ノート:ねじめ正一

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カテゴリ「禰寝氏」について[編集]

2009年9月7日 (月) 18:08の版でIP:121.117.185.92会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏により[[Category:禰寝氏]]が追加されておりますが、これに関して参考資料などが提示されておりません。2009年10月に質問したのですが、2009年9月7日以降はwikipedia自体にアクセスされてられないようで、全く反応がありませんでした。「祢寝(旧字体「禰寝」)」自体は非常に珍しい苗字でもあり、それが本名と言うだけでもねじめ正一氏が禰寝氏の末裔である可能性はかなりあるとは私的に思いますが、出身地(現在の内容では東京都出身となっています)を考えると断定するのはどうかとも思われます。この点に関してご存じの方がいらっしゃいましたら、このノートに参考文献や情報を書き添えて下さると参考になります。ご協力よろしくお願いします。--こぶまき 2010年1月15日 (金) 08:05 (UTC)[返信]

 興味深い質問です。「ねじめ」を名乗る一人として以下書きます。明治時代以前、禰寝氏一族(「ねじめ」表記は多様にあり、禰占、根占、寝占など。祢寝の旧字が禰寝というわけではないと思います。別の名字を名乗った庶流に池端、山本、角などがあり、庶出の名字は少なくなく、20位でしょうか)は今日の鹿児島県と宮崎県の一部(たとえば都城)に住んでいたので、この一族がこれ以外の他県、それが北海道であれ、東京都であれ、大阪府などであれ、住み着き始めたのは、御一新以後でありましょう。作家氏の家系もそうでありましょうし、お書きになっているように地域限定の歴史的名ですので、豪族禰寝氏の子孫のひとり、より正確には禰寝氏一族の子孫と見なせることでありましょう。薩摩の吉利郷-大隅南部からこの地に16世紀末に移封されました。この地に最も固まって、一族郎党が住みました。現日置市-に居を変えられた一族は禰寝表記を、それ以外の地に住んだ一族は、禰寝と根占などを両用しながら、いずれかを選び、そして時には分かりやすいほうに傾き、近代政府のもとで表記が家ごとに固定化されて現在に至ったのでしょう。難しい字だから他の表記の「ねじめ」よりも、また「ねじめ」とは異なる名字を名乗っている家よりも由緒がある-禰寝氏本流に近い-というわけではありません。昔、イタリア・ルネサンス美術史の先生(東京芸術大学)に摩寿意善郎という方がいましたが、先祖が「増井」表記をこう改め(、役所に届け)たと書いておられます。改めたほうが由緒があるように見えるのは漢字の魔力でしょうか。なお禰寝氏直系は江戸時代中頃に「小松氏」と名字を改め、姓を平家、平氏として今日に至っています(2010年11月24日)。