次第です。--Tokinokawa会話2020年6月6日 (土) 14:07 (UTC)
  • キリスト教の歴史を記事の一番最初に持ってくるという構成について。編集提案を通過した形ではキリスト教の成立ー歴史となっていたのですが、どなたかがキリスト教の成立の節を削ったようです。キリスト教の成立の節を復活してはどうかなと思います。また、新たに概要ー歴史としてもいいように思います。--Tokinokawa会話2020年6月6日 (土) 19:39 (UTC)

文献

高柳俊一さんが1998年刊行の『新カトリック大事典』の「キリスト教」の項目であげている(参考)文献のうち日本語のものは次の通りです。

  • 「キリスト教」(稲垣良典【キリスト教の本質】。泉治典、森安達也【キリスト教の歴史】)『平凡社大百科事典』全16巻、平凡社、1985年。第4巻、487-503頁。(『世界大百科事典』改訂新版、平凡社、2007年、第7巻、490-505頁の「キリスト教」も同じ)
  • 『キリスト教史』全11巻、上智大学中世思想研究所編訳・監修、講談社、1980-1981年。(「若干の補遺・改訂」をした「平凡社ライブラリー」版、全11巻がある)
  • H・コンツェルマン『原始キリスト教史』NTD 補遺 5、田中勇二訳、日本基督教団出版局、1985年。
  • 海老澤有道、大内三郎『日本キリスト教史』日本基督教団出版局、1970年。
  • 土肥昭夫『日本プロテスタントキリスト教史』新教出版社、1980年。
  • 土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史論』教文館、1987年。
  • A・ハルナック『キリスト教の本質』山谷省吾訳、玉川大学出版部、1977年。
  • E・トレルチ 「<キリスト教の本質>とは何か」『神学の方法』トレルチ著作集 2、高森昭訳、ヨルダン社、1986年、37-121頁。
  • 村上和男『キリスト教本質論に関する一考察』新教出版社、1990年。
  • R・グアルディーニ『キリスト教とは何か』J・アブリ訳、ドンボスコ社、1956年。
  • K・ラーナー『キリスト教とは何か』百瀬文晃訳、エンデルレ書店、1981年。
  • F・シュライエルマッハー「キリスト教信仰論」(抄訳)『現代キリスト教思想叢書』第1巻、今井晋訳、白水社、1974年、125-196頁。
  • G・エーベリング『キリスト教信仰の本質』現代神学双書 49、飯峯明訳、新教出版社、1983年。
  • G・ミュラー『現代人にとってキリスト教信仰とは何か』宮田光雄訳、新地書房、1984年。
  • K・バルト『教会教義学』全36冊、吉永正義他訳、新教出版社、1959-88年。
  • K・アダム『カトリシズムの本質』霜山徳爾訳、吾妻書房、1949年。
  • H・ド・リュバク『カトリシズム:キリスト教信仰の社会的展望』小高毅訳、エンデルレ書店、1989年。
  • J・ラッチンガー『キリスト教入門』小林珍雄訳、エンデルレ書店、1973年。
  • W・パネンベルク『人間学:神学的考察』佐々木勝彦訳、教文館 2008年。
  • 武田清子『正統と異端の“あいだ”:日本思想史研究試論』東京大学出版会、1976年。

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