タマツバキ (競走馬)

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タマツバキ
欧字表記 Tama Tsubaki
品種 アングロアラブ(アラブ血量42.18%)
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1945年3月12日
死没 1980年4月12日
(35歳没・旧36歳)
バラツケー
明美
母の父 ベルアミ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 三好四郎
馬主 岸良兼義
調教師 松田由太郎京都
競走成績
生涯成績 平地競走74戦34勝
障害競走1戦1勝
獲得賞金 557万2720円
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タマツバキとは日本アングロアラブ競走馬種牡馬である。

解説[編集]

フランスで活躍し、日本に輸入されたバラツケーと日本の牝馬・明美の産駒として1945年出生。半兄にミキノヒカリがいる。

1948年当時の馬齢数え4歳(現・3歳)の5月にデビューし、秋からはオープンクラス競走で活躍。1950年秋に創設された読売賞争奪・アラブ東西対抗戦の初代優勝馬となる。

1951年には当時行われたアラブ系の障害競走に出走し優勝するも、障害戦はこの1戦のみ。

1951年10月に行われたアラブ系オープンでは83kg斤量を背負い優勝した。これは日本競馬における最高負担重量での勝利記録として現在においても残っている。このほかに斤量80kg台での勝利が5度もあり、重い斤量に耐える馬であった。

現役引退戦はその年の年末に行われた読売楯争奪・アラブ東西対抗戦でこのレースに優勝し有終の美を飾る。その後種牡馬となったが、これといった産駒は出せなかった。

このアラブの戦後初期の名馬を記念して重賞タマツバキ記念が創設された。中央競馬1955年から1995年まで施行され、中央競馬でのアラブ競走廃止に伴い地方競馬へ移行し、2007年まで続いた。なお、1975年のタマツバキ記念のゲストとして当時30歳になっていたタマツバキが来場している。

タマツバキは1980年に36歳(満35歳31日)で死亡したが、これは後年、シンザンに破られるまで日本軽種馬の最長寿記録だった。墓は福島県畜産試験場にある。

シンザンの記録は後にマリージョイ(競走馬名:スインフアニー)が更新しており、その後もサラブレッドを除く軽種馬最長寿はそちらが保持されているとみられている。マリージョイは牝馬であるため、牡馬としてのサラブレッドを除く軽種馬最長寿は現在でもタマツバキが保持しているとみられる。

血統表[編集]

タマツバキ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 バラツケー系
[§ 2]

(アア)バラツケー
1927 黒鹿毛
父の父
Comtat
1912 栗毛
Vinicius Masque
Wandora
Contree Border Minstrel
Region
父の母
(アア)Titine
1919
(アラ)Kerro (アラ)Farhan
(アラ)Jahel
(アア)Bougiere (アア)Marat
Boudeuse

(アラ系)明美
1935 黒鹿毛
(アラ)ベルアミ(アラビア)
1923 鹿毛
(アラ)Managi Siberi 不詳
不詳
(アラ)Managia Siberi 不詳
不詳
母の母
(サラ系)賢美
1926
チヤペルブラムプトン(GB) Beppo
Mesquite
(サラ系)エキスパート ウイリアム(AUS)
(軽半)第三サクセス
母系(F-No.) エリース(USA)系(FN:ntb) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ [1]

半兄に、1950年の読売楯争奪アラブ東西対抗(春)を勝ったミキノヒカリがいる。

七代母エリースはトロッター種。同牝系には日露大競馬会などで活躍したスイテン、1949年中山大障害(春)の勝ち馬カミカゼなどがいる。

脚注[編集]

  1. ^ a b c タマツバキの血統表”. netkeiba.com. 2023年1月1日閲覧。
  2. ^ 凪的電脳賽馬-血統系統図(エリース系)”. 凪的電脳賽馬. 2023年1月1日閲覧。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 帝国競馬協会『馬匹血統登録書第8巻』帝国競馬協会、1933年、109頁。

外部リンク[編集]