ヂク (潜水艦・2代)
B-29 ORP 「ヂク」 | ||
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「ヂク」。 | ||
艦歴 | ||
B-29 Б-29 | ||
起工 | 1970年3月24日 第 196 造船工場 | |
進水 | 1970年5月29日 | |
竣工 | 1970年6月11日 | |
受領 | 1970年11月6日 | |
就役 | 1970年11月24日 | |
所属 | ソビエト連邦海軍北方艦隊[* 1] | |
退役 | 1988年12月6日 | |
ORP 「ヂク」 ORP „Dzik” | ||
転属 | 1988年12月7日[* 2] | |
所属 | ポーランド人民共和国海軍 | |
編入 | 1989年9月12日 | |
所属 | ポーランド共和国海軍 | |
退役 | 2003年11月7日[* 2] | |
要目 | ||
正式分類 | 大型潜水艦 | 潜水艦 潜水艦 | |
形態 | 通常動力型潜水艦 | |
工場番号 | 821 | |
船体 | ||
排水量 | 水上 | 1957 t[* 3] |
水中 | 2485 t[* 3] | |
船体長 | 全長 | 91.3 m |
水線長 | 89.7 m[* 3] | |
耐圧殻長 | 70.1 m[* 3] | |
全幅 | 7.5 m | |
平均喫水 | 5.09 m[* 3][* 4] | |
復原性 | 水上での初期メタセンター高さ | 0.35 m[* 3] |
水中での初期メタセンター長さ | 0.21 m[* 3] | |
予備浮力 | 26.8 %[* 3] | |
構造 | 複殻式 | |
動力装置 | ||
ディーゼル・蓄電池方式 | ||
水上 | ディーゼル機関 37-D | 2 基 |
総出力( 500 rpm 時[* 3]) | 4000 馬力 | |
水中 | 推進用電動機 PG-102 | 1 基 |
出力( 540 rpm 時[* 3]) | 2700 馬力 | |
推進用電動機 PG-101 | 2 基 | |
総出力( 440 rpm 時[* 3]) | 2700 馬力 | |
巡航用電動機 PG-140 | 1 基 | |
出力( 185 rpm 時[* 3]) | 140 馬力 | |
蓄電池 46-SU | 112 個 | |
蓄電池グループ | 4 群 | |
蓄電池個数(各群) | 112 個 | |
プロペラシャフト | 3 軸 | |
推進用スクリュープロペラ | 3 基 | |
燃料 | 通常搭載量 | 266.7 t[* 3] |
強化搭載量 | 477.3 t[* 3] | |
航行性能 | ||
水上 | 速力(燃料通常搭載時[* 3]) | 16.8 kn |
経済速度 | 8.13 kn[* 3] | |
航続距離(燃料強化搭載時) | 30000 nmi/8.1 kn | |
水中 | 速力 | 16.0 kn |
経済速度 | 2.0 kn | |
水中ディーゼル航行時 | 8.0 kn | |
航続距離(燃料強化搭載時) | 15.3 nmi/16 kn 400 nmi/2 kn | |
水中ディーゼル航行時(燃料強化搭載時) | 17900 nmi/8 kn | |
潜水深度 | 作動深度 | 250 m[* 3][* 4] |
限界深度 | 280 m[* 3][* 4] | |
急速潜航所要時間 | 45 - 60 秒 | |
独立行動期間 | 90 日間 | |
連続潜航時間 | 575 時間[* 3] | |
乗員 | ||
士官 | 12 名 | |
准士官 | 13 名 | |
水兵 | 45 名 | |
武装 | ||
533 mm 艦首魚雷装置 | 6 門 | |
533 mm 艦尾魚雷装置 | 4 門 | |
魚雷 | 総数 | 22 本 |
艦首魚雷装置予備魚雷 | 12 本[* 3] | |
対艦魚雷 53-39 、 53-51 、 53-61 、 53-61К または 53-65 、自衛用対潜魚雷 SAET-60 または SAET-60М[* 4] | ||
機雷 PMR-1 (魚雷 16 本に替えて搭載[* 3]) | 32 個 | |
レーダー | ||
水上捜索レーダー MR-600 「フラーク」 | 1 基[* 3] | |
ソナー | ||
全周囲展望[* 5]・能動水中信号聴音装置 MG-200 「アールクチカ-M」[* 4] | ||
水中音響装置「トゥローマ」[* 4] | ||
全周囲展望・音波探知水中音響装置 MG-10 「コーラ」[* 4] | ||
音響水中通信装置 MG-15 「スヴェート-M」 | 1 基[* 5] | |
電子戦手段 | ||
レーダー信号捜索装置 MRP-10 「ナカート」 | 1 基[* 5] | |
射撃管制装置 | ||
雷撃管制装置「レニングラード-641」[* 4] | ||
通信装置 | ||
敵味方識別装置応答機「フローム-K」[* 4] | 1 基[* 3] | |
航法機器 | ||
ジャイロコンパス 「クールス-5」 | 2 基[* 3] | |
無線方位測定儀 「ラームカ」 | 1 基[* 3] | |
潜望鏡 | ||
攻撃潜望鏡 PK-8.5 | 1 基[* 5] | |
艦長潜望鏡 PZNG-8 | 1 基[* 5] | |
要目の出典 | ||
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ORP 「ヂク」[注 1](ポーランド語: ORP „Dzik” )は、ポーランド共和国海軍の保有した通常動力型潜水艦である。艦名は、ポーランド語で「猪」という意味。ポーランド海軍での正式分類は潜水艦( okręt podwodny )であった。退役後は、一部分がポーランド共和国内の博物館に展示されている。
概要[編集]
建造[編集]
「ヂク」は、元はソビエト連邦(以下、ソ連)がソビエト連邦海軍(以下、ソ連海軍)向けに建造した潜水艦であった。当初の艦名は B-29(ロシア語: Б-29 )で、 641 設計大型潜水艦の 44 番艦であった[2]。ソ連海軍での正式分類では、大型潜水艦( большая подводная лодка )に類別された。
建造はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国・レニングラード市の第 196 造船工場(『スドメーフ』)で行われ、工場番号は 821 であった[2]。1966年1月6日付けで海軍へ登録され[3]、同年3月25日に起工[3][2]、同年5月20日に進水した[3][2]。その年の夏のうちに引渡し基地となるセヴェロドヴィンスクへ回航され、受領試験が実施された[3]。同年11月28日には竣工し、海軍へ引き渡された[3][2]。12月12日付けで赤旗勲章受章北方艦隊へ編入され、ポリャールヌイ市のエカチェリーナ湾にあるポリャールヌイ基地に駐留する第4潜水艦艦隊・第69潜水艦戦隊へ配備された[3]。
北方艦隊[編集]
1967年には、大西洋北東域において軍事任務に就いた。1968年には、地中海において軍事任務に就いた。1969年には、第 4 潜水艦艦隊・第96潜水艦戦隊へ配属替えを受けた。1970年には5月25日まで地中海で軍事任務に就いていたが、その間に無人航空機によって発見された。1971年12月10日から1972年6月24日にかけて、第 69 潜水艦戦隊に所属して地中海での軍事任務に就いた。1973年9月には、第 4 潜水艦艦隊・第 161 潜水艦戦隊へ配属替えを受けた。中東戦争のための兵力増強計画により、1973年9月15日から1974年10月8日のあいだ、第 69 潜水艦戦隊に所属して地中海へ派遣された[3]。
1976年8月20日から1977年6月10日にかけて、クロンシュタットの国防省クロンシュタット海軍工場においてオーバーホールを受けた。1977年6月から1978年2月12日にかけて、地中海で軍事任務を遂行した。1978年5月31日からも、地中海に派遣されて軍事任務に就いた。1981年8月10日から1982年3月1日にかけてと1983年5月3日から12月29日にかけて、そして1985年4月1日から1986年2月28日にかけての期間もまた、地中海で軍事任務に就いた[3]。
1986年には、国防省クロンシュタット海軍工場で修理を受けるためにクロンシュタットへ回航された。これに伴い、所属をレニングラード海軍基地・第 4 艦船練習師団・第 25 潜水艦戦隊・第 10 修理潜水艦隊へ移した。同年11月24日から1988年2月9日にかけて、国防相クロンシュタット海軍工場でオーバーホールを受けた[3]。
ポーランド海軍[編集]
1988年11月9日、ウスチ=ドヴィーンスクにてポーランド人民共和国から派遣された乗員に引き渡された[4]。同年12月6日付けでソ連海軍を退役し、翌12月7日付けで正式にポーランド人民共和国海軍に編入され[4]、「ヂク」と改称された[3]。当初は、ソ連からの貸与の形で提供されていた[4][3]。12月12日にはリガを去り、翌12月13日にグディニャ=オクスィヴィェ軍港へ入港した[4]。
1993年には、姉妹艦「ヴィルク」とともにポーランド共和国によって購入された。グディニャに基地を置く第 3 艦船小艦隊・潜水艦隊所属とされた。1990年代を通じて、北大西洋条約機構各国との合同演習に参加した[4]。ポーランド海軍時代、セイルには艦名に由来する猪の絵が書かれていた[4]。
中古で導入するコッベン級潜水艦に代替される形で、2003年11月7日付けで退役した[4]。導入された 5 隻のコッベン級の運用コストは、 2 隻のフォックストロット級の半値であった[4]。2005年4月から5月にかけて、グダニスク造船所で解体作業が行われた。セイルは保存されることになり、グディニャ海軍博物館で展示されている。
艦長[編集]
代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
1 | I・F・ドブレツォフ[3] | ?[3] | 1967/, 1968/, 1969/[3] |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
1 | ルィシャルト・ラトス | ||
2 | ユゼフ・バランスキ | ||
3 | チェスワフ・ディクティンスキ | ||
4 | ミロスワフ・モルデル | ||
5 | ヤロスワフ・ミウォフスキ | ||
6 | スワヴォミル・クジミツキ | ||
7 | ダリウシュ・ラロフスキ |
関連項目[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ 「グシニヤで目にしたポーランド艦艇」 『世界の艦船』通巻544集(1998年11月号) 海人社 P.83
- ^ a b c d e Николаев, А. С.. “Проект 641” (ロシア語). Штурм Глубины. 2010年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Николаев, А. С.. “Б-29, Dzik Проект 641” (ロシア語). Штурм Глубины. 2010年11月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Opuszczenie bandery na okręcie podwodnym ORP „Dzik”” (ポーランド語). Marynarka Wojenna (ポーランド共和国海軍の公式サイト). 2010年11月10日閲覧。
参考文献[編集]
- Апальков, Ю. В. (2005). “I. Подводные лодки. Часть II. Многоцелевые ПЛ и ПЛ спецназначания” (ロシア語). Корабли ВМФ СССР. Справочник в 4 томах. СПб.: Галея Принт. pp. 41 - 45. ISBN 5-8172-0072-4
外部リンク[編集]
- Николаев, А. С.. “Б-29, Dzik Проект 641” (ロシア語). Штурм Глубины. 2010年11月9日閲覧。
- “Б-435, U-01, Запорiжжя, историческая справка” (ロシア語). :: Русский Подплав :: Энциклопедия о Подводном Флоте России ::. 2010年11月2日閲覧。
- “Подводная лодка проект 641” (ロシア語). История Военно-Морского Флота России и Советского Союза. 2010年11月4日閲覧。
- Волков, Роман; Бричевский, Андрей. “Большие подводные лодки проектов 641, И641, И641К” (ロシア語). Корабли и суда ВМФ СССР и России :: Онлайн-справочник. 2010年11月4日閲覧。
- “Многоцелевые ПЛ/Россия/641” (ロシア語). Энциклопедия кораблей. 2010年11月9日閲覧。
- “пр.641 FOXTROT” (ロシア語). Отечественная военная техника (после 1945г.). 2010年11月4日閲覧。